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中森明菜「紅夜―beniyo―」その二 [歌手]

中森明菜「紅夜―beniyo―」
作詞 : 林桃子
作曲 : 林田健司


薄暗いステージに中森明菜が立っている。

肩を出したシンプルなロングドレスで、化粧もとりたてて凝ってはおらず、
髪も自然に下ろしたままだ。
照明の具合なのか、彼女の髪はやけに乾いて見える。
十分に美しいけれど、けれど彼女は歳をとった。

細い腕は筋張り、そのままごつごつした細い指に伸びる。
見様によっては、場末のバーの女主人にも見える。



今夜は誰も来ないんだろうか。

彼女は肘をついて煙草を吸っている。

あの人は今頃、恋人と逢っているんだろう。
細くしなる弓のような腕を、黙って引き寄せるあの人が浮かぶ。

若い恋人がいながら、どうしてあの人は私に近づいてきたんだろう。
母親に甘えるみたいな気持ちで、愚痴をこぼしたかったんだろうか。
その愚痴の内容が、若い恋人との痴話げんかであることが、
どれだけ私を傷つけたかなど、気がついてはいないんだろう。

可愛い恋人が居るなら、こんな私にかまわなければよかったのに。
もう恋も愛も忘れて、ただ静かに老いて死のうと思っていたのに。

口紅を注し、マニキュアを塗る。

紅、紅、紅、

私の中の経血は、あとどのくらい残っているんだろう。

紅、紅、紅、

弓みたいにしなやかな腕を持ったそのお嬢さんは
果てしない血の海を、お腹の中に持ってるんだね。

あなたはちょっとした出来心で、私に優しくしてくれた。

ごめんね。
私はそれが忘れられなかった。

それほど遠くないうちに、あなたはここから去っていく。
私はこれが最後の恋になる。

唇と爪と、もう私を染めるものがない。

そうだ、私の中の経血を全部使ってしまおう。
私は命を絞り出すように、胎内の血を溢れさす。

紅く染まれ、紅く染まれ、
これで死んでもいいから私を染め上げてくれ。



「彼岸花は庭に植えてはいけないのよ。その家が火事になるの」

お墓参りにいくたびに、幼い私に言い聞かせたのは母だったろうか。
ああ・・そうだ、曼珠沙華は火事を起こすのだ。


私の中の紅は、どんどん目減りしていく。
唇の紅が失せ、爪の紅が失せ、心の中に灯っていた紅も消えたと思ってた。

けれど消えたはずの心の紅だけが、埋み火となって残っていたらしい。

埋み火は、あなたの息を吹きかけられてちろちろと炎を吹き返す。



薄暗いステージに、紅一色のライトが灯る。

中森明菜の肌が、髪が、紅く染まっていく。

曼珠沙華は、女の命の残り火を燃やす。


中森明菜は一茎の曼珠沙華になる。




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池田聡「誤解するなよ」 [歌手]

池田聡「誤解するなよ」
作詞 : いとうせいこう
作曲 : 池田聡


今をときめく、いとうせいこう氏の作詞。

彼女がどうやら浮気をしているらしい。

その疑いの根拠が一つ一つ置かれてゆく


     独り占めの恋なんて子供じみて嫌だね
とか
     君のうわさの数だけバラの花をおくろう
とか、
全然気にしていないふりをしながら、目いっぱい気にしている彼が
なんとも可愛らしい。

     ジェラシーじゃないのさ 誤解するなよ

と、彼は繰り返しているが
それ自体がもう自分に言い聞かせているようで
強がる青年が可愛らしくてたまらない。


と、ここまで見ると、池田聡氏がそれまで多く歌ってきた
「想う人には自分以外に想いを寄せる男の人がいる」という輪唱の図式なのだが
ちょっと見方を変える。

強がっているわけではなく、本当に
「どうぞどうぞ、浮気ならいくらでもお好きなだけ」
「だって僕、君のこと別に本気なわけじゃないし」
「夕べも元彼と逢ってたんでしょ? そんな隠すことないのに」
なんて思いながら、彼女の嘘に騙されたふりをしている、
としたらどうだろう。

