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年に何回かしか開かないノートに記そうと思っていたこと [雑感]

ネットで「うつ」について見て回っていたら、ご自身もうつになり、投薬無しで快復したという精神科のお医者さんのことを見つけた。結構有名な方らしい。
その方がおっしゃるには、「うつは、体からの愛のメッセージである」。
真面目に真面目に頑張ってきた人に、「もうしんどい」「本当はこんなこと嫌なんだ」「もう休ませてほしい」そういうメッセージを、体が送っているのだと。

おっしゃることは実に良くわかる。私なりにだが。

「ガス漏れの警報機がなっている時、ガスの元栓を締めますか?
それとも警報機をとめますか?」という例えもされているようだ。
これも実にわかりやすい。

そう。メッセージなんだろう。
きっと。


小さい頃から我慢ばかりしてきた。
昨日も我慢、今日も我慢、明日も我慢、永遠に続く我慢。
そして、心の底から安心するということがなかった。
そのまま私は大きくなった。



私はたった一枚しかないスカートと、ユニクロで買った色違いのセーターを交互に着て会社に行く。真冬であろうと真夏であろと、その一枚のスカートを履いている。
好みの洋服や靴を買えていたのはもう何年も前だ。
伊勢丹からのバーゲンのDMが届くと胸が躍った。
そんな楽しみは、もうずっと、無い。

必死で働き続きけ、それでもお洒落すらできずじっと手を見る生活が続けば、
あらゆる意欲も消失しようというものだ。


数日前に、久しぶりに切れた。
最初は静かに諭していたが、「だって・・」だの「でも・・」だの
「どうして謝らなきゃならないんですか」だのほざいているから怒鳴った。
知らない人が見れば、私が一方的にいじめているように見えるだろう。
そうじゃない。
私はそのときまで、我慢に我慢を重ねていたのだ。
変な電話応対、間違った言葉遣い、先方に対するおそらく本人は気づいていない失礼な言動。
こんなことは、別に私が言わずとも、担当チーフである青年が教えて然るべきなのだ。
しかし、果てしなくやさしいが果てしなく保身に走る青年は、決して他の人に注意はしない。
だから私が意地悪ばあさんになるのだ。


オフィスにいた上司は、何も言わなかった。
まるで、喧嘩を始めた嫁と姑から逃げる旦那のように、自分の仕事に没頭し始めた。
以前なら私は罵倒されたはずだ。
今は、ない。
そうしたら私はすぐに「では辞めます」と言うからだ。
私はもう、早く辞めたいのだ。
上司はそれを十分知っている。

アルバイトに降格し、私だけ四年以上もボーナスを支給されなかったこと。
がんの手術で何度も入院したが、そのすべての時でも私は病室にPCを持ち込んで、
仕事のメールに対応し続けた。
そうやって業績を伸ばしてきた人間からボーナスを取り上げ、
数年にわたっていじめ続けてきたことを、された方が許すわけではないではないか。

立場は、完全に逆転した。



同じ職種で、去年の末から人が加わった。
多分、物理的に離れていることが良かったんだろう。
今まで来たどの人よりも上手くいった。

私は、自分の持っているすべてを、今、彼女に伝えつつある。
スカイプのチャットで、職場や上司に対する不平不満をぶちまけあい、
上手くいったときには称えねぎらい合っている。
状況は、雲が流れていくように変わっていく。



上司は好き嫌いが激しく、気分は猫の目の様に変わる。
お気に入りにはお気に入りに対するように、そうでない者にはそのように対応する。

「○○さんは、社長のお気に入りですもんね。話すときの声まで違いますよね」
そういうことを、今まで何人のスタッフから聞いてきただろう。

ただでさえ気に入られておらず、小汚くなった私に対する態度など
推して知るべし、だ。

お気に入りと話す声が聞こえる。
向かい合って話していること自体が楽しくて仕方ないのだろう。
1分で済むような話を、延々と続けている。
上司が声を上げて笑っている。

そう。こんなものだ。

命を削って私は仕事をした。
この会社を大きくしたくて、少しでも上に行かせたくて、
全身全霊で仕事をした。
皆辞めていった。
私は辞めなかった。
ボーナスを取り上げられても、私より後に入った男性スタッフが早々と役付きになっても、
あんたから苛められ続けても、私は働き続けた。

普通ね。情のひとつも沸くだろうと思うわけです。
自分の会社のために、身を粉にして働いてきたスタッフだ。
体もメンタルも壊して、ぼろぼろになりながら働いているスタッフだ。
別に男女の感情ではなく、人として「情」が沸くのが普通だろうと思う。

でもまあ、そうはならないらしい。
お気に入りとの談笑は続いている。

私は、我と我が身を思う。
入浴できず、洗顔できず、粉を吹いた顔に安物の服を着た自分の姿を思う。


私は、「色っぽい」「女っぽい」と言われることを、何よりも好んだ。
そして、そう言われ続けて生きてきた。
卵が先か鶏が先か、私は小汚くなり、上司は私を蔑んでいる。
私の女としてプライドは踏みにじられた。

