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局アナはそんなに可哀想なのか? [テレビ(ドラマ以外)]


イタクラヨシコという方が、「断」というコラムで、アナウンサーの不倫に関して書いておられる。
MSNのサイトでたまたま見つけた。

こちらである。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080828/acd0808280308001-n1.htm


・・・

物事の感じ方は人それぞれだろうから、イタクラ氏のような考え方もあるのだろう。


しかし。

例えば今回の山本モナ、渡辺和洋アナの不倫騒動がここまで盛り上がったのは
「不倫」そのものよりも、それと同時に暴露された事柄にあるように思う。

山本モナは、再起をかけた番組の初日終了後に、反省会にも出席せず
明け方近くラブホテルに入った。
しかもそこは10,000.-円にも満たない料金のところだった。

渡辺アナに関しては、
噴出した卑猥なメールの数々。
スタッフとの飲み会の席上で女の子を誘った。

そういう事柄の方に、世間はびっくりしちゃったのだ。


>不倫恋愛がアナウンサーとしての職務にどんな悪影響を及ぼしたというのか
イタクラ氏は問うておる。

ええとですね。

不倫恋愛そのものをなさっているのなら、又話は変わってくると思うのですよ。

やむにやまれぬ想い、というのはありますよ。
叶わぬ恋に、自分を責め、なんとか良い方向に向かうよう
必死で生きている人たちもたくさんいるでしょう。


でも今回のことは、「不倫恋愛」ではないでしょう?

ただの「火遊び」ではないですか?

それも、ものすごく下品で低俗な火遊び。

その様子が世間に知れ渡っちゃったわけですよ。


朝、「めざましテレビ」に渡辺アナが出てきますね?

オリンピック会場から中継している。

その姿を見るたびに、
「ああ、この人あんな変なメール出してたんだなあ・・」
「今まで何人の女の人とそういうことしてたんだろう・・」
「パッと見は格好いいのになあ・・」
「写真とってたんだっけ・・」
と、いうようなことが、思い浮かんでくるわけです。

これは条件反射みたいなもんで、もうしょうがないわけですよ。

こちらも別に好きでそんなこと意識に上らせてるわけじゃない。

あれだけショッキングな(変な意味で)内容を知らされちゃったら
そんなに簡単に忘れられないもの。


一日の始まりに、そういう思いをするわけですよ。視聴者は。

本来さわやかに見られるはずの「オリンピック中継」も、
とたんに生々し~い、どよ~んとしたものになっちゃう。


アナウンサーは、本人の意思とは関係なく、
原稿を読んでいるだけではなくなってしまった。

視聴者に顔を売り、さまざまなメディアに登場するようになってしまった。

十分「職務に悪影響を及ぼしいてる」と思うんですけどね。


>謹慎処分となったフリーの山本の場合は、いくらか叩き甲斐(がい)があったということだろうか

ここはよくわからないですね。

謹慎処分となったと書いておられるが、山本モナ本人から、活動を自粛したいと申し出があり
事務所社長から番組サイドに伝えられ、番組サイドがそれを承諾したのではなかったか?

渡辺アナに関しては、「何故降板させないのか?」という問い合わせ、苦情のメールや電話が
1000件を超えたというではないか。

それにもかかわらず、テレビに出ているのは、テレビ局側の判断だ。

視聴者がお願いしてのことではない。


コラムでは、こういうことがあった局アナは、いったいどうやって挽回すればよいのか?と書かれている。

しっかりと仕事をすればよい。

ただそれだけではないか。


こんなに恥ずかしいことが暴露されてしまった。

でもそれを境に、あのアナウンサーは本当にいい仕事をするようになった―

そう思わせれば良いではないか。

現に渡辺アナには、「北京オリンピック」現地中継、という晴れ舞台が用意されていたのだ。
そしてそれは、変更されることなく遂行された。

こんなに恵まれている人はそんなにいない。


コラムでは、近年局アナが経費縮小のため、バラエティにも駆り出され
芸能人なみの扱いを受け、ひとたびスキャンダルを起こすとかっこうの餌食にされる
これでは、
>この稼業の職能と存在意義はあまりにも軽んじられていないだろうか

