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大原麗子  [女優・俳優]


可愛い


一時代、可愛い女といえばこの人のことだった。



その中でも傑出していたのが
「少し愛して、ながーく愛して」のコマーシャルだろう。

まるで一遍の映画のように完成度の高いこのコマーシャルは
市川昆監督の作品だそうだ。
完成度の高さもうなずける。



このごろあんまり見かけなくなったなあ・・と思っていたら、
先日テレビのワイドショーで、この人の声だけを聞いた。

自宅のインターフォン越しに、インタヴューを受けている。



自身が怪我をしたことで、90歳になるお母様が心配して寝付いてしまったとのこと。

「お母さんは私の恩人なんです。
お母さんは私の命なんです。」

泣きじゃくりながら叫ぶように訴えるこの人の声は
本当に、混乱の極みにあるように聞こえた。



この人がまだ若い時分に「ギラン・バレー症候群」という難病にかかったことは
二十年くらい前の雑誌で読んだことがある。

そのときも、「家族に看病してもらって、家族の大切さを本当に感じた」と述べていた。


しかし、乳がんを患っていたとは知らなかった。

最近ではどんどん「私も乳がんでした」という人が出てきているが
この人が発症した二十数年前は、まだまだ公にする人はいなかった。

まして女優さんであれば、そのまま女優生命に関わることだったと思う。

あれだけ「綺麗だ綺麗だ」「美しい」「女っぽい」といわれた人だから
どれだけの衝撃だったろうと、思うこちらの思いを超えて、ショックだったと思う。



可愛い女といわれる一方で、「ものすごい我侭らしい」という噂もよく聞いた。


二度目の離婚のときの会見で、
「ええそうです、私が悪いんです。全部私が悪いんです」と、
サバサバ答えている姿は嫌味がなく、いっそ気持ちがよかった。


この人の孤独の深さなど、他の女たちにそうそうわかるレベルでは無いはずだ。



「少し愛して、ながーく愛して」のシリーズで、この人は様々な「可愛い女」を演じている。


まずたいてい着物姿である。

あの当時家で着物を着ている奥さんはまずいなかったと思うけれど、
この着物にたすきがけで頑張るところが健気なのだ。

で、彼女はよくプリプリしている。

一応旦那様の前ではしない。

「いまから帰る。
 20人連れて帰る」
そう、突然に電話で告げられた直後や

せっかくの結婚記念日に、ケーキを準備して待っているのに
いつまでも旦那さんが帰ってこないときなどに
むくれきったり、ぷりぷりした顔をする。

女優さんで、こういうときにあんまり変な顔にならないようにする人がいるが
大原麗子は平気だ。

えっ?そんな顔を・・
えっ?そんな格好を・・
というようなところを、しばしば見せてくれる。


CMの彼女は、プリプリしながらも
積み上げた椅子や食器を運んだり、
山のような芋の煮っ転がしを作ったり
ケーキを側に、転寝してしまったりする。

又別のバージョンでは、おいしい漬物を漬けるために
旦那のダンベルを、重石に使う。

重たいから漬物樽までは足で転がしていく。
で、「どうだ!!」とばかりにダンベルを持ち上げてみせてくれる。

まあ持ち上がってはいるけれど、
麗子ちゃん大丈夫?
お顔もお手手もぶるぶるよ・・

でも彼女はがんばっちゃっているのだ。



で、旦那が20人引き連れて帰ってくると
女房の戦いの幕開き、どばかりに指をぽきぽきならしたり、
無事ダンベルを樽に乗っけてくたびれはてて、
樽に寄りかかって足を投げ出したりしている。

時には飛びっきりの笑顔をみせてくれる。


そして最後に
「少し愛して、ながーく愛して」


かあわいいなあ・・・


彼女は旦那さんに喜んでもらいたくて、
旦那さんに褒めてもらいたくて、
一所懸命一所懸命しているんだもの。

それだけ旦那さんに惚れてしまっているのだもの。


このシリーズ全編に通じる「一途さ」が、たまらなく可愛い。




この人は声がいいと散々言われているが
音に対しての感性が鋭い人だと思う。

「序の舞」で上村松園を演じたとき、京都弁の「―どす」という音について

「うん。”どす”と”だす”の間みたいな音でね。(ここで彼女は実際に発音してみせた)
とっても柔らかい感じでいいですね」と話していた。

言われてみると、決して「―どす」ではないな・・と気づき
女優さんというのは違うものだなあと感心した。





「少し愛して、ながーく愛して」から四半世紀。


この間に、大原麗子にはいくつの困難がやってきたのだろう。

日本の女の美の極致のようだった三十代後半。

離婚。

病気。

親の介護。



先日のインタヴューからは、大原麗子も又、一人の生活者であることが伝わってきた。


吉永小百合のように、好きな女優さんが頻繁にその姿を見せてくれることも嬉しいが
大原麗子はほんの時々出てきて、そしてとびっきりの可愛い佇まいを見てくれれば
それでもう、十分に嬉しい。





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檀れい 薄化粧の勝利 [女優・俳優]


この人は誰だろう?