乳房を失くしても、子宮と卵巣を失くしても、それで色気が消えるわけではない。
私にはわかる。
「女」は、「心」に宿るのだ。
その「心」が、疲弊しきっている。
「お前は女として何の魅力もないんだよ」と嗤われ、化粧をする力さえも失せた。


色気を復活させる特効薬は、「恋」だ。
でも。
今の私には、恋も、ときめく心も無くなっている。



「こんなの嫌だ!!!」と思い、思い続けて日々を送り、記憶の生じた時代から我慢をし続け、
私の体は反乱を起こした。

それがパニック障害だった。



あと、二十年。
もしくは二十五年くらいだろうか。
私が生きているのは。

その間にもう一度、きれいになりたい。

女も、男も、外見も中身も、体力も学力も、技術も仕事も、すべからく、
磨けば光る。
磨かなければ曇っていく。

問題は、磨く気力と体力が、失せているということ。


何を又同じ繰言をしつこく・・と、お思いの方もおられよう。
私はしつこいのだよ。
そして、こうして繰り返し繰り返し心に思うことを記していくことが、
私の中に力を蘇らせる、何よりの、方法なのだよ。
誰が授けてくれたのか知らない。
これが私に与えられた、最強の「武器」なのだ。



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その場所へゆく道 [雑感]

私がしている職種で、時々求人を出している。
今まで何人もの派遣スタッフ、アルバイトの方々に来ていただいた。
そしてみんな、しばらくしてやめた。
まとまった結果を出せた人は、一人もいない。
働き始めてしばらくすると、ほとんどの人が
「Shoさん、これは酷すぎますよ! !」と憤った。
職場環境の悪さにであり、会社の私に対する対応処遇の悪さにである。

又その話かとお思いの向きもあるかと拝察するが、まあ、この話だ。

十年一日のごとく同じ繰言を- と、思われるかもしれないが、
それなりに私も心持を工夫したり、物の見方を変えてみたり、
そんなささやかな努力をしている。

まあ、いつもの愚痴と思し召せ。

先日youtubeで、女優の杏さんと作家の和竜さんの対談を見た。
和田竜さんの話でとても面白かったものがある。

業界紙の記者をしていたとき、いろいろな会社に出向きインタビューをした。
ものすごく業績が伸びた会社には共通点があった。
一人、狂ったかのごとく仕事をする人がいて、周りの人間がその人の勢いに巻き込まれてゆく。そして結果、非常に業績が伸びた。
そういう人が、いるのだそうである。

多分私は、その「狂ったように仕事をした人」だったのだ。

損得勘定は一切しなかったし、開腹手術の2日後から仕事のメールに返事を出していたのは狂っていたのである。

そしてそのことは別に評価もされなかった。
アルバイトにされてボーナスを取り上げられていた4年間、受注件数は倍くらいになったし、私の仕事内容もどんどん増えていったけれど、何度訴えても正社員には戻してもらえなかった。

なのであの時に辞めておくべきだったと、思う。

「何でそんな状況なのに辞めなかったんですか?」と聞かれれば、
この仕事が好きで堪らなかったからとしか言い様がない。

今でもそうだ。
情報をキャッチするや否やリサーチに入る。
いくつものサイトを開き、欲しい情報を探し入手し組み立てる。
はあ、この人は○○なのね・・
へえ、なるほどね、△△だったんだ・・
ディスプレイに現れる文字に私は興奮する。
アドレナリンが、ばんばん放出されているのがわかる。
ああ・・私はこの仕事が好きでたまんないんだ・・


嫌いな仕事、何の興味も関心も持てない仕事を続けていたわけではなかった。
それが良かったといえば良かった点だし、私の決心を鈍らせた最大の原因でもあった。


求人サイトなどでよく、「自分に合った仕事」だの「好きが活かせる仕事」だの書いてあるが、「自分に合った仕事や会社」なんて存在するんだろうか?
そもそも「自分に合った」って何だ?
自分の興味関心と業務内容が一致するということか?
でも同じ組織の中だって、部署によってしていることは全く違うだろう。
そして例えば販売職や営業職で、「人と話すのが好きな人」を募集したりしているが、
果たしてそれは正しいのだろうか?

販売職や営業職に求められるのは、「明るい性格」でも「人見知りしない」ことでも
「積極性」でもなく、相手が今何を求めているのかを敏感に察知する感受性と誠実さであると私は思う。
やたら元気でそばによって大きな声で話しかけてくる店員は、私にとっては迷惑だ。
馴れ馴れしく押しが強い営業なんて、人から信用されない。


先のことは何一つわからないが、私もあと五十年も六十年も元気でびんびんして
生きているわけではないだろう。
どうしてもしておきたいことがあった。
なのでそれに取り掛かったのが去年だ。
それは想像していたよりも遥かに困難で、何度か投げ出しそうになった。
どうも自分は自己を過大評価していたらしいとわかった。
その長く辛い作業が終わったら、「もうあの一回でいいや」という気になった。