と、述べておられる。


・・・

ええとですね。
アナウンサーがバラエティに起用され始めたのは「近年」ではないです。

もう四半世紀も前から、おそらくは「フジテレビ」がそのはじめで
山村美智子アナウンサー、故逸見政孝アナウンサーなどが
バラエティに登場し、それが大いにうけたのだ。


イタクラ氏は、「局所属のアナウンサーはタレントではない」という主旨のようだが
これは間違いだろう。

少なくとも彼らは、一般の社会人とは違う。

NHKと民放の差、民放でも各テレビ局の差はあると思うが
局所族のアナウンサーは、半分はタレントのようなものだ。

タレントとしての素養も期待されているはずだ。


それは指摘されるように、本人にとって辛い面もたくさんあるだろう。

しかし、彼らはそれに代わる「恩恵」も、確実に受け取っているはずだ。


通常会社勤めをしている人たちは、
ハリウッドの大スターが来日しても、間近で言葉を交わすことなど出来はしない。

芸能人とお近づきになる機会など、めったに無い。

ファンレターやプレゼントをもらうことも、そもそもテレビに出ること自体そんなに無い。

多くの人に注目されることも、「可愛い!」「素敵!」と、憧れられることも無い。


二十数万のお給料で、満員電車に乗り、蹴っ飛ばされたり突き飛ばされたりしながら乗り換えて
やっと職場に着いて、上司からねちねち叱られたり、同僚に意地悪をされながら
そんなに面白いとも思えぬ仕事をこなしていくのだ。


どんな職業、立場にも、「良い部分・大変な部分」がある。

たいてい「良い部分」が大きくなれば比例して、「大変な部分」も大きくなる。



局アナは、局に所属している限り、対外的には局が守ってくれる。

以前にも書いたが、渡辺アナウンサーは、アナウンサーとしての勉強を続けているのだろうか?

よくわからない「発言」のとき、「これからは皆さんに信頼していただけるようなアナウンサーを目指します」
確かそういったことを述べていた。


北京にオリンピック中継に行くのなら、出場選手のプロフィール、近年の動向、対戦チームの同じ情報
開催地北京の歴史と現状、経済や政治について
そういったことは、最低限勉強していったのだろうか?



>この稼業の職能と存在意義はあまりにも軽んじられていないだろうか

コラムはこのように結ばれている。

もし、局所属のアナウンサー諸氏が、そのように感じているのなら
話は簡単である。

退職すればよいだけである。





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フジテレビアナウンサー渡辺和洋 [テレビ(ドラマ以外)]



散々指摘されているけれど、フジテレビは判断を誤ったと思う。

この人を画面に出し続けている理由がわからない。


このままうやむやにしておけば、皆スキャンダルは忘れて彼の笑顔にだまされるだろう―
とでも思っているのかしらん?


視聴者もみくびられたもんだ。

人には「記憶力」と「想像力」がある。



運動能力の頂点を極めたアスリートたちが集っている、その北京から
毎日この人が「おはようございます!」とやっている。

画面にこの人の顔が映る。



そこで視聴者に去来するのは
「上げチン」
「雌豹のポーズ」
「合コン」
「レースクイーン」
「妻が妊娠中の浮気」
「空も飛べるよ!」
「6000円のラブホテル」
といった事柄なのだが・・・


「アナウンサーが私生活で何をしてたっていいじゃないか」という意見も聞いた。

そう言われると、そんな気もする。

でも、少なくとも週刊誌で暴露されて、それを知った人たちが呆れたり腹を立てたりするようなことは
しない方がいいんじゃないか。

一日の始まりに顔を見るわけだから、イメージは大事だ。

それを自覚していたら、そもそもあんなことはしないと思うんだけど・・



この一件で思い出したのが、元アナウンサーの菊間千乃の事件だ。

深夜酒席に未成年を呼び出し、飲酒させた件。

これは「犯罪」である。

このとき、あふれ出る批判に対してフジテレビ社長は謝罪した。

しかしその数日後、「菊間アナウンサーは才能もあり、今後に期待をしている」という主旨の見解を述べた。


それを知ったとき、私は落胆した。


「それが本音か・・」と、思った。
ほんの一瞬でも、信じた私が馬鹿だった、と思った。

深夜に未成年を呼び出して酒を飲ませるアナウンサーの
どこに才能が隠れているのか、私には理解不能だ。

菊間千乃の、どこがアナウンサーとしての資質に溢れているのか
それも私にはどうしても理解できなかったが。

彼女のしたことを、所詮その程度にしか考えていなかったのだなと
けれど一応謝罪は形だけしておいたのだなと
悲しくなった。


渡辺アナの件について、フジテレビの社長は定例会見で
「会社の経費は使っていないと、”ご本人”から聞いている」と言ったそうだ。


私の聞き間違いだと信じたい。

自分の会社の社員に敬語を使う社長が存在すると、思いたくない。



この件が公になったとき、ネット上でどんな会話がなされていたか
フジテレビ関係者はご存知だろうか?