サントリー「金麦」の、でっかいパネルを見たときの感想。



奥さん、といった感じの女の人。

おうちでせっせと、旦那様の帰りを待っている。


サントリーCMの系譜でいうと、四半世紀前の、レッドの大原麗子と同じだろう。

着物着て、イモの煮っ転がしを作ったり、鉄アレイを重石に漬物つけたりして
「少し愛して、長ぁく愛して・・」と言ってたあれ。


あの当時の大原麗子と今の檀れい、ともに三十六、七。


女からみるとけっこうあざといんだけど、男の人に人気なのはわかる。





檀れいという人は、薄化粧の方がずっと良さが引き立つ。

びしっとお化粧した動画もいくつか見たが、「綺麗な女の人」で終わってしまう。


檀れいを抜擢して、そして何よりあの薄化粧にさせた仕掛け人の勝利である。


木綿の白い半そでのブラウス
レンガ色の膝丈のスカート

肩にかける形ではない、腰に巻きつける白いエプロン

ソックスにペタンこのクツ。


昔よく見かけた「奥さん」のイメージだ。

今はあんまりお目にかからない。

髪の毛はもっと長めで、カットソーにジーパン、といったところの人が多い。



このシリーズは、どの季節のバージョンも全てレトロだ。


夏は木綿のワンピースに麦わら帽子。


冬はとっくりセーターに膝丈のスカート。足首で留まった厚手のソックス。



昔、大原麗子が一所懸命だったように、
檀れいも頑張っている。

愛しい旦那さんの帰りを窓から眺めて待ち、
待ちかねて、「金麦先に飲んじゃうからーっ!」と叫んだり
金麦が美味しくなったのが嬉しくて
お尻を振ったり走ったりのダンスを、張り切って見せてくれたりしている。


清楚で、けなげで、一所懸命で、
つまりはとっても可愛い女がそこに居る。



今時すっかり見かけなくなったこんな女を
やっぱり男の人は一番好きなような気がする。


「僕たちの母親の世代なんていうのはね、
化粧なんて、せいぜい白粉つけて口紅さっと引くくらいでしたよ」

そう言ったのは、大学時代大好きだった国文学の先生だ。


そう、そう。
フルメイクの母親など想像したくない。
想像すると、怖い。

「お母さん」は、いつもちょっとしかお化粧しないのだ。



このCMの檀れいは、奥さんで、そしてお母さんだ。

一所懸命なところは、出逢った頃の娘のようだ。


あざといけど、わかる。


私が男でも、やっぱりあのコマーシャルの檀れいには心惹かれる。






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柴本 幸「由布姫」 [女優・俳優]

聞けば、柴俊夫氏と真野響子さんの一人娘だそうだ。

きんちと躾けられ、愛情を注がれて成長した育ちの良さは
上品な姫様にはよく合ったと思う。

又、おそらく学生時代は勉学に励んでいたのであろう
鼻につかない知性も感じられる。

このドラマの出演者お披露目の集合写真では
前髪を上げて結び、白いワンピースを着ている。

最近見かけることのほとんどなくなった「清楚なお嬢さん」の姿があった。

もともとの顔のつくりはお父さん似なのかな?と思うが、
ちょっとした顔の向きや表情など、何かの拍子に
「ああ、お母さんに似ているなあ・・」と、思う。

当たり前だが「親子」というのはすごいなあ、と改めて感じる。


この人は、本当に「お見事!」と言いたくなる位
絶妙のタイミングで涙を流す。

瞬きひとつしない目に涙が溢れ、
計ったような最適な箇所で、それが一筋流れ落ちる。

長い大河ドラマの歴史の中で、素人のヒロインは初めてのことだそうだ。

そりゃあそうだろう。

例えば「独眼流正宗」の渡辺謙は、知名度こそ高くはなかったが
しっかりとした演技の基礎があった。

学生時代の演劇部のみが演技体験というのは、この人のみだろう。

某巨大掲示板で、散々演技や容姿をけなされていたが
私はこの人に、なぜか強く惹かれた。

由布姫は、心の奥にマグマを抱いている人のようだ―

柴本幸本人がそう語っているが、私もそう感じた。

いろいろな意味で、「激しい」「情の深い」人だと思う。

自分の生まれた国を愛し、家族を誇りに思い
その家族を死に至らしめた晴信を憎み
憎みながらも愛してゆく。

難しい役どころだなあ、と改めて思う。

本来、新人がする役ではないとも思う。

彼女の演技は、確かにまだまだ硬さが残り
深みに欠ける部分もいくつもあった。

「消えた姫」の回が印象的だ。

正室、三条夫人への嫉妬、晴信への愛情の飢え
それらがない交ぜになって、
心とは反対の、晴信や三条夫人を侮蔑する言葉を吐いてしまう。

そして、その一部始終を見ていた晴信から
一時諏訪に返される途中、姫が出奔してしまう。

晴信はあくまでも、姫の気持ちを落ち着けようととった行動なのだが
姫は、自分は疎んじられたと思い込む。

雪の中、勘助がやっと見つけた由布姫は
小さなお堂に一人居た。

ここで「お屋形様の御しるしが欲しくなる・・」と、由布姫は言う。

なぜならば
「戦で死なれるのも嫌。
お方様にとられるのも嫌。」

ならばその愛しい首と共に居たいからである。

この場面を見ながら、せん無いこととはいいながら
「ああ、もしこれがこの人のお母さんなら
本当に上手に、女の業と悲しみを演じただろうな・・」と、思ってしまった。

それでもこの人の演技には、強い磁力があったのだ。

その役の「心」「魂」というものに、常に寄り添い表そうとしていることが
見ているこちらに伝わってきたのだ。

このごろほとんどテレビも見ていないが、
ありがちな、役の上辺をなぞったような演技ではなかった。

その役の人物の「魂」を「思い」を、自分の体を媒体に
表出しようとしていた。

この人が今後どうなっていくのかわからないけれど
今年の大河の「由布姫」は、
私の中でずっと印象強く残っていくと思う。

自身の激しさに翻弄されそうになりながら
なんとか舵をあやつり、船を進ませ
想いが叶うかを見届けられずに亡くなった
どこか器用でない姫が
この、柴本幸という生真面目な女優さんと重なって
覚えていると思う。


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マリリン・モンロー [女優・俳優]

マリリン・モンロー。

この人は不思議な人で、
男の人からだけでなく、女の人からも絶大な人気がある。

あれだけフェロモンを出し続けながら
彼女が世界中の女たちから愛されるのは、
彼女が淋しそうだからではないか?