当初、二足のわらじを履くつもりでいたのだが、わらじを履くにも居たっておらず、
玄関のたたきに片足を下ろしたくらいの地点にいる。

けれど到達地点さえ見失わなければ、どんなにゆっくりでも休み休みでも、
そちらの方角に向けて歩いていけば、少しでも「其処」に近づけるはずだ。


心の中に、「其処」を考える場所を作った。

割り切れ。
さんざん恩着せがましいことを言われて正社員に戻ったところで、
「初任給ですか?」という給料の額は変わらない。
ただ。あまりひどい態度をとられると、「やはり辞めます」と告げることによって
上司の態度が変わるようになった。
立場は逆転したのだ。
私はもう、明日辞めてもいい。
やっと、そう思えるようになった。

ああ、もういいじゃないか。
どうしても嫌になったらもう辞めればいい。
「退職願」を内容証明で郵送し、二週間経ったら有効だからもうそのまま出社しない。
なんなら診断書も出そう。
みんなどんどん辞めているではないか、
何が「あなたに今やめられたら会社も困る」だ、
だったら常日頃からもっと大事に扱えバカ野郎。

もう何だっていいんだ、バカはバカ、バカは死んでもバカのままなのだ。
バカと神経の太さは一生変わらないんだ。
入ったばかりのガサツな女が私に嫌がらせをして、他の女性社員となかよくしても
もう何だっていいじゃないか、どうせバカでゴリラみたいな女なんだ、
他に楽しいこともないんだろうから、好きにさせてやればいいじゃないか。
私が使っていた机の上の空いたスペースにどんどんそいつの物を乗せても
我慢していればいいんだ。
我慢できなくなって声をかけたら逆恨みして私に意地悪しても、
あーもうめんどくさい、何だっていいじゃないか。


私の中では、既に変化が生じ始めた。

「その場所」を、見つめるようになった。
「その場所」のことを、考えるようになった。

もう、今の仕事のことだけではないのだ。

「その場所」へ行く道だけ間違えなければよい。
私の体は、もう、その方向に向いている。



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池田聡「倉庫BARにて」 [音楽]

池田聡「倉庫BARにて」
作詞:松本一起/作曲:佐藤 健/ 編曲:奥 慶一  
アルバム「missing」より

二十代前半の男女が、子どもの名残のような、本物の大人の入り口のような恋をしている。

女には好きな人がいる。でも片想いだ。
その女に想いを寄せる男がいる。

80年代半ばの東京の夜は明るかった。
季節はいつなんだろうか。
夏のような気もするし、春のような気もする。

紀尾井町の坂を下る。
右手にニューオータニ。
そうだ。
季節はきっと春だ。
長い時間をかけて膨らんだつぼみがようやく解け、
一つ二つ開いた花を見かけたばかりだったのに、
清水谷公園を越えて行けば、池に伸びた枝は、たわわなほど満開の桜だ。

まっすぐ歩いて左に入る。
赤坂プリンスの桜も見ごろ。

春の宵は色っぽい。

ロビーで待ち合わせた女は、振り向くと目が腫れている。
又泣いてたのかと男は思う。



どうしてわからない?
君はそのままで十分素敵なのに、どうして自分以外の人になろうとするの?

だってあの人は、私のことを好きになってくれないんですもの。
私じゃなくて別の人を、好きなんですもの。

傷心の若い女が焦れて言う。
決して怒らない男に八つ当たりする。
そのうち気持ちが高ぶって、又涙が出てくる。

どうしてそんなに彼をおいかけるの?
背伸びして違う自分を演じながら、自分の良さを消してしまうの?
そんな男は忘れてしまいなよ。

嫌よ。
だって私はあの人を好きなんですもの。
あの人じゃなきゃ駄目なんだもの。

―ぼくはずっと君を見てるのに

女は知っている。
今目の前に立つ男が、自分を想っていることを知っている。
それでも断ち切れない思いがある。
そして、目の前の男に傾く想いの間で揺れ始めている。



白夜のように、決して暮れきりはしない夜が続いた時代だった。
二十代半ばの私は恋をしていた。
それは片想いで、必死で追いかけた人は、けっしてこちらを振り向いてはくれなかった。

池田聡の声は、程よく甘く、暖かかった。
ただの片想いだったのに、この曲を聴いていると、
まるで自分を想ってくれる誰かがいるような気がした。

「missing」に収められたこの曲を歌う彼の声は、明らかに若い。
青年の声だ。
私はその時代、まだ若い女だった。


腰まで伸ばした髪をソバージュにした女の子と、やけに肩幅の広いソフトスーツを着た男の子が街に溢れていた。

誰かが誰かを追いかけて、決して向き合うことのない恋の「輪唱」。
池田聡の歌は、まるでその輪の中に自分がいるような、
どこかに自分を見つめ思いを募らせる男の人がいるのだという
そんな夢を見させてくれた。

この歌の男女はどうしたのだろう?
女の子は、片想いの彼をあきらめて、目の前の誠実な男の子と
もしかしたら結婚したのだろうか。

それとも二人とも、付き合うこともなく、いつか遠く離れてしまったのだろうか。


この曲は、都会の夜の池に映った月みたいに、揺らめきながら輝いている。
高速道路に煌く、無数のライトの川の流れみたいでもある。

まだ、未来が明るかった80年代。若かった自分。
その時していた恋。
その時の、街の匂いも風のそよぎも、すべてがこの曲に詰まっている。


なので私にとっての「倉庫LOFT BARにて」は、もうこれで完結している。
近年、別のアレンジで再販されたけれど、それは私にとっては違う曲である。
赤プリの巨大な建物は消えた。
二十代半ばの私も、デビューしたばかりの池田聡も、あの時代の空気も今は無い。
ただこの曲のイントロが流れ始めれば、時の神様がウィンクしたように
私はあの日の東京に、飛び込んでいけるのである。