心優しく誠実で、自分以外の男を思い続ける彼女を、
「どうか自分を責めないで」などと言いながら見守る男。

これが今までの池田の歌に描かれた多くの男だ。

それは池田氏の声にも大変によく合い、追随を許さない世界を
作り上げられたと想う。

そして私たちはその心地よい世界の中に居るのが好きだった。

素直に伸びてゆく柔らかな声は、このアップテンポの曲でも効果を発揮している。
強がる青年の生真面目さを表しているように響く。

でも。
実は生真面目な青年ではなく、冷たく傲岸な男の歌なのかもしれない。
不愉快そうに「誤解するなよ」と、舌打ち交じりで吐き捨てているのかもしれない。

騙したつもりの女に、騙されたふりをしてやりながら、
ついでに傷ついた素振りさえ見せる。
そんな歌だったのかもしれない。


池田氏はフィクションの一つの世界を作り上げる。
フィクションは「嘘」とは違う。
フィクションの中に「真実」もある。

聴く人の数だけ物語りはある。



さて。

一つ一つ提示される浮気の痕跡
疑わしき事柄

けれど。
果たして何が本当なのか。


乱れたシーツのかげにこぼれていた「愛の跡」は、体液とは全く無関係のものかもしれない。
失くしたはずの合鍵が置いてあったのは、
ついさっき出てきたからかもしれない。
転がった口紅が、彼女の嫌いな色だったのは
ただたまたま彼女が、気分を変えようと思ったせいかもしれない。


疑心暗鬼。
五里霧中。


嘘をついている人間が入れ替わる。
ポジとネガの反転。

嘘を吐いていたのは誰で、
彼は誠実な青年か不誠実な冷たい奴か・・

どっちだっていいや。

この曲はすごくかっこいいのだ。

イントロも間奏も、すごくかっこいいのだ。


「事象」は見えるけれど、見る角度によって見え方は変わる。
まして「真実」など分かろうはずがない。



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「幸せになりなさい」作詞作曲 : 中島みゆき 「夜会」より [歌手]

「どうもこの人は、根本的に自分が幸せになっちゃいけないと
思ってるようなところがあるんだよね」

とある精神科医が、私のことを言った言葉だ。 
まだその医師と私に、信頼関係というものがあった頃の話だ。

指摘を受けて、そんなこと考えたことも無いと思ったが、直後に「そうかもしれない」と思った。

私が何かを我慢していれば、恐れていることは起こらない。
そういう強迫観念が、子どもの頃から自分にはあった。
恐れていることはたくさんあった。
家族の死、病、トラブル、などなどなど・・
私はいつも怖かった。
心の底から安心したことなど、ただの一度もなかった。


私が何かを我慢しても、私が恐れていたことはやがてやってきた。
祖母が亡くなり、母の癌が遠隔転移した。
母は亡くなった。
何度も書いてきたが、私はその時の情景をよくよく覚えている。
よくよく覚えているのに、私の皮膚には極薄のベールが張り付いたように
「母が死んだ」という現実が、体の中に入ってこない。

仲の良い母娘のことを、「一卵性親子」と雑誌で取り上げるようになった時期だった。
私は、母と自分は「一卵性母娘」だったのだと思った。
それを否定したのはベテランのカウンセラーだった。
「あなたとお母さんはねえ、一卵性双生児っていうよりねえ、シャム双生児だったんだよね」
言われた意味がわからなかったが、今はよく分かる。

癒着した体はメスで引き離せるが、癒着した心は、メスでは切れないのである。



かけがえの無い人を亡くした人たちは、多く自分を責め続けることになる。
私があの時あんなことを言ったから・・
私があの時きちんと伝えていたら・・
もうじき亡くなると分かっていたのに私はあんなことをした・・
一緒に暮らしていたのにどうして気づいてやれなかった・・

ごめんなさい、
ごめんなさい、
ごめんなさい、

辛かったろうに、苦しかったろうに

ごめんなさい、
ごめんなさい、
ごめんなさい、

私は今でも、謝り続けている。



かつて、このブログに「安心して幸せでありなさい」という文章を書いたことがある。
敢えて読み返さない。

遺された者たちは、幸せになってよいのだ。

あなたのかけがえの無い先立った人たちは、
あなたのことを恨んでなどいない。
ただただあなたが幸せであるように、願い続けているはずだ。





タイトルは、中島みゆきの「夜会 2/2」から、双子の女の子の物語。
一緒に生まれ出てくるはずだった二人の、
一人は母のお腹の中で亡くなってしまった。

茉莉花、ジャスミン。
一緒に生まれてくるはずだった双子の女の子。
姉の茉莉(まり)、妹の莉花(りか)。

二人生まれてくはずだったのに、姉の茉莉は母のお腹の中で死んでしまった。
無事に生まれ出たのは妹の莉花一人。

「妹がなかなか生まれようとしなかったから
だから姉が死んでしまった」
無責任な親戚の噂話を、幼い日莉花は聞いてしまう。


茉莉は自分を責め続ける。
茉莉は姉に詫び続ける。
茉莉は姉の分も生きなければと思う。
茉莉は姉が死んだのは自分のせいだと思い込んでいる。

莉花が死んだのは誰のせいでもなかった。
へその緒が首にまきついた「事故」だった。
それを知らせに茉莉は妹のもとにやってくる。姿は無くても。
出産に時間がかかったのは二人で交わした約束を果たすため。
「二人一緒に生まれ出ようと約束したから」
妹は姉にしっかりとしがみついていた。