私達が目にする当時の写真ポスター映画の一場面、などなど・・

彼女は、真っ赤に塗ったぬめりのある口を大きくあけて笑っている。

又彼女は、まるで男女の交わりの最中のような、
目も口も半ば開いた顔で、すこうし笑っている。

体のラインを強調したドレスを着、大振りのアクセサリーを身につけて
体をくねらせたり、大仰に驚いたり、ウィンクしたり、
腰を振って歩いたりしている。

ちっとも淋しい場面ではない。
むしろ、こちらも笑ったり、楽しい気分になるような写真だ。

なのに、彼女の中の悲しみや淋しさがわかってしまう。
そしてそれは、彼女を見つめる女たちの悲しみや淋しさに、
共鳴してしまうのだ。

彼女自身が、「私のお気に入り」と記した写真がある。

バスローブをまとい、その袖をまくり、窓辺に頬杖をついている。

カメラに向かって、正面から、ちょっと陰りを含んで微笑んでいる。

若い女にはできない微笑だ。
悲しいことをたくさん経験して、初めてできる微笑だ。

―このときモンローは、レンズの向こうに何を見ていたのだろう?

当時好きだった男か、
かつてかかわりを持った男たちか、
自分の幼い頃からの情景か、
登りつめたのに未だ満たされぬ自分の心か。

それともそんなことは考えず、ただのんびりと、気持ちのいい風に吹かれていたのかもとれない。

私もこの写真が好きだ。

彼女独特の化粧は施されているが、アクセサリーもつけず
コットンのバスローブをまとった写真が本人の一番のお気に入りというのも、
皮肉と言えば皮肉かもしれない。

彼女は自分が「ただの頭の悪い、セックスシンボル」と思われることを
とても嫌がった、と聞く。

頭が悪いわけがないではないか。

―寝るときは、何を着て寝ますか?
そんな記者からの質問に

「シャネルの5番よ」

そんなセリフは、頭がよくなければ出てこない。



彼女は愛情を欲し、欲し、
何度か確かに手に入れたと思ったはずだが、
粘土のようにずしりと重く、しっかりと形を成していたはずの愛情は
何時の間にか乾いた砂のようになり、
彼女の指の間から、さらさらと零れ落ちてしまった。

彼女が求めた愛情は、
技巧に満ちたセックスでもなければ、耳に心地よい言葉の数々でもなかった気がする。

彼女が生涯かけて求め続けた愛情は、
幼子に対する素朴な父親の抱擁、だったように思う。

それはもう、現実には得られないものだ。
彼女は大人になってしまっていたから。


モンローの、「好きな男のタイプ」があるそうだ。

背が高い。
眼鏡をかけている。

もう一つは忘れた。

自分よりも大きくて、自分よりも頭が良い。

それは、幼い女の子から見た父親像に似ている。

マリリン・モンローは悲しい。

幸せな人の微笑みも好きだけれど、
悲しみに満ちた人の微笑みの方が、
私は何故か好きだ。





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田中裕子 [女優・俳優]

色気、というのが、どうもよくわからなかった。

友達との会話で、女優さんや俳優さん、芸能人の名前があがり
「○○って色っぽいよえね・・」などという話になっても
いまひとつピンとこなかった。

田中裕子―

色気のある女優、というと、たいていこの人の名が挙がった。

私はさっぱりわからなかった。


面長の輪郭。

目も鼻も口も、顔のパーツが皆ちんまりしている。
それでいて一つ一つ、丸みを帯びている。

当時の彼女は、真っ直ぐな長い髪を自然におろしていた。
前髪の生え際がきれいに立ち上がり、ふうわりと頬におちていた。

小さめな唇はちょっと受け口で、斜め上から見ると花びらみたいだった。

この人は、ふつう女優さんならしないだろうと思うような
不用意な表情や、ある意味無様な格好もしばしば画面やスクリーンで見せた。


その頃私はまだ学生で、毎日同じ経路で通っていたのだが
その途中に、洋酒屋さんがあった。
そのお店が入っているビル(駅ビル)に足を踏み入れると、正面に
田中裕子のポスターが見えた。

彼女のポスターを見ながら数メートル歩く。

その彼女は、淡い色の薄いゆったりとした服を身にまとい
こころもち顔を上げこちらを見ていた。
何にも考えていないような、ふわっとした顔だった。
目はこちらを見ていながら少しうつろで、唇がほんの少し開いている。

どちらかの肩がちょっと上がっている。

何の策略も持たないような無防備さで、
でも見方によっては、非常に挑発的だった。

―たおやかな童女の色気、と書いたのは、某大新聞の記者である。

―なんだかときどき幼稚園の子みたいだね・・、と言ったのは、母である。

いつのまにか 、私もこの人の色気がわかるようになった。

「夜叉」「天城越え」「ザ・レイプ」などなど

久世光彦氏は、好んで彼女を使った。

向田邦子原案のドラマは、いつも楽しみだった。

「この人は歳をとったらどうなっちゃうんだろう・・」と、密かに不安に思っていたことがある。
われながら大きなお世話である。

可愛い五十代の女の人になった。

昔から、この人の演技のレベルは凄いな、と思っていた。

例えば加藤治子さんのように、あのお歳になってもあの色気、
という感じになるのだろうか。

「おしん」で国民的女優になり、「天城越え」の演技は非常に高く評価され
社会的には認められないところから始まった恋人との関係は、
今ではご夫婦になっている。

しばらく見かけることがすくなかったけれど、最近は
「読書する日」「火火」など、出演が多くうれしい。

まだまだ現役の女で、可愛いおばあさんまで演じてほしい。


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渡辺謙 [女優・俳優]


波瀾万丈―

この人ほどこの言葉が当てはまる人も、あまり居ないのではないか?