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「書くこと」についての徒然 [雑感]

日差しが日々明るさと強さを増し、ようやく春になるのだと思える。
春になると少しほっとする。
昨日は今年初めて、近所で梅が咲いているのを見た。

最近つらつら思うこと。
ブログというのは、やっぱりそれなりにエネルギーを使うものなのだな、ということ。
ツィッターは、これはまさに「つぶやき」なんだな、ということ。
ふと思ったこと、その時の気分や気持ちを、「つぶやく」動作。
ブログはやはり組み立てが必要な作業。
たぶんブログはこれからどんどん衰退していくんだろう。

気づけば10年くらいブログというものと関わってきた。
その間、さまざまなコメントをいただいた。
はっきりと、敵意や悪意を感じるものもあった。
執拗に投じられるコメントもあった。
ここから先に書くことは、異論は認める。

いつくかの敵愾心あふれるコメントに共通してあったものは
「嫉妬」だと思った。

何バカなこと言ってんだよ、あんたなんか50過ぎでバツ一で、
いつもいつもお金が無いお金がないと困りきって、
会社では冷遇されて、病気して、肥満して風呂にも入れなくなって
そんな人間を誰が嫉妬するんだよ ! ! ! !
という声がはっきり聞こえそうである。
そのとおり。
私は決して、他者から憐れまれても、嫉妬されるような立場境遇ではない。
けれど、それでも、いくつかの悪意溢れるコメントの中には
確実に、微かな嫉妬の匂いがあった。

多分。その人たちの思い描く「私」は、現実に生きている「私」とは違う。
現実の私ではなく、その人たちが独自に想像した「私」に、
敵意と悪意を募らせてたのだと推測する。

「書く」というのは、何なんだろう。

素人のブログで、自身を「物書き」と称している人がいる。
ブログで活動を書いていらっしゃるが、拝読する限り、その人は決して
「物書き」ではなく「主婦」である。
その人が書いていることは、職業ではなく趣味である。
「依頼があれば何でも書きます! ! 」と書いてあるが、
誰も依頼しないだろうな・・と思う。

世の中には「書きたがる人」が数多いる。
どうしてだろう?

作家になりたがる人もたくさんいる。
どうして?
そんなに書きたいの?
それとも、「作家」になりたいの?

考えると「書く」というのは、実は排泄行為に近いんじゃないかと思う。
吐き出すこと。
とにかく体の中に存在するある思いなり、わだかまりなり、
忘れたい記憶なり、残しておきたい記憶なりをとにかく体外に排出する。
なのでそういうものが体内に「在る」人は、書く。
書かずにはおられない。
そんな気がする。


ようやく春が来てくれて、少しホッとする。
眠い。

言うまでも無く、このブログは素人の趣味である。



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ひとりごと20150207 [雑感]


努力では、どうしようもないことがある。
懸命に生きていながら、蔑まれる人がいる。
力を振り絞り生きているのに嗤われることは辛いが、
愛する人が嗤われることはなお辛い。

私の命と同じほどに大切な人を、
いたぶり続けたあいつらは、
その後幸せだったのだろうか。
伝え聞く限り大きな不幸にも見舞われず
それなりに穏やかな老後を過ごしてきたらしいあいつらに
私は何の復讐もできなかったんだろうか。
そのことを、私の大切な人たちは、
悲しんでいるだろうか。
それとも安堵しているだろうか。

この小心者の私でさえ、
幾つかの汚いことをし、何人かの人を貶め、
気に食わない人の芽を摘んだ。
「自分は大人になってから嘘をついたことなど無い」などと
言い切れる人の人生は、どれだけ楽だろう。

昔昔あの日あの時、
一瞬でその場に戻る体験を、「PTSD」と言うらしい。
PTSD、
発狂の一歩手前。
もんどりうって苦しんでいるのは、
私ではなくかけがえの無い人
早く! !、 早く! ! !、早く! ! ! !
助けられなかった私。
狂えたら楽だったろう。
狂うことはできなかった。



言葉と事象の間に齟齬はあるか。
言葉と真実の間ではどうか。
私の言葉は何を伝えたのか。



神様も仏様も、私はいないような気がします。
希望が無いということではありません。
人間は自分勝手に祈ります。
家内安全、受験、就職、恋愛成就。
誰かの願いが叶えば他の誰かの願いが叶わぬような
椅子取りゲームみたいな自分勝手な願いを、
神様や仏様は聞き届けてくださるんでしょうか。

「あそこの神様にお参りして末期の病が治った」と言われる神様は、
どうしてお参りにきたすべての人や親族の病を、
治してはくださらなかったんでしょうか。


もう、坑うつ剤は要りません。
私はきちんと悲しんで、
きちんと自分を責めたいのです。
そして、生きていきたいのです。




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吉田松陰 高須久子 相聞歌 [本]