               いいかげん私から離れていい頃よ
               私たちはジャスミン一人と一人、半分ずつじゃない
               私の代わりに私になるなんて頼んでやしない
               そんなことできない
               植え付けられた恐れに縛り付けられないで
               ただ真っ直ぐに光の方へゆきなさい
               間違った恐れに縛り付けられないで
               ただ真っ直ぐに光の方へゆきなさい


その人が亡くなったのは、あなたのせいじゃない。
もう自分を責めるのはやめなさい。
もしも私が死んだら、自分の大事な人の幸せだけを、ただそれだけを
念じていくだろう。
もし大事な人が、私の死によって自分を責めていたら
幽霊になってでも出て行って
「それは大きな間違いだ!!」と叱りつけてやるだろう。
ただただ、ただただ幸せでいてくれと、それだけを祈るだろう。


姉に諭され妹は、今生まれなおすのだ。
暗い暗い産道の中、まぶたを閉じていても光はわかる。
怖がらず、ただひたすらに、光の方にゆきなさい。



私と母は別の人間だった。
それはわかっているけど心を共有していた。
今更心を切り離したりしないで。
だってそんなことをしたら、
お母さんは本当に死んでしまうみたいじゃないの!!!!

          お母さんは亡くなったんだよ


しあわせ。

昔は、よくわからなかった。
佐藤愛子氏の著作にあったが、「人は自分が幸せかどうかなど考えずとも生きていけるのだ」
幸せか否かなど考える間も無く、無我夢中で生きてきた。




私は母ではない。
私が母を生きようとするのは傲慢である。
母には母の人生があった。
それが幸福だったか不幸だったかは、母にしか決められない。

私は私の人生を生きなければならない。
私のへその緒はまだ切れていないのだ。
まだどこかが繋がっている。

   お母さん、お姉ちゃんは幸せになってもいいんだろうか?
   
   あたりまえじゃないの、何言ってるの。

   でもお母さん、お姉ちゃんは幸せってよくわからないんだ。

そう言ったら母は傷つくだろうか。




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池田聡「なにも云わないで~NO APOLOGY~」「j・e・a・l・o・u・s・y」 [歌手]

どちらの曲も、作詞 : 湯川れいこ、作曲 : タケカワユキヒデ。
「なにも云わないで~NO APOLOGY~」と、「j・e・a・l・o・u・s・y」は
同じ曲に異なった詩がついている。

歌われているのは一組の男女の心の様子である。
どちらも池田聡氏のファンには人気が高い。

最初にどちらの詩のヴァージョンを聴いたかで、どうも好みが決まるようである。
ということは、どちらも完成度が高く、良い曲になっているということであろう。






「なにも云わないで~NO APOLOGY~」

池田氏の曲は(特に初期のものに多く感じるが)前奏が実にいい。
この曲も、ピアノとストリングスの音で、一気に幕が開いたように曲の世界が始まる。

夜明けの空が一番綺麗なグラデーションを見せる時間だ。
女は眠っている。
男は寄り添うように体を並べ、彼女の寝顔を見ている。
彼女の寝顔はあんまり幸せそうではない。

なんどか褥をともにしてきたが、彼女の最も愛する男は
今彼女の横にいる人とは違う。

男女の想いはどうして上手く向き合えないのだろう。
彼は彼女を想う。
その彼女は別の男を想う。
彼女に想われた男には、
既に想いを寄せる人がいた。

まるでロンドのように、それぞれの想いは愛しい人を追い続ける。

一人の男を愛すことに疲れきってしまったころ、
彼女の目の前に、今の男が現れた。
男は彼女を愛した。
けれど男が聞いたのは、彼女が涙を流しながら言った
「今の私は誰かの胸で泣きたいだけ」という言葉だった。


          君は彼のことが好きで、でもその想いをうけとめてもらえずに疲れきっていたね。  
          疲れていたけれど、君はとてもきれいだったよ。
          僕を愛していないことはわかった。
          でも僕は、君が愛おしかった。

          君は優しい人だったね。
          僕に抱かれながら、彼を想う自分を責めてた。
          僕はもしかしたら、君を救えるかもしれないと思った。
          自分の愛情で、君が幸せに微笑む日が来るんじゃないかと思った。


          君が目を覚ます前に、この部屋を出て行くよ。
          僕は君を、少しでも楽にすることができたんだろうか。
          何も言わないでいいよ。
          謝らなくていいよ。
          君が泣くのをみたくない。
          これでサヨナラにするよ。
          自分を責めないで。
          何も言わなくていいよ。
          謝らなくていいんだよ。





「j・e・r・o・u・c・y」

男は女を見ている。

ソファにかけた女はぼんやりと何処かを見ている。

男はずっと女を好きだった。
昨夜初めて、触れることの出来なかった彼女の心に触れ、体を合わせた。



          「恋はゲーム」と君が言ったとき、全てが崩れた。
  
          「時には私も誰かの胸で、泣きたいだけ」と、君は言う。

          君は僕に心を開いてくれたのじゃなかったの?
          ずっと閉じていた心を、あの時開いてくれたのじゃなかったの?