NHK朝の連続テレビ小説「はね駒(はねこんま)」でお茶の間に顔と名前は浸透したが
まさかその翌年に、大河の主役を張るとはほとんどの人が思わなかっただろう。

渡辺謙が演じた「独眼流正宗」は、歴代大河ドラマの平均視聴率がトップだそうだ。

この人は、近年多く出てくる小粒の俳優とは違った。
何かが決定的に違った。

演技力のレベルも違ったし、エネルギーの量も違ったし、勢いも違った。
当時、あの北大路欣也に引けをとらない演技をした。
勝新太郎と同じ画面に映っても、なんとか均衡をとっていた。

皆が「すごい役者が出てきた」と思った。

「独眼流正宗」の後、主演映画「天と地と」は、海外進出も考えられていると聞いた。
日本から世界中に知れ渡る俳優が出てくるのかと、胸が躍った。

しかし。

ご承知のように、彼はこのロケの最中、急性白血病に倒れる。

なんて皮肉な・・
渡辺謙はどれほど悔しいだろう・・

私はまるで身内のことのように思った。

そして、なんだかこのまま彼が死んでしまいそうで恐かった。

しかし、渡辺謙は蘇った。

前のような忙しさでは到底無いが、少しずつ少しずつ、テレビの画面で見るようになった。

大河ドラマ「炎立つ」の初回、最初に渡辺謙の名前が音楽をバックに登場したとき
私は涙が止まらなかった。

シリーズものも好調だった。

だが、ここで又、渡辺謙は病を言い渡される。

そして、再び命の危機を乗り越えた彼には、今度はこれでもかこれでもかと、スキャンダルが降りかかった。

この頃、渡辺謙は、異常とも思えるペースで仕事をしていたように思う。
なんだかしょっちゅうテレビに出ていた。

中には「えっ?こんなのにも出ちゃうの?」というのも正直あった。

スキャンダルに揉みくちゃになりながら、離婚の裁判をし、日常の様々な事柄をこなし、
セリフを覚えて役に臨んでいたのだろう。
それはまさしく、一つの「戦い」だったと思う。

そんな時期が流れ、「ラストサムライ」が上映される。

私はこの作品を見ていない。
しかし、見た人は口を揃えて
「渡辺謙は、助演ではない。主演である」と言った。

日本人が、アカデミー助演男優賞にノミネートされた。

快挙といわずして何と言おう。


この人が、「硫黄島からの手紙」を撮っている最中、糸井重里氏とメールの交換をしている。
二人が大きく関わった映画、「明日の記憶」をめぐり、
お互いの様々な思いを綴ったものだ。

この中で渡辺謙が、
「(自分は友達も、自分を信頼してくれる人も、お金も)何もかもを無くした時期があります」
という趣旨のことを書いていた。

先日、「Who am I ? 」という渡辺謙氏の自伝アンドエッセイを読んだ。

「真面目な人だなあ・・」と思った。
先の糸井氏のメールとあわせ、「誠実な人だなあ・・」とも思った。

本当に明日のことは何もわからないのね―

この人を見ていると、それを体現化してくれているように思う。

鎧兜を着けても、長袴に裃姿になっても、
軍服も、タキシードも、どれも本当によく似合う。

タッパがあって眼光鋭く、贅肉の無い肉体に
整った目鼻立ち。

くらくらしそうないい男だ。

この人が演じた「壬生義士伝」は凄かった。

映画版の中井喜一と甲乙つける議論がよく成されるが、
自分には、あの渡辺謙の演技を超えるものは想像できない。

特に死に臨む晩から、遺体として発見されるまで。
あの形は、誰が考えだしたのだろう?

神がかりのような気がする。

この人は考えてみるとまだ若い。五十にもなっていない。
五十前の人にかける言葉でもないと思うが、
長生きして、いい演技をたくさん見せてほしい。




私にとって渡辺謙が、他の俳優さんとは一線を画して別格であるのに理由がある。

母が、「渡辺謙は○○(愚弟)に似てるね」と、言っていたのである。
親ばかと笑っていただきたい。

母が二度目の入院をしたのは、ちょうど「独眼流正宗」の放映中だった。

私と弟は、なんとか母を喜ばせようと、ドラマの音声をカセットに吹き込んで
病室に持っていった。
もう、あまり役にはたたなかったけれど。

なので、なんだか渡辺謙が活躍していると、母も喜んでいるような気がするのだ。



この人が新番組のロケに初めて参加し、皆に紹介されたとき
各スタッフの方向に向かって、手を合わせてお辞儀をしている姿が印象に残った。

「ラストサムライ」以降の話である。

人気が出れば、周りの人間はおだてる。
力を持てば、周りの人間の態度が変わる。
ついこの間まで、虫けらを見るように見ていた人間が
自分に頭を下げてくる。

この人にもそんな時期があったのだろう。

転がるときも早い。

人は落ちていく人から離れたがる。
まるで自分にまでその不運がふりかかるのを忌み嫌うように離れていく。

つい先日とは別人か?という態度をとる。

このひとは、その両方を知っているんだろうな。

山の裾野でしか見えない風景。
三合目、五合目、八合目でしか見えない風景。

そして頂上に立ったときには、「孤独」という景色がみえるのだろうか。

長く俳優を続けてほしい。

日本人の俳優として、その力が世界で評価されれば、本当に嬉しい。

新しい奥様も持たれた。
身内でもないのに、この人には幸せでいてほしい。


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石原真理子 [女優・俳優]