鴫 立つてあと淋しさの夜明けかな  久子

   いつの間にか、此処を訪れてくれるようになった鴫が
   何処かに行ってしまいました。
   今までは、朝方に目が覚めると、
   もう傍に来ただろうか、可愛らしく木の葉を啄ばんでいるだろうかと
   思いを巡らすだけで、心が高鳴りうれしくなったものでした。
   もうそれは終わりました。
   ただしんとした、味気ない、寂しい一日の始まりとなりました。



箱根山越すとき汗の出でやせん君を思ひてふき清めてん  松蔭

   死出の旅となりました。
   箱根の山を越えて行くとき、息は乱れ、吹き出た汗が体を伝うことでしょう。
   あなたが縫ってくれたこの手布巾で、その汗を拭い、
   恥ずかしくないように、死出の身体を清めていきましょう。

      (久子)
      あなた様とは、交わることも、触れ合うことすらありませんでした。
      幼い頃から一筋に学問に打ち込んでこられたあなた様は、
      女と肌を重ねたこともございませんでしたでしょう。
      私の手の中で、一針一針縫い上げたこの手布巾には、
      私の香りが微かに染み付いておりましょうか。
      此処を出られ、長い道中、どうかこれを
      あなた様の懐に、収め置いてくださいませ。
      あなた様の懐で、この手布巾は温められ、
      あなた様の匂いを染み付かせ、
      滲んだ汗を吸い取って、潤うことでございましょう。
      この手布巾はわたくしです。
      最後まで、わたくしは、あなた様のすぐお傍に、控えております。



手のとはぬ雲に樗の咲く日かな  久子

   あなた様の旅立ちの朝、空を見上げれば
   真白き雲に、樗が枝を広げております。
   なんと清しく、気高く、飾ることなく咲いておりましょう。
   もうわたくしがどれだけ手を伸ばしても、届くことはありません。
   今生のお別れでございます。
   わたくしはずっと、清しく気高いあなた様を、お見上げいたしております。



一声を いかで忘れん ほととぎす  松陰

   ここであなたと交わした言葉の一つ一つを、
   その時の空の様子を、吹いていた風のそよぎを
   どうして忘れることができましょうか。
   いいえ、忘れることなどありません。
   二度と再びお目にかかることはありません。
   決して声には出さないけれど、
   ここを懐かしみ呼ぶでしょう
   あなたのことを呼ぶでしょう
   喉が切れて血が出てもなお呼ぶでしょう
   血を吐いて啼く、私はほととぎすになりましょう



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おしゃべり嫌い [雑感]

入院していたとき、今だから言えるが、一人だけどうしても苦手な看護婦さんがいた。
意地悪でしているのかなあ・・?
否、そうじゃないだろう・・
否、これはやっぱり意地悪だろう・・

意地悪だったんだよ。
個室で、ほかの看護婦の目が届かないのをいいことに、
優しく言えばいいことを、キツク叱りつけるように言ったり・・
私は泣いた。
「もうあなたを担当から外してください!」と思いながら、
布団をかぶって泣いた。
でも、もしかすると全く悪意はなく、ただ仕事をしているだけかと思い
言わなかった。
言えばよかった。
私に対しては、完全に外してもらえばよかった。


高校一年のとき、苦手な先輩がいた。
いわゆる「馬が合わない」というものだったと思う。
だったら離れていれば良いのに、それもできず
私は毎日、その先輩と一緒に帰宅していた。
その先輩は私に、「もっとみんなと話さなきゃ!」といつも言った。
私と先輩が属していたグループで、みんなで居るとき
「もっとしゃべらなきゃ!」と、いつも言った。
真面目に受け止めることなど無かったのだ。
「はい」「そうですね」とか適当に言いながら、別に黙っていればよかったのだ。
糞がつくほど真面目で、馬鹿がつくほど正直な私は
先輩に言われたことを胸のど真ん中で受け止め、
その言葉に忠実に従おうと思った。
部室に先輩や同学年のクラスメートと居るとき。
みんなの談笑に加わろうと、「何か言わなきゃ、何か言わなきゃ」と
自分を追いたて責め立てた。
そんなある日の帰り道。
先輩がふと思い出したように言った。
「○○君が、Shoさんとは話しにくいって言ってた」
私はびっくりして先輩の方を見た。
「△△君も言ってたなあ。
☆☆君も・・ ××君も・・ 私の周りの人はみんなそう言ってる」
今なら私は怒鳴るだろう。
「失礼なこと言うんじゃないよ!! あんた何様だよ!!」と恫喝して縁を切るだろう。
あの頃の私は、先輩の言うことを真に受けて、ただただ自分が悪いのだと自分を責めた。
「このこと聞いてどう思う?」
「・・辛い・・」
泣きながら答える私を見て、先輩はうれしそうだった。

その日から今日に至るまで、私は「自分はしゃべれないのだ」と思って生きてきた。
会話のやり取りが苦手だと、胸の奥に刻印のように押された意識は決して消えなかった。

教室で、クラス会で、会社の休み時間、ぼんやりと肩の力を抜いてそこに居るということができなかった。
そういう場所で「話さない」人はいくらでも居た。
その人たちは別に引け目を感じることなく、ただ「しゃべらずに」其処に居た。
傍から見ていても、それはそれで自然に感じられ、
別にこちらに不快感を与えるものではなかった。