本気で恋をすると、男は少年のようになってしまう。

          「答えてくれ、僕だけのものと」

          それはただのジェラシーなのよ。
          女は彼の頬を手のひらで包み、幼子に言い含めるように答える。

          貴方は愛だと思ってるかもしれない。
          それは違うの。
          私は誰のものでもないの。


          だって、だって君はあんなに優しかったじゃないか、
          僕の胸で流した涙は、君のほんとの心だったじゃないか。


男は白いワイシャツの、中学生になってしまったようだ。
とうの昔に置いてきた真っ直ぐな瞳で、
真面目に抗議するように手のひらを握り締めている。


ああ・・「桜の森の満開の下」だ。私は思い出す。

海千山千の盗賊が、世間知らずのお姫様に翻弄されていく。

女の本質は残酷なのだ。
「母性」と「残酷さ」を併せ持っている。

この曲もいくつかのヴァージョンがあるが、とあるライブの音源が特に切ない。

ああ、男の人もこんな風に女の人を好きになることがあるのだと、その真摯さに打たれる。


桜の森の満開の下、花吹雪を浴びながら笑って走る女の姿が見える。
          「あなたは愛と思っているかもしれないけれど、それは違うの。
          あなたの気持ちはただのジェラシーなのよ」

どうしてわかってくれないのかと、男はただ女を見つめるのみである。
男は少年になり、今は母親に置いてきぼりをくった五つの子のようになっている

          どうしてこっちに来てくれないの。
          どうして僕に微笑みかけてくれないの。
          どうして僕がこんなに好きなことを、
          ―わかってくれないの。

男は、泣いている。



どちらの曲も好きだ。


もう私とは縁の無い世界の話だ。
愛も恋も置いてきた。
それでもこの曲を聴くと、確かに自分も男女の世界にかつて生きていたのだと思い出す。

もちろん全ての曲がそうなのだけど、この二曲は特に、
池田氏が幾つになっても歌い続けてほしい。
男の人は五十になっても六十になっても、もしかするともっと歳をとっても
こんなにまっすぐに恋をすることがあるんだろうか。


切なく流れる美しい旋律である。
そしてシンガー池田聡が、よく伸びる素直な声で、愛しさも、悔しさも、やるせなさも、優しさも、
数多の心の機微を丁寧に歌っている。


そこはもしかすると、桜の森の満開の下かもしれない。

屈強な山賊が恐れた「桜の森の満開の下」。
そこは「孤独」という場所かもしれないそうだ。




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「時代」中島みゆき [歌手]

この歌のことを書くのに、こんなに何年もかかってしまった。

発売が1975年。もうじき40年が経とうとしている。

平易な言葉。
平易なメロディ。
なんら奇をてらったところがない歌を、
これまた静かに、自然に、そよぐ風に身を任せるように中島みゆきが歌う。


          今はこんなに悲しくて
          涙も枯れはてて もう二度と笑顔には
          なれそうもないけど

出だしにそう嘆いたあと、ポロポロとギターのアルペジオに続く。

          そんな時代もあったねと
          いつか話せる日が来るわ
          あんな時代もあったねと
          きっと笑って話せるわ


そうなんだろうか・・
今、嘆きの最中に居る人には「本当だろうか」と思えるだろう。
何年経ったって、笑ってなんか話せない。

でももしかしたら。
微笑んで、「よくがんばったね」とは言えるかもしれない。


          だから今日はくよくよしないで
          今日の風に吹かれましょう


          まわるまわるよ時代はまわる
          喜び悲しみくり返し
          今日は別れた恋人たちも
          生まれかわってめぐりあうよ


今このときも、時は流れを止めずに流れ続けている。
辛い時期があって幸せな時期があって
その二本の紐を編んでいくように、日々は続いていく。
ふと紐を見れば、哀しみと思っていた時期が懐かしい色に染まり
幸せと思っていたはずの時期が、悲しみの位置に置かれていたりする。

中島みゆきは喜びと悲しみで編まれた時の流れに、
細い銀の糸を織り交ぜる。
「希望」というその細い糸は、決して切れてしまうことなく
時の流れに組み込まれていく。


恋人と別れ、二度と会えぬと思えば辛すぎる。
しかし中島みゆきは「そんなことはない、大丈夫」だと歌う。

今日は別れたあなたたちも、生まれ変わってちゃんと又巡り合うのだと
さり気なく歌うのである。



          旅を続ける人々は
          いつか故郷に出会う日を
          たとえ今夜は倒れても
          きっと信じてドアを出る
          たとえ今日は果てしもなく
          冷たい雨が降っていても