何故か、先日ふと、この人のことを思い出した。

それから数日後、何でも新しい映画に出るらしいと知った。

そして、それから又数日後。

もう何も語らずとも皆さんご存知だろうか?

「自叙伝」を上梓し、そこには過去恋愛関係をもった13人の男性が
ほとんど実名で出てくるとのこと。
一昨日オフィス近くの本屋さんで立ち読みした。
ネットで記者会見の様子も見た。


ドラマに出ている」この人を最後にみたのは、
「ふぞろいの林檎たち4」の頃だったと思うのでもう10年近く前になる。

私はリアル「ふぞろい―」世代である。

石原真理子が一番輝いていたのは、「ふぞろい― 2」のときではないか?
まさに、玉置浩二氏との「不倫報道」真っ最中のときだった。

たまたま、私はその中継を、家のテレビで見ていた。
よく引用される「無防備な恋をしています」という言葉は、
このとき彼女はしゃべっていない。

あくまで私の記憶だが、
「中学生くらいまでは恋愛とかするのも、すごく無防備で・・
それがだんだん大人になってきちゃうと・・ そういうのも難しくなってきて・・」と、
そのとき着ていた黒いワンピースの長い袖を指で押さえ、
腕を少し前後に振りながら、そう彼女は話していた。

会見の間中、彼女は涙を見せなかった。
少し質問をはぐらかす―という言葉がよくなければ、
なるべく「核心」からちょっとずれたところで答えていた。

もう会見も終わり、彼女が立ち去ろうとしたときだ。
「奥さんには、なんとおっしゃりたいですか?」声が飛んだ。

彼女はそれまでと同じように、少し核心からずれようとし、
しかし数秒でそれは失敗し、真顔になったかと思ったら「くるり」と後ろを向いた。
カメラマンは一斉に、彼女の横からのアングルを捕らえた。
一社だけがいつまでも彼女の指先を写していて、
「あーあ、へましちゃって。このカメラマン、上司から怒られるだろうな」と思った。

レポーター達に後ろを向いた彼女は、自分を落ち着かせるように目を閉じ、
鼻に手を当て、頭をそらしていた。

しばらくして、振り返ったときには、涙が頬を伝っていた。

「お互いが・・お互いの人生を・・考えたいですね、て、言いたいです」
そして彼女は泣きながら笑顔になり、
「迷惑かけました」と言って、去っていった。

「お互いが、お互いの人生を考えたいですね」

これは、誰からの借り物でもない、そのときの石原真理子の言葉だったと思う。

その言葉を聞いたとき、「この人は、相手の男の人を本当に好きなんだな」と思った。
そして、自分に対しても、相手と、相手に深いつながり有る人のことも、
真面目に考えているんだなと思った。

器用な人ではなかったのだろう。

彼女が最高の輝きを見せたのは、この記者会見であった、と私は思う。
これ以降、彼女の輝きは失せていった。

「ふぞろいの林檎たち」パート3での彼女は、化粧ファッションも、役柄にあわせたのかもしれないが
ぜんぜん似合っていなかった。素敵でもなかった。

数年たってのパート4ではもっと変だった。「あんなに素敵だったのに、人間変われば変わるもんだ」と
ある種の感慨があった。



彼女と、中森明菜と、宮沢りえを、似ていると評していた人がいた。
なるほどそんな気がする。

評した人の分析によれば、
「家族関係が不安定で、十分に愛されて育って来なかった。
それでその分の愛を男性に求めてしまう。
何か三人とも、自分を持ってなさそうに見える」とのことである。

それが正しいか否かは別として、確かにこの人たちに共通の空気はあると思う。

そういえば、私もこのブログに中森明菜、宮沢りえ両氏のことを書かせていただいた。

不器用で愛情を欲し(実際に愛情を受け取っているかは別問題である)、
生真面目で融通が利かない。
現実社会では生き辛かろう・・と思う。
そして、こういう女の人と付き合うことは、男の人にとってかなりしんどいだろうな・・とも思う。


若い頃、石原真理子にあこがれた女の子たちはゴマン!といたはずだ。
雑誌で密着インタビューが組まれ、同世代の女の子達は競って真似をした。
ロングヘアを掻きあげ、当時流行だった太い眉毛をよりいっそう太く描いた。

その女の子たちは、今、どうしているのだろう?
四十前後になり、それこそ「人生の折り返し地点」に到達している。

みんな若かった。

かつてのあの記者会見を見た人たちは、今、どんなことを思っているのだろう?