「私はしゃべれない」
「私とはみんな話しにくいと思っている」という呪縛は、ずっとずっと私を縛り続けた。

それでも、タクシーで、初対面の人たちの輪の中で、
私はよく話しかけられた。
「お話が上手ですね」
「きっとみんな、Shoさんとは話しやすいと思ってますよ」
そんな風に言われても、「違う。私とはみんな話しにくいのだ」
「私には話しかけづらいと思っているのだ」と思っていた。

青春真っ只中の、自意識過剰な女の子が放った意地悪な言葉だったが、
その後何十年も私を苦しめた。

今は― 別にしゃべらなくても良いのだと思っている。
他の人から、
「あの人とは話しにくい」と思われても一向かまわない。
私だってあんたなんかと話したくないよ、と思う。

話なんかしたくない。
できるだけ人と接したくない。

変な人、変わった人と思われても良い。
実際変わっているのだろう。

話が上手な人なんて、いや、人とのコミュニケーションがうまい人なんて
そんなにはいない。
「自分は話がうまい」などと思っている人は、
大抵、その人が言いたいことだけを勝手にしゃべっているか、
周りがせっせと合わせてあげているかだ。
本当に会話が上手な人など、私はほとんど会ったことが無い。
せいぜい、「あの人はわりとがさつだから、あんまり気にしないで話してもいいかな」と思うくらいだ。


あの時17歳だった先輩も、自分の放った言葉が
その後35年も私を苦しめるとは思わなかっただろうな。
私のことが嫌いだったんだよね?
私もあなたのことが苦手だった。
でも「嫌い」と思っちゃいけないんだと思ってた。
あなたに悪気はなく、私のことを思ってくれてると思ってたから。

馬鹿だね。
嫌われてたんだよ。

その人のこと嫌いって思って、よかったんだよ。




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1月17日に [雑感]

「皆で力を合わせて乗り切ったあの日を思い出して、
後世に伝えていくことが必要です」と、
したり顔に言うなアナウンサー。



「弟は生きたまま焼け死んだや」

少女は表情を変えず、淡々と言った。
家がつぶれて姉と弟が下敷きになった。
「姉ちゃん、ガスの栓、閉めなあかんで」
下敷きになって身動きがとれず、救助を待つ間に弟が言った。
そういえばガスの匂いがした。
それから姉だけが助け出された。
少しして、漏れ出たガスに火がついて、あたりは火の海になった。
弟を助けることはできなかった。


潰れた家の中、取り残された娘の救出を見守っていた初老の父は、
遺体となって出てきた娘の救援隊が帰ろうとしたとき、急に大きな声で言った。

「私は、○○ ○○の父です!
このたびは、娘が大変お世話になりました!
ありがとうございました!」
何日も眠っていなかったはずの目を繰り返し瞬いて、
その人は深く深くお辞儀をした。

まるで会葬者に礼を述べる人のように、
父としての役割を果たすことで娘を守ってやったように
着の身着のままの姿で、勤めを果たした。



忘れてはいけない。そうだ忘れてはいけない。

けれど愛する人を失った人たちに、
助けてやれなかった、
痛みを苦しみを減らしてやれなかった
悪かった、悪かった、
ごめんなさい、ごめんなさいと、
詫びながらこの20年を生き続けてきた人に、
あの日の記憶を語れとか、
顔を上げろ前を向けとか、
いつまでも悲しんでいてはいけないとか、
そんなことを言う権利は誰にも無い。


亡くなっていった人たちは、どれだけ無念だったことだろう。
遺された人たちは、どれだけ自分を責めたことだろう。

かけがえの無い人を亡くした悲しみは、
20年で癒えるはずもない。

辛いことを思い出させてごめんなさい。
無遠慮に、カメラを向けてごめんなさい。
閉じた口元に、マイクを突きつけてごめんなさい。

亡くなっていった人たちと、
遺されてしまった人たちに、
ただただ、ただただ、頭を垂れる。



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東電OL殺人事件―それぞれの、私のX・Xさん [雑感]

昔、渋谷のとある教室に通っていた。
授業が終わって帰途につく。
教室の入っている建物を出て、さて駅に・・と思って坂の下を見ると
渋谷駅周辺はものすごい人ごみで、くるりと背を向けて、
私は神泉の駅に向かった。

神泉は不思議な場所だった。
道玄坂上の交番から、もう駅はすぐ近くにあるはずなのに
何度も道が分からなくなり、交番にたどり着いてはおまわりさんに
行き方を尋ねた。

あの町は、時空の隙間のような、磁力が捩れているような
不思議な雰囲気があった。


神泉は小さな小さな駅で、作りも変わっていた。
住宅街の道路に突然現れたような駅。
駅の近くまで来て電車が来ることに気づけば、
急いで走って改札を抜ければ間に合うような駅。