そうだ、人生は旅に似ている。
遠い昔、誰もがそうしたように、自分の足で一歩一歩歩く旅だ。

筋肉は固まり、豆はつぶれ、剥けた皮膚に布が触れれば飛び上がるほど痛い。
ああ・・こんなはずではなかっと、
思う傍から雨が降ってくる。

もう一歩も進めないと思うことが、人生の旅で幾度あるだろう。
そう思っても夜は更け、やがて日が昇り、旅人は又一歩
前に進むのである。

          たとえ今日は果てしも無く
          冷たい雨が降っていても



果てしないものなど、何も無かったのだ。

雨もいつかは止む。
よろこびも永遠には続かない。

          めぐるめぐるよ時代はめぐる

中島みゆきの歌声が、輪唱のように響く。

          別れと出会いをくり返し

ああ・・この絶望からも、いつか抜け出せる日がくるのか・・

          今日は倒れた旅人たちも
          生まれ変わって歩き出すよ


いつかいつかここから、違う場所に歩いていけるのか・・


忘れる、のではないんだ。
愛しい愛しい人を、忘れるはずがないじゃないか。
ただ哀しみが、少しずつ、少しずつ、薄れていくだけだ。


 
この歌は、中島みゆきの原点だと思う。
若干二十歳で「諸行無常」を自分の言葉と音で歌った。
その曲はあまりにもさり気なかったから、
そして彼女はあまりにも自然に歌ったから、
この曲の深さを見落としてしまう人たちもいた。

けれど、二十歳の中島みゆきが「ヤマハポピュラーソングコンテスト」の会場で
この曲を歌ってから約40年。
彼女が祈りのように込めた希望の糸の細い光を絶やすことなく、
この曲は幾万の人の心を、慈しみ抱いてきたのである。



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池田聡「missing」 [歌手]

太宰治の最初の作品集の題は「晩年」。
渡辺謙は大河ドラマ「独眼流正宗」でその名を馳せた。
しかし、あまりにも強烈なその役のイメージが付いてまわり、
「ラストサムライ」に出演するまで、完全にそのイメージを拭い去る事は
出来なかったように思う。



「missing」というアルバムがある。

ジャケットには青年が写っているが、すばやい動きに追いつけなかったのか、狙ったものなのか、
画像は克明ではない。

青年は、当時大学4年生、23歳の池田聡。
写真に収めたのは、人気絶頂期の小林麻美。


1. デクレッシェンド
2. 倉庫BARにて
3. 色あせたBlue
4. なにも云わないで ~NO APOLOGY~
5. 哀愛君
6. My Jenny
7. DIANA(ディアーナ)
8. モノクローム・ヴィーナス
9. Moon Shadow
10. tears

散々言い尽くされたことだが、この池田聡氏のデビューアルバムは実に完成度が高い。
ほぼ100%と言っていいんじゃないかと思う。
一つの世界が見事に構築されている。

池田氏の声の質、年齢、容姿、一曲一曲の素晴らしさ。

そういう全ての要素が、ある時期の最高値のときに出会う「奇跡のシーズン」。
そのシーズンでなければ作られ得なかった作品たちがある。
例えば映画なら「ローマの休日」や「セーラー服と機関銃」など。


最初に最高のものを送り出してしまった人は、その後がしんどいだろうな・・と
勝手に想像する。

今、youtubeに彼の歌がたくさんupされている。
多くは25年から20年も前のものだが、実に良い。

彼の声はシャネルの5番みたいなところがある。
ほどよく甘い。
ほどよく暖かい。
品が良く、ほどよいやわらかさで、
周りによく通る。
そして。
香りの最後の最後、ほんの少しの「哀しみ」がある。

23歳の朴訥な青年の恋が、様々な形で入っているアルバムである。
このアルバムの中の「モノクロームビーナス」は爆発的にヒットし、
彼は当時の歌番組の常連になった。
毎週毎週出続けて、この人の持ち味である声の伸びが悪くなったのを聴いたときもある。
きっとすごく疲れているんだろうな・・と、ほぼ同い年の私は思った。

あれから時は流れて、私は、今の五十代間近の彼の歌う
「なにも云わないで ~NO APOLOGY~ 」や「倉庫バーにて」などを聴きたいと思った。
昨年デビュー25周年ということで記念のツアーを行われたそうなので、
きっとそこで聴くことが出来たんだろう。