時は流れる。誰にも止められない。

一人の人間として、これから彼女はどうしていくのだろう、という興味はある。
けれど、あの修羅場の渦中、記者会見し、
最後の最後に自分の言葉で語り
涙を流しながら笑顔になったときの、あの輝いていた彼女は
もう、どこにもいない。

私はあのときの彼女が一番好きだった。


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桃井かおり [女優・俳優]


誰にでも、若い頃憧れてファッションや雰囲気を真似た
俳優や歌手、有名人が居ると思う。

私もごたぶんにもれず、数名の女の人に憧れた。
そして髪型を真似したり、「本当の大人の女になったら
あんな風になるんだ・・!」と、心ひそかに誓ったりした。

その最初の女の人が「桃井かおり」だった。

「もう頬づえはつかない」

彼女を一躍有名にした映画だ。

この映画のことを最初に知ったのは、当時実家でとっていた新聞の
小さな映画評だった。
新聞特有のドットの粗い、映画のスチールが
これも小さく載っていた。
1979年の12月が初公開で、評論では
「-女性の活躍が期待される80年代を迎える時期に、ふさわしい作品の公開だ」
というようなことが書かれていた。

あらすじは一人の女子大生が、もともと付き合っていた年上のルポライターと
彼が不在の間に知り合った同級生の男の子との間で揺れる。
そして、妊娠した子供を中絶し、新たな歩みを踏み出すのであった―

というものだ。

観たい観たいと思いながら、実際にスクリーンで観たのは、
公開から一年位たってから。
場所は劇中主人公が通っていた早稲田大学も近い、
高田馬場の「名画座」だった。
私はそこから近い予備校に通う、二十歳にならない歳だった。

映画が公開されてから、桃井かおりへの注目度が俄然アップした。
私だけではなく、世間全体がだ。

「人気」というレベルではなく、あれは一つの「社会現象」だった。

NHKの朝のニュース情報番組で、彼女のことが取り上げられた。
この映画がかかっている映画館から出てきた人達に感想を聞いている。
「いやあ、いい女ですよ」三十前後、サラリーマン風の男の人。
「すごくよかったです」桃井かおりと同世代か、ちょっと年上と思しき女の人。

そして、桃井かおり本人のインタビュー(録画)が流された。

彼女の人気はあれよあれよと云う間に高まった。
巷の女の子達は、彼女を真似て、競うように煙草を吸い
「それでねえ・・○○(自分の名前)もねえ・・ △△△なのよねえ~」と
かったるそうにしゃべった。

映画の中で、彼女の髪型は前下がりのボブだった。
彼女は著書の中で
「そのむかし、私の武器はおかっぱで、ジーパンとは親友だった」と書いている。

やたらおかっぱにした女の子が増えた。
面白かったのは、素人の女の子だけではなく、女優さんたちにもボブが増えたことだ。
「すごい影響力だなあ」と思った私も、七ヶ月かけて髪についた段をとり、
念願のおかっぱになった。(ちなみに母はよろこんでいた)

月刊の女性誌で、三冊同時に彼女の特集が組まれていた。
そんな状態が何ヶ月も続いた。

私は彼女の著書「しあわせづくり」を買い、その写真に写るファッションを真似しようとした。

毎週ラジオも欠かさず聞いた。
「桃井かおりの、ひとりみぽっち」
彼女が自然な感じでおしゃべりしていた。
寝床の中でそれを聞いていると、なんだかとっても落ち着けた。

ある時そのラジオの最中、
「― こないだね、ある男の人とホテルにいたんだけど。
なんでもその人の亡くなった弟さんが、私のファンだったんだって。
それでね・・」
と、現在撮影中の映画で危険な場面があること、幽霊らしきものを見てしまった話などし
「又こんなことラジオでいうと、週刊誌に叩かれたりするんだけど」と
冗談気味に話し終えた。

その翌週だったろうか?

彼女と、クリエーター(当時は未だ作家ではなかった)の伊集院静氏、そして
彼と婚約中の夏目雅子との三角関係で、
週刊誌、ワイドショーは大騒ぎだった。

「あああ・・  そういうことだったのか・・  こんなになっちゃって・・」と、私は思った。

それよりも前だったか後だったか、マスコミの「桃井かおりバッシング」が始まった。
あれだけもちあげていた彼女のことを、
「時間におくれる」
「監督に従わない」
「わがまま」
「周囲とぶつかる」
などなど、これでもかこれでもか、と叩き続けた。

「しあわせづくり」の次のエッセイ集が「ひとりみぽっち」だったか?記憶が曖昧だ。

ここでも彼女の写真が何枚も載っている。
おかっぱではなく、真っ直ぐなまま、髪は乳房を覆うくらいの長さになっている。

この頃、もう彼女は精神的にも肉体的にも疲れ果てているみたいだった。

一時の嵐のようなバッシングは静まっていたが、
その後も彼女のことが活字で語られるときは、悪意や嫌な噂がついてまわった。

桃井かおりは、だんだん、派手な場面から遠ざかっていった。
女性誌での毎月の連載も次々に終了した。

彼女の姿そのものを、テレビや雑誌で見ることが極端に少なくなった。

年齢を考えても、もうこのまま引退してもおかしくない、そういう年頃だった。

そして、たまに雑誌でインタビューに答えたり、(英語の学校に通っていると言っていた)
海外に行ったり、お父様の別荘を手入れしながら、そこでしばらく暮らしたりしていたようだ。

そのころ、新宿のバス放火事件を元にした、被害者の書いたルポルタージュが原作の映画に
彼女が出ていると聞いた。
TVで映画のシーンを幾つか流していた。
そこには、かつての桃井かおりはいなかった。