その駅のすぐ近くに、古いアパートがあり、
半地下に大衆的な居酒屋があった。



東京電力で管理職にまでなった女の人が、
そのアパートで殺されたと知ったときには
本当にびっくりした。

そして、その人が渋谷円山町で売春をしていたこと、
それも雨の日も風の日も、一日四人とノルマを課して
どの組織にも属さずに、「立ちん坊」として体を売っていたこと、
それらを知ってもっとびっくりした。

尚且つ、その人の奇行といわれる行動がどんどん現れてきて
わけがわからなくなった。



佐野真一氏の「東電OL殺人事件」は、大変興味深く読んだが
佐野氏の主張には納得できなかった。
「女なら誰でも自分を貶めたいと思う気持ちがある」などと
美しい中年の女の人に言わせているが、
そんなもんは無いよと思った。

その人がどうして売春をしていたかなど、他の人間に分かるわけがない。
なので私たちは、私は、想像をするだけだ。

いわゆる一流企業に勤めながら売春している女など、きっとたくさんいる。

ただ、この人の場合は違った。


ネットをめぐり、様々な情報を得た。
同じ職場で働いたことのある人の話、いろいろに考え導き出された結論らしきもの。
当たり前だけれど、どれもどこか違うような気がした。


日本を代表する企業の管理職ではあったけれど、もし本来の管理職としての職務を全うしていたら、毎日定時で退社することは有り得ないと思う。
いつからかは分からないが、彼女は会社の中で、戦力としては完全に外されていたのではないか。
連日売春をして会議中でも居眠りをする。
先の著書の筆者佐野氏は、「それを皆で笑ってたって言うんですよ!!」と憤っておられたが
それは当たり前だ。
会社からすれば会議中に毎回居眠りをしているだけでも迷惑なのに、
その理由が夜毎売春をしているからなど、怒髪天を突く思いだったろう。
できれば早く退職してほしかったのだろうが、正社員で一応管理職でもあれば
簡単に辞めさせることもできず、会社としてはかなり困った存在だったと推察する。

そこは学校ではないのだから、夜毎立ちん坊の売春をしている人間になど
なるべく関わらない様にしようとするのは、至極当然なことだ。

面と向かってそういう態度をとられたかは別として、
この人は会社で、完全に侮蔑される立場にあったのだろう。


想像するしかないのだけれど、この人は性に関することを、ことごとく抑圧してきたように思う。
男の子と付き合うこと、おしゃれに精を出すこと、自分の中の性に向き合うこと。
どんどん噴出しようとして当然なことをねじ伏せてねじ伏せて、
ある日大きな箍がガクンと外れてしまった。
そんな気がするのだ。


本当にたくさんの人が、男も女もこの人のことを書いていた。
それぞれの人に「X・X」というこの人像があり、
この人を語ることは、その語っている人自身を浮き彫りにしているようだった。


様々な解釈の中で、齋藤学先生の説が一番びったりきた。
ただそれでも、何故?という思いは消えない。


「もし、あなた、苦しいですね?」

これは彼女が街に立っていたとき、男にかけた言葉だ。

「もし、あなた、苦しいですね?」

この古風な礼儀正しい言葉遣いは、男を引くためのものではなく、
体調の悪そうな人をたまたま見かけ、反射的に出てきた言葉だと私は思った。

小さな頃から「礼儀正しく」「失礼のないように」といわれ続け、
それを忠実に守ってきた人の、自然に発した言葉に思えた。

ホテル街に毎夜立ち、男に声をかけ、最低2000円で体を売る四十手前の女。

それでもこの人の中には、お行儀の良い、優しい気持ちが残っていたような気がした。

もちろん、これも私の憶測でしかない。


彼女と同期に、総合職として入社した東大卒の女の人の言葉が印象的だった。
「自分はきちんと制服を着て、お茶汲みも厭わなかった。
東大卒なんて、おくびにも出さないようにした。
その方が、組織のなかでは生きやすいと思ったから。
でもXさんは、違った。
自分はエコノミストとしてガンガンやっていく、と言っていた。
そんなに飛ばしていて大丈夫かな、と思った。」

大丈夫なはずが無かろう。
その組織の中には、専門に何十年も学び続けていた男たちがごまんといたのだ。
彼らにはプライドもあっただろう。
そこにいきなり宣戦布告していった二十歳そこそこの娘など
潰そうと思えば難なくできたはずだ。

正義感も責任感も強かったXさんは、世の中の渡り方は下手だった。

入社の際、「父の名を汚さぬように頑張ります」と言った話は有名だが、
社内には、父上と反目していた人たちもいた。
そこに気づいていなかったのか、敢えて宣戦布告をしたのか、
私は前者だっと思う。


Xさんはセックスなど好きではなかっただろう。
本当に好きになった人と関係したかもわからない。
多分、一番好きだったのはお父さんだろう。

「彼女は父親を超えられなかった。それが彼女にとっての、一つの挫折だった」
という意見も見たが、それは違うだろう。
彼女にとって父に敗北することは、甘美なことであるはずだ。
父は永遠に自分より優れた存在、超えられない偉大な存在であったのだから。
彼女は永遠に、父親に屈服していたかったと思う。
組み敷かれることさえ、密かに夢見ていたのではないか。