今年になってから池田聡熱が再燃した私は、なんだかタイミングが悪い。
聞き逃してしまった。


「月の舟」も名曲である。
槇原敬之氏はじめ、何人かにカバーされている。
でも、私は池田氏の歌う「月の舟」が好きだ。
それは先に書いた哀しみが、彼の声にあるからだと思う。

この方は、伊勢正三氏、沢田知可子氏、中西圭三氏など様々な方たちと
コラボレーションされている。
それはそれでよいのだけれど、
でも本当のことを言うと、私はやはり池田聡一人がホール中央に立って
その良く伸びる声で歌を歌ってほしい。



「僕はある時点から、上手く歌おうとは思わなくなりました」
記憶違いでなければ、そう語っておられた。

多くの人の期待、希望、好意、夢、憧れ。
そういったものを自分の意思とは関係なく与えられる事は、
つらくは無いんだろうか。

ここ数日、ずっとこの人の「なにも云わないで ~NO APOLOGY~ 」を聴いていた。
25歳のときに繰り返し聴いた曲だ。
もうじき50歳になる今、私はまた聴いている。
おそらく、私にはもう二度と訪れない恋愛の情景が歌われている。

「今の私は誰かの胸で泣きたいだけ」

そう言った女の人の気持ちが、25歳のときよりはわかる。

池田聡はあまりにも素晴らしい作品集でデビューし、そしてそれからずっと
今日も、歌い続けている。

同じ時代に生まれてよかったと思える、数少ない歌手の一人。






      追記 文章中、沢田 知可子さんのお名前と「月の舟」の表記が誤っておりました。
          大変失礼いたしました。謹んでお詫び申し上げます。




      
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「毒をんな」作詞作曲:中島みゆき [歌手]

あたしは容貌がすっかり変わってしまい、
道を行くと、主婦らしき女たちは決して私と目を合わせない。
でも遠くから数人かたまって、眉間にしわを寄せて何か話しながら
私を見てるのを知っている。


あたしは今夜も店に出て、男の話を聞き、酒を作り
そして言われれば奥の部屋に行く。


昔々、もう生まれる前ほどに遠い昔、
あたしは好きな人と夜明け前の埠頭を歩いた。
女あしらいも知らないその人の、白いシャツに包まれた背中を見ながら歩いた。


こんなあたしにも本気で、忠告だの愛の告白だのをしてくれる男がいる。

ありがたいけれど、あんた。
早くお帰り。


まだここから戻れると思っていた頃、私は逃げ出そうとして手紙を書いた。
ペンも紙もないから、指先を噛み切ってレースペーパーに血で書いた。
助けて、助けて、助けて―
窓から紙飛行機にして飛ばした手紙は、誰も手にとっては
くれなかったんだろうか。



「こんなとこにいたら駄目になる」と、
あたしの頬を打って手首をつかんだ男の瞳は、
まるで森の奥の湖みたいに澄んでいる。

馬鹿だねあんた、早くお帰り。

あたしはもうここでしか生きられないんだよ。
蓮の花は泥の中でしか咲かないだろう?
あたしは蓮にもなれないけれど。

でもせめてあんたを助けてやろう。

「あの人はただの素人の客、このあたしに説教たれたあげく
酔いつぶれ、いびきをかいて寝てました」


まだここから戻れると思っていた頃、私は逃げ出そうとして手紙を書いた。
ペンも紙もないから、指先を噛み切ってレースペーパーに血で書いた。
助けて、助けて、助けて―
窓から紙飛行機にして飛ばした手紙は、誰かの靴に踏まれたんだろうか。




「毒をんな」は、中島みゆきが今の段階にくる少し前、「36.5℃」というアルバムの中の一曲。

イントロのパーカッション。
そこに被せる様に女の含み笑いが響く。
ん・・ふふふふ・・・

地面の底から響いてくるような笑い声は、「毒をんな」というタイトルにぴったりだった。



この曲で当事私が一番好きだった箇所は、

          噛み付かれたら噛み返すよ
          踏みつけられたら足を掬うよ
          そうならなけりゃ誰があたしを
          守ってくれるというの

というところだった。



忌み嫌われている女が、自分なりの「愛の言葉」を発する箇所がある。

          愛してません他人でした

それが女の「愛の言葉」である。
自分に本気で惚れて救い出そうとした男を、体を張って守った。




中島みゆきを観ていると、ときどき菩薩のように思えてくるときがある。

もちろんそれは、錯覚なのだけど。




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ちあきなおみ「黄昏のビギン」 [歌手]

ちあきなおみ、という歌手は、私はリアルタイムで歌を聴いてきた世代である。
ただ、聴いていた頃はまだ子どもだったり若すぎたりして、
この人の良さを十分にわかっていなかった。
 

          雨に濡れてた たそがれの街
          あなたと逢った 初めての夜
          ふたりの肩に 銀色の雨
          あなたの唇 濡れていたっけ