「合コンで番組スタッフが、”渡辺は君のこと気にいったみたいだよ”って言ってたんでしょ?
番組ぐるみでやってたんだね」

「今回が初めてじゃないだろうね」



たかがネットの書き込みである。

けれど、そう思われても仕方がない状況だと思う。



民放のアナウンサーを、私はほとんど信頼していない。
申し訳ないがこれが実感だ。
実力が、NHKと比較してあまりにも低い。

そのNHKでさえ、近年のレベル低下は目を覆いたくなる。


アナウンサーというのは、日々努力を怠らないものではないのか?


渡辺アナウンサーという人は、新聞のニュースの音読や発声練習など
基本の基本とも言うべきことを、日々行っていたのだろうか?

いるわけないよな、と思う。

全然違う方面に、エネルギーを費やしていたらしい。


オリンピック開始前の時点で、1000件を越す苦情が届いていたという。

けれど、フジテレビはそれを黙殺した。

1000件の苦情が届くということは、その何倍、何十倍の「サイレントクレーマー」がいるということだ。


クレーマーが静かになったら、それは彼をテレビに出すことを承諾したからではない。

毎朝能天気に画面に出てくる渡辺アナを、「さわやかな人だ~」と思ったからでもない。


テレビというものに失望したからだ。



むかしフジテレビが、「楽しくなければテレビじゃない!」とコピーを打った時期がある。

その当時飛ぶ鳥も落とす勢いのコピーライターだった糸井重里は、
NHK教育の自分の番組で、「楽しいだけがテレビじゃない!」と言った。



渡辺和洋は、確かに俳優の伊藤英明に似たハンサムだが
知性に欠ける顔をしている。

人の品性や、考えや、行動は、その人が歳を重ねるにつれ
「顔つき」となって表に出てくるのだ。

あと十年くらいたって、この人は何をしているのだろうか?



逸見さんが生きていたらな・・と、ふと思った。

怒るとずいぶん怖い人だったそうである。

ご自身が自分に厳しい人だったから、理不尽さは感じない。



逸見さんが司会をしていた番組で、「やらせ」が発覚したことがある。

その次の回だったと思う。

逸見さんは不必要なくらい、「こちら、今日の朝刊の記事です」と新聞を示したり
「今、○時○分になります」と、時計を示したりしながら司会をしていった。

途中から、「あ、逸見さんはこれが生放送で、なんらヤラセは無いということを
一所懸命示しているのだ」と気づいた。

そうやって、視聴者の信頼を取り戻そうと努力していたのだ。



天国から、逸見さんが降りてこないだろうか。

ガツン!と一発、不真面目な後輩を殴り飛ばしてくれないだろうか。






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「余命一ヶ月の花嫁」 [テレビ(ドラマ以外)]


この本が、話題になっていることは知っていた。

本屋に平積みになったこの本を、あちこちで見かけた。

気になりながらどうしても、私はこの本を手にとって読もうという気になれなかった。



十日ほど前、youtubeにアップされていた再放送のスペシャル番組を見た。


長島千恵さん。

彼女は本当に素晴らしい人だ。

そしてとっても可愛らしい人だ。


「いい人から先に死んじゃうんだから・・」
そう思って私も涙を拭いた。


彼女の、他者を思いやる気持、勇気、愛らしさは驚嘆するほどだ。



彼女が亡くなってしまった今、彼女の本当の気持を知る人は誰もいない。



千恵さんは、「一人でも多くの女の人に、健診の大切さを知ってほしい」と
友人を通じてテレビ局に取材を希望していることを、伝えたと言う。

その「一人でも多くの人に」という気持を重視するなら、本はたくさん売れたほうがよい。

それには、ショッキングな題名は貢献するだろう。



「余命一ヶ月の花嫁」


こんなに悲劇的なタイトルはない。


けれど。


千恵さんが「余命一ヶ月」と知っていたのはどなただろう?

お父さんと、恋人は知らされたらしい。

そこまではわかる。

友達は知っていたのだろうか?

「あまり予後はよくない」と、きかされていたのだろうか?