けれど、父を蔑ろにした男に敗れることは、「父親の仇を討てなかった」ということになり
彼女にとっては二重の敗北のなったと思う。



体を売り続けたことは、彼女にとって開放でも悦びでもなく、
齋藤氏の言うように「懲罰」だったと思う。



昔々、渋谷にあった教室に通っていた頃、そのすぐ近くでこの人は客を引いていた。
気づかずに、一本隣の道を歩いていたこともあっただろう。
この会社の定年は何歳なのだろう。
あのまま彼女が生きていたら、そろそろ定年を迎えたのだろうか。
四十直前のやせ細った体で客をとっていたことも驚きだが、
いったい幾つまで、そんな生活を続けていけたのだろう。

日々生きていて、ああ面白いとか、楽しいなあとか、思うことなど無かったような気がする。特に最後の数年間は。否、もちろんこれも勝手な憶測だけれど。


彼女が幸せだったとか不幸だったとかは、他者には言う権利が無い。
それは彼女自身のみが決められることだ。

もし会社への復讐心があったのだとしたら、それは十二分に達成できた。
天晴れである。


「もし、あなた、苦しいですね?」

こんな古風な行儀の良い言葉を使う、一本気で、糞真面目な、
世渡りの下手なこの人のことを、よく思い出す。



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徒然 ―パンドラの函を抱えて闇の前に立つ― [雑感]

クリスマスが終わって元日零時までの時間は、
なんだか時間のエアポケットみたいな不思議な時間だ。

いつものように、今日が昨日になり、明日が今日になるわけだが、
「年」という区切りをつけているからか、それとも何かもっと大きなもののせいか
日々の流れとは何かが違うように感じるのである。


私は「心の底から安心した」という経験が、ほぼ無い。
五十二年間の記憶の中で、はっきり覚えているのはただの一度だけだ。
子どものころから、常に、不安と恐怖を抱えていた。
未来は常に怖かった。
なので、新しい年を迎えることも、自分の将来を考えることも、
まして自分の人生の長期計画など恐ろしくて立てることができなかった。

人の一生で、いつが一番大変な時期だったかというのは、人それぞれみんな違うと思う。
私の場合は十代の終わりから二十代の終わりにかけて、
もしくは三十半ば迄だった。
その頃に比べたら、今何かが大変だ辛いと言っても、
本当に蚊に刺されたようにしか感じない。
それがいいとか悪いとか、威張っているとかではなく本当にそう感じている。

状況は常に変わっているのだ。

諸行無常。
常なるものはどこにも無い。

十代の終わりから私が怯え続けた人たちは、たぶんほとんどが死んだ。
生きていたとしても、もう何の力も持っていない。
時は流れ、人は老いる。
状況は変わった。

未来に光など見えなかったけれど、とにかく息をして、何もできなくてもただ息をしていれば、
今日は昨日になり、未来は勝手にやってくる。
そして自分をとりまく状況は、自分の思いとは無関係に勝手に変わっていく。

「一寸先は闇」

今幸せでも、ちょっと先にはどうなっているか分からない。
逆も又然りだ。
今どんなに厳しい状況でも、ちょっと先にはどうなっているか
誰にもわからないのだ。
思いもかけない救いの手が、差し伸べるのを待っているのかもしれない。
今飛ぶ鳥を落とす勢いのあいつも、失墜が目前にせまっているのかもしれない。
ただそれは闇の中だから、誰にも見ることはできない。


人生はパンドラの函だなと思う。
憎しみ恨み、嫉妬意地悪悪意敵意、魑魅魍魎。そんなもので満たされている。
そしてそんなおぞましいものの奥の方で、「希望」がすやすやとお昼寝をしている。
希望は誰のパンドラの函にも、ちゃんと入れられている。
けれどあんまり小さくて、一番奥の隅っこにいるから、よく見えないのだ。


そう、先のことは分からない。
なので、先のことを怯えなくてよいのだ。
だって私たちは、明日のことどころか、一時間先のことでさえ予測がつかない。
一時間後大雨が降っているか、燦燦と輝く陽の光の中に居るか、それは誰も知らないのだ。


私は占いも信じないし、ここ数年は死後の世界も無いと思うようになった。
時々人から「亡くなったお母さんが守ってくれたのね」などと言われることがあるが、
では何故お母さんのお母さん、つまり祖母は、愛して止まない自分の娘、
つまり私の母を救わなかったの? と、いうことになる。

「すごく霊験あらたかなお坊さんで、その人が○○したら、癌が消えたんだって!!」
などと言う人もいるが、これもやっばり、
「じゃあ何でうちのお母さんの癌は消えなかったの?」ということになる。

私は自分の年代の親たちが、幾つくらいなのか、というのがさっぱり分からない。
自分の母は52歳で死に、そこから先はもうわからないのである。


というようなことを、大晦日に思う。
先のことは考えない。
明日という日は、誰にとっても、来るかどうかわからない日だ。
なので、怯えなくてよいのだ。
ただ、今を生きることしかできないのだから、
ただ、今を一所懸命生きればよいのだ。

パンドラの函には、ちゃんと希望が眠っている。
そろそろお昼寝から目を覚ます頃かもしれない。



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