ちあきなおみの声は、まるで霧で出来ているようである。

若い男女の出逢い
その時降っていた霧雨のように、
私たちの耳を、皮膚を、心を、しっとりと濡らしやがて染み込んでくる。


          傘もささずに僕達は 歩き続けた雨の中
          あのネオンが ぼやけてた


あくまでもさり気なく、降り続く霧雨のような声で
ちあきなおみは一番を歌いきる。

さりげなく聴こえる理由のひとつは、彼女はほぼ全ての音符の長さを
そのとおりに歌っている。
よく感情を込める時にされる、ある部分だけを長くしたり間を取ったりをしていないのである。

ある意味、中学生や高校生の合唱部のように、楽譜に忠実に、一音一音大切に歌っている。
そして特に歌い上げるわけでもなく、これは歌好きの奥さんが鼻歌を歌いながら
家事をするように、穏やかに静かに歌っている。


私はこの曲で初めて、「ビギン」というリズムを心地よく感じた。
まるで樹と樹の間に吊られたハンモックに揺られているように、
ゆったりとしたリズムに身を任せる。

黄昏の街はいろいろな表情を見せる。


          雨がやんでたたそがれの街 あなたの瞳夜にうるんで


雨の夜に出遭った男女は、その後何回のたそがれの街を歩いたのだろう。

1959年、高度経済成長突入の頃の東京で、ささやかな想いを育てていく。

会社帰り、なかなか時間が合わないけれど、月に何度かともに時間をすごした。
と言っても、若い彼らはたそがれの街を歩くだけである。
たそがれ時は、街の景色を幾つにも変えた。

雨の、雨上がりの、晴れた、それぞれの黄昏の街の景色は二人だけの秘密の宝物である。

そしてある日、二人だけの宝物の景色の中で、誰からも見られぬように
並木の陰で初めてのキスを交わす。



今回、実に様々な人たちがこの「黄昏のビギン」を歌っていることを知った。
藤田まこと、水原弘、石川さゆり、kumiko、中森明菜、ビギン、他。
いろいろな人の歌うのを聴いて、私はちあきなおみの歌うこの曲が一番好きだった。


恋は、「溜め」の時間があった方がいい。
会ってその日に体の関係を持つ場合もあるだろうが、想いを溜めている時間こそが
恋の醍醐味のように思う。

会いたくてもなかなか会えない。
いろいろ聞きたくて知りたくてたまらないのに、聞けない。
触れたいのに触れられない。
そんな時間に想いは熟成されて、望みが叶ったときは喜びは何倍にもなるだろう。




ちあきなおみは、非常に実力のある歌手だったと思う。

この一曲を聴いても、声の大きさ、ビブラートの入れかた、音を伸ばす長さ、
それぞれが、これ以上は無いというほどに的確である。

そして、それだけの技術を駆使しながら、彼女は心を込めているのである。

成長期の日本の、若い男女の恋の喜びや悲しみを、降り注ぐ霧のように歌う。
傲慢さのかけらも無い。
虚栄も無い。
なんと謙虚に曲と向かい合っているのだろう。


          初めてのキス
          初めての・・   キ・・ス


曲の最後、まるで本当に今キスを交わしたように顔を上げちょっと突き出し
そして「ス」の音を伸ばしながら顔を背けていくところは、
舞台演劇のワンシーンのように見える。


歌の神様に全てをささげた人。


ちあきなおみという人は、そういう人に見える。


作詞 : 永 六輔
作曲 : 中村 八大




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「赤い花」中森明菜 [歌手]

韓国のドラマ「All in」の主題歌であるパク・ヨンハ「初めて出逢った日のように」のカバー曲。
歌詞とアレンジはオリジナルである。



前奏は、一人の男のアカペラから始まる。

続くメロディと、リズムを刻む打楽器は、まるでどこかの国の
宗教音楽のようだ。

この曲は、陰鬱なまでに暗い
歌う中森明菜の心が乗り移ったように、たまらなく辛い。


全身全霊で愛した男が去ってゆく。

中森明菜がハスキーな声で、

-最後の涙をあげましょう

と、歌う。

最後の涙は「末期の水」だ。

懸命に愛し、懸命に咲き続けた花の命が尽きるとき、
彼女は自分の涙で、花弁を優しくぬぐってやるのである。


心は千切れそうに痛い。
だからせめて去り行く人に、自分を切り裂いてもらいたい。
何も感じぬほどに、この傷よりも深い傷をつけてほしい。
そうすればもう、心の離れてしまった男を追いかけることも無い。