千恵さんが、素直で優しいお嬢さんだったように、
彼女のお父さんも、恋人も、お友達も、皆いい人たちばかりだ。



でも、私にはどうしても何かがひっかかる。

「余命一ヶ月の花嫁」と、タイトルをつけなければならなかったのだろうか。



千恵さんは、かなり多くの部分を気づいていたのだと思う。

自分のために力を振り絞る人たちに、辛い思いをさせないよう、
その人たちの厚意を受け入れた部分がたくさんあったと思う。


もし、千恵さんだけが、医師から「あと約一月でしょう」と言われたことを知らなかったとしたら。


それはあまりにも悲しすぎる。


父親と恋人まではいいだろう。
否、母親代わりの叔母さんも然りだろう。

けれど、友達をはじめ、今回初めて対面したテレビのスタッフ達までが知っていたとしたら―



「余命」、まして「余命一ヶ月の」などという言葉を、他者に冠していいものだろうか。

彼女が存命中なら、もちろんこのタイトルにはならなかったろう。

では亡くなってからならよいのか?


否。

やはりいけないだろう。

千恵さんは懸命に生きていた。

文字通り必死で、周りの人たちを気遣い、交流していた。


そのときに、彼女の周りの人たちの頭の中に「余命一ヶ月」という意識があったとしたら
それはあまりにも辛い。


余命一ヶ月といわれた彼女の、苦痛がどれほどのものだったかを考えると恐ろしくなる。

「結婚式」はサプライズのプレゼントだったけれど、
彼女にとって喜びだったには違いないだろうけれど、
彼女の体にどれだけの負担をかけたかと思うと、想像するのが恐い。



千恵さんのお父さんが主治医に呼ばれた時、
戻ってきたお父さんに、千恵さんは「あと一年くらいって言われた?」と聞いたそうだ。

親族たちが予後を聞かされた際は
「もう説明はききたくない」と言って、千恵さんはその場に立ち会わなかったそうだ。


自分に長い未来があるとは、思っていなかったと思う。



「余命一ヶ月の花嫁」

これは、自分の余命を意識しないでいられるひとだからこそ、つけられるタイトルだ。

結婚式を挙げた時点で余命が一ヶ月。

でも彼女は懸命に生きていた。
その後も懸命に生きた。

本人が知らされなかったこんなに重要なことを、
他者が勝手にタイトルにしていいのだろうか。

その時点で懸命に生きていた人に対して、冒涜にさえ当たるのではないか?



「余命」などという言葉を、簡単に使ってはいけない。

もしかしたらまるでドーナツの輪のように、
自分だけがそれを知らずに懸命に生きていた人に、
しかも、その幸せの頂点であるだろう日の彼女に
「余命一ヶ月」などと冠することができる神経が、私は嫌だ。



繰り返す。

長島千恵さんは、素晴らしい。

お父さんは、奥さんとお嬢さんを亡くされて、どんなにお辛いだろうとお察しする。

恋人の方も、献身的だった。



彼女の本当の最期を、私は知らない。






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NHKアナウンサー② [テレビ(ドラマ以外)]


NHKのアナウンサーにお願いしたいことがある。

正確には、「元」NHKのアナウンサーの方々に、である。

NHKから民放に移るアナウンサーの方は、毎年数名ずつおられる。

それをどうのこうの言うのではない。

その人が民放の番組に新しく登場した際に
「NHK時代の自分は、本当の自分ではなかった」
「NHK時代には、きまりごとが多々あって・・・」
「自分の言葉で話したかったからNHKをやめた・・・」

個人の発言だから、そこまでは口を出しちゃいけないのかな・・

番組の流れでしょうがないのかな、とか
大まかな台本で、セリフとして決まっているのかな、とか
いろいろ事情はあるんだろうな、とか
それこそいろいろ考えるのだけど・・

NHK時代の自分を否定するようなことは、どううか言わないでいただきたいのだ。

その人がNHK時代の自分を否定するということは、
NHK時代のその人を愛し、応援していた視聴者を傷つける。

そして、そのアナウンサーが民放に移ってすぐに仕事が出来るのも、
NHKにいた間に身に着けたことがあるからだ。

そのアナウンサーは、辞めるその日まで、NHKに育ててもらっていたのである。

「自分の言葉で語る」とは、どういうことだろう?

NHKにいる間、自分の言葉で語れなかった人は
民放にいっても、自分の言葉では語れないのではないか?