ほとんど素顔に近く、治療のために刈り上げたようなヘアスタイル、地味な装いの
中年の女が映っていた。

「ああ、この人も、こんな地味な映画に出るようになったんだ」と感慨があった。

その映画は、関係者とスタッフの、真摯な思いから誕生した作品だと思う。
派手な宣伝もなかった。
そんなにもうかる作品でないということは、誰もがわかっていたことだと思う。
落ちぶれた― と云うのではない。
きっとそんな風に彼女を評していた人は沢山いたと思う。
私は、あんなにも地味な作品に全力で臨んだ彼女が
意外な様でもあり、逆に
「ほんとに真面目で、ディテールまで納得できるまでこだわるんだろうな・・」
とも感じた。

そして、ちらりほらりと彼女を見かけていたが、ある日TVで
「湯上りたまご肌!」と、自慢げにお茶目に言う彼女がいた。
おなじみのCMのシリーズ初頭である。

私が覚えているだけでも、資生堂、ポーラ、花王、のCMに彼女は関係している。
「今度はマックスファクターか・・」と思った。
そして、その「湯上りたまご肌」という、なんだかわかんないけど言いたいことはわかるコピーとともに
このシリーズは長く続く。

自分のまわりで少しずつ、この高価な化粧品を使う人が出始めた。

昔の彼女は人間嫌いに見えた。
とっても人見知りで、なかなか素直な自分が出せず、
コンプレックスと過剰な自信との間を揺れ続けていた気がする。

感受性は強く、表現者としていろいろな手段をもっており、
それはそれぞれに、あるレベルを超えていたと思う。

男性の庇護を強く求めながら、結婚という最終局面になると
腰がひけてしまう― そんな、気弱さも感じられた。

ナイーブな自分の神経を、どう手懐ければいいのか
未だ自分でわかりかねているように見えた。

マックスファクターのCMの人気がどんどん上がってくるとともに
第二の「桃井かおり黄金期」のような時期に突入したと思う。

昔の彼女だったら信じられないような、「司会」までこなしている。

かたくなに閉ざされていた心は
今ではほとんど全開状態みたいだ。
「どうぞ誰でもウェルカム!」みたい。

化粧が薄くなっている。
特に、目の周り。
自然に見せる化粧法ではなく、ホントに薄くしているんだろう。

それでも肌は、昔よりずっと光っている。
彼女の瞳も光っている。

くったくなく笑っている。

「誰かと結婚するって決めるのも一大決心だけどさあ、
一人で生きていくって決めるのも、これも大変なことなのよ」と
かつてラジオで笑っていた人は、
その後も一人で生きて五十歳を超えた。

「もう頬づえはつかない」で、スクリーンに映る彼女を見ていたとき
比較的地味な作品に、地味な役柄で出ていた彼女を見ていたとき
二十数年後、この女性がハリウッドの大作に出演する― なんて
何人が予想していただろう。

私はおそらく、これからも配偶者は持たずに生きていくだうろが(笑)
五十歳になったとき、今のこの人みたいに活き活きと
ぴかっぴかのお肌で、生きていられるだろうか?

その頃この人は還暦を迎えている。
「六十になったとき、あんなふうに素敵でいられるかしら?」
そんな風に思わせてくれたら嬉しい。

そして今のこの人を見ていると、思わせてくれるに違いないと
思えるところが嬉しい。

自身を縛る重い何かをほどくには、
時間と努力と忍耐が必要だったのだろうが
この人は、それを果たしたように思う。

頑張れば、素敵な五十代になれるんだ―

それを証明してくれて、ありがとう。
かおりさん。







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中森明菜 生き下手な歌姫 [女優・俳優]

さぞや生き辛かろうな・・

この人を見ているとそう思う。

二昔前。
この人の絶頂期のオーラはものすごかった。
年齢的には、未だ成熟した女のちょっと手前だったと思うけれど、
その豊かさを、もう持ち合わせていると感じられる
体と、空気と、声を持っていた。