この歌は、命をかけた愛が死にゆくのを見取り、弔う歌だった。

ならば、聴いているこちらの胸が引き裂かれそうに痛むのがわかる。


赤い花は、命が尽きてもまだ赤い。
この砂深く埋めてやろう。

荒涼たる砂漠に吹きすさぶ風に乞う。

どうかこの花をさらっていってしまわないで。
もう二度と触れられぬ程深く埋めるから。

だからどうか、この花が土に帰るまでそっとしておいてやって。

わたしはただ、そこまでを見守りたいだけだから。


-最後の涙をあげましょう

埋めた花に女は告げる。

ありがとう。
辛いこともあったけれど、楽しいこともたくさんあった。
幸せだったよ。

この涙は、終わった愛への最後のお別れの言葉のようだ。



中森明菜は、他に幾つもの別れの歌を歌ってきている。
その中には、わたしも大好きな歌がある。

しかしこの歌ほど辛い別れは無いように思う。


もう若くは無い女が命をかけた恋は、一度見事に花開いた。
その花は、どんなにか美しかったことだろう。

けれど男は去ってゆく。

愛は死んだのだ。

最高に美しかった姿を見ているから、
これが最後の恋だろうから、
生きていくのも辛かろう。

残された女が見ているのは遥かに広がる砂漠だ。
叫んだ声も相手に届かぬその場所を、
女はとにかく前へと歩いて行かねばならぬ。


赤、というのは可愛らしい色で、惹きつけられる色で、情熱的な色で
そして、どこかに禍々しさを含んだ色である。

その禍々しさがどこから来るかといえば、なりよりも「血」の色だからではないか。

女が全身全霊をかけた愛には、生身の女の血が流れている。

女は男より、遥かに血とは縁深い。

初潮。
月経。
処女。
出産。
流産。
堕胎。


女の歴史は血の歴史でもある。


そして、これから果てない荒野を歩いてゆく女の頬には、
血の涙が、流れているように思うのである。





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「TATTOO」中森明菜 [歌手]

1988年。当時、中森明菜は24歳。
彼女の顔はまるで子供だ。
パーツの一つ一つが、皆幼い。
けれどそれらはどれもこじんまりと整っており、滑らかな肌とともに、
良く出来たお人形のようにも見える。
お祭りや七五三。幼い子供に化粧を施したときの妖しさが、
この歌の中森明菜にはある。

髪を高く大きく結い上げ、うなじから肩、背中、前に廻って乳房の上部までが晒された衣装。
スパンコールが輝くそれは、酒場の照明によく映えるような、鮮やかな赤や青の衣装だ。

子供みたいな顔の作り。
東洋の女しか持ち得ぬ滑らかな肌。
小柄だが、均整のとれたスタイル。

その彼女が前奏の響きとともに激しく踊りだす。
歌いながらカメラに向かい、視線を流し時には睨みつける。

この人は、とことん腹が据わっているのだ。
中途半端なところが無い。



私はこの歌を歌う明菜を見ると、いつも終戦から間もない日本の酒場を思い浮かべる。
映画やドラマでしか知らないのに、なぜか彼女は“そこ”に居るような気がするのだ。

自分を助けてくれる人など誰も居ない。
たった一人で瓦礫の世間を歩いていく、少女と女の間のような
力は持たないが、必死で生きている人間を見る気がする。

中森明菜は、いつも全てを受けいれる覚悟で歌を歌っている。
だから、私は彼女に纏わりつく、酔った男達の欲望を含んだ視線までもを
感じることが出来る。
ギリギリの緊張感がある。
一歩間違ったら奈落に落ちる危険を感じながら、
目の前の煌びやかな世界に惹き込まれる。

アルコールとタバコの匂い。
安いコップのぶつかる音。
雑多な話し声。
卑猥な言葉。
暗い座席。
ライトに照らされ浮かび上がる幼い歌姫。


男と女の軽いゲームのようなやり取りではない。
どちらに転んでもお互いにアハハと笑える、
そんな屈託の無さでは無い。

人の欲望、裏切り、屈辱。
絶望、渇望、希望の光。

そういうドロドロしたものを背景に、この歌の世界は成り立っているのだ。


冷たい泥水に身を浸して、初めて開く蓮の花のようだ。

あんなに美しい蓮の花は、清い大地では咲けない。


リリースから四半世紀近い時が流れたが、「TATTOO」の世界を歌えるのは、
中森明菜しか居ないと私は思っている。

泥に漬かり続けた時間のご褒美のように、中森明菜は煌いている。
酔客たちにどれほど厭らしい視線を投げつけられようとも、
それによって汚されはしない底力を感じさせる。


こういう歌を、ずっと聞かせて欲しいのだ。
にこにこと微笑みながら、さらりと流れて何も心に引っかからない歌はつまらない。
人の汚さや哀しさをちゃんと知っている人が歌う歌を、私は聴きたい。



       作詞: 森由里子
       作曲: 関根安里


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