それは、その人の属する機関、つまりその人の外側に問題があるのではなく
その人そのものにこそ、問われていることだと思う。


変におしゃれなんかしないでいいから、
どうか美しい日本語で、きれいな発声と発音で、
ニュースをつたえてほしい。

そのときのあなた方が、一番素敵に見える。

どんなおしゃれや気の利いた一言よりも、
知的で輝いて見える。






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NHKアナウンサー① [テレビ(ドラマ以外)]


前にも書いたが、私はNHKのアナウンサーが大好きだった。

子供の頃からニュースはNHKしかほとんど見ていなかった。

なので、大人になって民放のニュースを見出してから、ずいぶんその差に驚いた。


NHKのアナウンサーは、まさに「アナウンサー」だった。

安心して見ていられた。

落ち着きがあった。

知性があった。

品性があった。

不測の事態にも、きんちと対応してくれるだろうという期待があった。



NHKも落ちたものだな・・と、失礼ながら思うのである。



先日、緊急放送の案内をしていた。

あるアナウンサーが、表参道と思しき街中からメッセージを送っている。

その人は、広い歩道を真っ直ぐに、こちら(カメラ)を見据えて話しながら歩いてくる。

真っ直ぐに。真っ直ぐに。






彼の足元に、ちょうど目印の様にラインが見える。

彼は、そのラインの上を歩いていた。

黄色いライン。



それは、「視覚障害者用」の黄色いラインだった。





誰も、気づく人はいなかったのだろうか?

「○○さん! そこ、目の不自由な人用の線の上ですよ!
その上を歩いちゃ駄目ですよ!」

そう言う人は、一人もいなかったのだろうか?





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前略 NHKアナウンサー各位 [テレビ(ドラマ以外)]

前略 NHKアナウンサー各位

 私は一視聴者です。
最近の御組織の番組を拝見し、感じたところを率直に申し上げたく存じます。

 私が子供の頃、我が家では、夜の7時はNHKのニュースと決まっておりました。
どんなに学校で人気のアニメも、巷で話題の他チャンネルのバラエティも、見ることは許されませんでした。
ですので、小学校に入る頃には「夜の7時から始まる民放の番組は見られないのだ」と、初めから思うようになっていました。

そのようにして、皆様のニュースに慣れ親しんだ私にとって、民放のニュースというのは「ニュース」ではありませんでした。
かなり年齢が上がり、初めて民放のニュースバラエティとでもいう番組を見たときは、心底驚きました。
アナウンサーと称する人達が、錯乱したかのように大声を張り上げ、大口を開けて体を反らして笑い、原稿を読む際も
ずっと手元を見たままほとんど顔も上げていなかったからです。

私は未だにNHKのアナウンサーしか、「アナウンサー」としては認めておりません。

しかしながら、近年の皆様のご様子を拝見するにつけ
「私の知っているNHKのアナウンサーはどこにいってしまったのか・・・」と、本当に悲しくなるばかりです。

それがたとえ現場からの中継であっても、大きな身振り手振りなどいりません。
「○○なんですね~~~~!」などと、いう語尾はやめてください。
「○○なんです!」などと、何故いわなければならないのでしょうか?「○○です」これではいけないのですか?

親しみやすいアナウンサーを、視聴者が求めているとお考えでしょうか?
少なくとも私は、NHKのアナウンサーに「親しみやすさ」は求めておりません。

安心して聞いていられる、落ち着いた正確な「読み」を求めております。
それがあってこそ、私はNHKのアナウンサーに、心からの親しみを感じられます。

いつの頃からか「キャスター」と云う言葉が流行りだしました。
まるで、「アナウンサー」よりも「キャスター」と云うものの方が上等であるかのような扱いでした。
そうでしょうか?

アナウンサーは、自己の意見を述べる必要は無いと思います。
ぐちゃぐちゃに書かれた原稿にも、放送数十秒前に生じる放映順番の変更にも、突発事項にも、
どんなときにも慌てず騒がずきちんとニュースを読み続ける。
そこにこそ、アナウンサーの存在意義と素晴らしさがあると考えております。

かつての皆様の先輩には、そういった方々が多くいらっしゃいました。
現在私が安心して聞いていられるのは、宮田修アナウンサー、武田真一アナウンサーのお二方くらいです。

どうぞ以前のNHKのアナウンサーに戻ってください。
正確なアクセントをきちんと復習なさってください。
「今一度」と云う言葉を「今、一度」というアクセントで発音されるのを数回聞きました。
記者の方ではなく、アナウンサーの方でした。
他にもそういうことが、しばしばありました。

私はNHKのアナウンサーは、本来世界に誇れる存在だと思います。
どうぞ、「これでこそNHKのアナウンサーだ!」というお仕事ぶりを、お示しいただきたいと思います。

いろいろと不躾なことも申しましたが、大好きなNHKへの切なる思いとして、どうぞご容赦ください。
では、皆様のますますのご精進とご活躍を期待いたしております。 草々


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