そして、その成熟度と反比例するような童顔で
そのアンバランスぶりもコケティッシュだった。

でも後のインタビューで、ご本人が
「自分はいつも自信がなかった」と語っていた。

昔、この人とさんざん並べて論じられたのが
松田聖子だ。

松田聖子は、ありとあらゆるものを
手中に収め、今もパワフルに躍動している。
確かに離婚はしたけれど、
結婚し、子供も授かった。

中森明菜は、いろんなものを
少しずつ、指の間から取りこぼしているように見える。

子供のような無垢な心を持った人に見える。
それはもちろん大人だから、
心のある部分が、ということだけれど。

そして、きっと感受性が人一倍鋭いんだろう。
自分の感受性の鋭さが、手に負えなくなっているように
感じるときがある。

で、何事も一所懸命する。

結果どうなるか。

繊細な人は傷つく。

きっと、要領よく生きていける人は沢山いる。
彼女はそれができなかったように思う。

よく切れるナイフを振り回しながら生きているみたいだ。
そのナイフは、自分を傷つける。

そして、関わる人をも、深く傷つけてしまうのではなかろうか。

誠実であろうとし、その人のためにと思って力を尽くすことが
相手の負担になったり、追い詰めたりすることがあると、このごろ思う。

北川江吏子の出世作「素顔のままで」で、
中森明菜演じるカンナを象徴する、こんなシーンがある。

彼女演じるダンサーは、
大好きな脚本家の卵の彼のために、
彼の作った脚本を、劇団のほかの人間に見せる。
「彼はこんなにいい作品を書いてるんですよ!」と。

しかし、見せられた男性は、
そのよく出来た脚本を、自分のものとして上層部に提案し受け入れられる。

その結果を知ったカンナは、泣きながら言う

「どうしてあたしは、いつもこうなんだ!
 その人のために!と思ってやることが、
 みんなその人を傷つけてしまう!
 どうしてなんだよう!」

まるで彼女本人の言葉のようで、聞いていて悲痛だった。

過日リリースされた彼女のアルバム
「赤い花」という歌があった。
韓国ドラマ「オール・イン」の主題歌「初めて出逢った日のように」を
カバーしたものだ。

わざとなのか、その時の体調なのか
やけにハスキーな声で歌っている。

立ち去る恋人の背中に向って唄っているような
その一言一言が、聞いているこちらの胸に刺さるように染みてくる。
ほとんど痛みになってくる。

松田聖子が、太陽のように晴れやかならば
中森明菜には、「月」が似合う。

新月から満月まで、その姿をまるで違うもののように変えていく月が似合う。

三日月の下

傷ついた硝子の心を細い腕に抱えて、
もう涙も枯らして
静かに佇む一人の女―

「DESIRE~情熱~」から二十年。

彼女は本当の、「大人の女」になっていた。


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江角マキコ いつもは泣かない女 [女優・俳優]

この人の、映画初出演にして初主演だった、「幻の光」。
宮本輝氏の原作は、私にとって、とても大事な本だった。
なので、モデルとして人気者だった彼女が主役をするのが、どうしても嫌だった。
ちゃんとしたキャリアのある女優さんに演じてほしいと思った。

それから、かれこれ十年くらいだろうか?

私は、話題になった「ショムニ」もみていない。
この人が出た番組は、
「東電OL」の殺人事件をモデルにしたドラマを最初の方見ていただけだ。

最近、何か変わっていこうとしている(その方向性をどう考えても間違えていると思うが)NHKの
ドラマ「マチベン」を見た。
よくあることだが、6回くらいのシリーズの真ん中辺りから見た。

正直言ってびっくりした。

「この人何時の間にこんなに上手くなっちゃったの?」と思った。
このドラマで、前半(回想シーンしか見てないけど)の検事だったときと、今いわゆる「マチベン」を
しているときの江角マキコは、メークが違う。髪形が違う。
それは当たり前なのだろうけど、後者は徹底的に「作っていない」印象を受ける。
まず、眉がわりとそのままだ。「あら、お手入れ無し?」って感じ。
髪も、きれいにブローされてはいるが、分け目がぞんざいだったり
そんなには作っていない。なので、自然な癖がついていたりする。

このドラマで彼女はほとんど笑わない。喜怒哀楽があからさまに出てこない。

私は、撮影の技術的なことなどは知識が無い。
自分がどう感じたか、しか記せない。

10年位前だろうか、まだ「何で『幻の光』の主人公が江角マキコだったんだろう・・」
などと思っていた頃、インタヴューを読んだ。
そこでお父さんが医療ミスで亡くなっていることを知った。
その時だったか、少したってからだったか、今読んでいる本を紹介していて
その中に、柳田邦男氏の「犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日」があった。
私は、その本はいずれ読むことになるだろうな・・と思っているが、それまでには
かなりの時間が必要だと思って手を出さないでいる。
読んだら確実に精神的にキツクなるな、とほとんど確信するからである。

あの本は、いろいろなところで紹介されたから、どういうことが書かれているかは存じ上げている。
柳田氏のご子息が脳死状態になり、臓器移植を決断されるまでをえがいておられたと思う。

その本を、お父さんを医療ミスで無くした彼女が読む、というその―
腹の据わり具合というか、肝の据わりぐあいというか、そう「勇気」がすごいなと思った。

マチベンの中で、彼女はポーカーフェイスでいることが多かった。
けれど、真犯人に気づき、その人間と目が合ったときとか、
顔の表情は大きく動かないのだけど、確実に小さな動きで心の状態を表していた。

最終回、彼女が泣く場面がある。
それはかつて彼女が求刑し、無期懲役に服している男性と、裁判で対面する場面だ。
ただし、このときの「被告人」は江角マキコが演じる弁護士である。
彼女は、事件の真犯人を命賭けで守ろうとする、無期懲役の男性の娘によって
「殺人未遂」の罪で自分が裁判にかれられることになっているのだ。
傍聴席には、その男性の娘と孫娘が座っている。

そして、その裁判のなかで
かつて彼女が無期懲役にした男性と事件の関わり、真相が判明する。
この事件に関わった全員が泣いているのだが、このシーンは圧巻だった。

かつてエリート検事だった女性、みじんも自信をゆるがせなかった彼女が
何とか彼から真実を述べさせようと、
最後には「事実とは違うこと」を大声で証言する。
「そうです!私はあなたの娘を殺そうとしました!」

かつてその男性がしたように、裁判で嘘を言う。
元エリート検事が、である。

ああ彼女は今、自分の全人生をかけているんだな・・と思う。

そして、最後には
服役していた男性を、ひざまづいて抱きしめて泣いて謝る。
その泣き顔を見ていると、自分を責めて責めて
本当に申し訳ないことをしたと思っているのが伝わってくる。
彼女が自分の間違いに気づき、男性に真実を語ってほしいとあらゆる力を尽くしてきた
その時の長さをちゃんと感じさせる泣き顔だった。

私はもともと「女っぽい」「色っぽい」女優さんが好きなのだけど、この人には色気を感じない。
でも、かつて柴門ふみ氏がエッセイの中で使われた言葉だが
「女力」とでもいうものを感じる。
ぐいぐい引き寄せられる気がする。

この人はどこまで伸びていくのだろう。
スッと伸びた背筋が象徴するように、精神も真っ直ぐな人に感じる。


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