So-net無料ブログ作成
検索選択

「セーラー服と機関銃」 [映画]

セーラー服と機関銃」


この映画に描かれているのは、処女と青春と愛と女である。

祖父が弱小ヤクザの組長で、その組長の死去に当たって跡目に命じられたのが自分の父で、
でも父親は死んでしまったったばっかりだったから自分が組長になるように頼まれた―
という、とうてい有り得ない話である。
有り得ない話なんだが、画面は強烈に見る側を引っ張ってくる。

あまりにも有名な、ヒロインの登場場面。

セーラー服の薬師丸ひろ子がブリッジしたまま歌を歌っている。
無理な姿勢だから声がかすれて苦しそうだ。

     涙じゃないのよ・・
「カスバの女」である。

丈の短いセーラー服とスカートの間から、彼女の肌が露出している。

のけぞる姿勢、苦しげな声・・
連想されるものはSEXである。

しかし彼女は処女だ。

処女だけれども母性を持つ。

とても印象深い台詞がある。

彼女の親衛隊とも言える同級生の男子三人組が、火葬場のヒロインを訪ねてくる。
友達の父親が亡くなったのだから、お焼香くらいしなくちゃと思ってやってきたのだ。
彼女は彼らに告げる、
「ちゃんと天国に見送ってあげたかったの」
「言わせていただけば、なにせママが亡くなってからは、私はパパの娘であり、妻であり、母親でさえあったんだから」

この台詞が、この映画における薬師丸の立場をそのまま表している。


組長になったセーラー服の女子高生は、たった四人の組員たちを愛し、守ろうとする。
処女の一途さと頑なさで、真っ直ぐに突き進んで行く。
組員が怪我をして現れれば、小さな体を丸めて、大きな相手の体に包帯を巻きつける。
「おふくろの匂いがする」と言ってその組員が抱きついてくれば抱きしめてやる。

この組長はまるで生徒会長のように真面目で、はきはきと物を言う。
曲がったことが嫌いで、だから本当はヤクザも嫌いだ。
でも、組長になった以上は責任を果たそうとする。


彼女は処女で、まだ男女の性愛を知らない。

組員であり、彼女の最大の支持者である佐久間と、自分の父親の愛人だったマユミの
ことの最中を彼女は目撃する。
驚愕と嫌悪。
「獣みたい・・」と吐き捨てる。


けれど、彼女が異性と触れ合ったときの甘美な気持ちを表す場面がある。

組の事務所に機関銃が打ち込まれた時、佐久間は彼女を横抱きにしてそのまま床に伏せる。
振ってくる銃弾から我が身を盾にして彼女を守る。
銃弾の音が止み、彼女は佐久間と目を見合わせる。
次の瞬間、機関銃はまた炸裂し、彼女は解きかけた腕でまた佐久間にしがみつく。
束の間見つめあう二人には、恋と呼んでいい感情があったと思う。



この映画は社会現象になった。

いきなり男の子みたいなショートカットで現れた薬師丸ひろ子は、今まで見たどの彼女よりもチャーミングだった。

冒頭の、ブリッジしたまま歌を歌うシーン。
固めの杯で二日酔いになり、肩をむき出しにしたトップとショートパンツで髪を洗うシーン。
そのままふらふらとソファに上りあがり(この時彼女は裸に見える)、「やっぱり・・体かな!!」とでんぐり返りをして床に仰向けに寝っころがるシーン。
いずれも、演じている薬師丸ひろ子という十八歳の少女の肉体がさらけ出されている。
それは着衣であっても、裸と同じである。
露出される部分が広がるほど、「着やせするんだな」とか「結構肉感的なんだな」などと
見る方は思う。

あれより早くても遅くてもだめだった。
あの時の年齢の、あの薬師丸ひろ子が、監督を筆頭にすべての共演者とスタッフに囲まれて演じたからこそ、「セーラー服と機関銃」は出来上がった。
奇跡のシーズンだったのである。


クライマックスはセーラー服を着た薬師丸が、機関銃をぶっ放すシーンだ。

敵の事務所に乗り込んだ薬師丸と佐久間と政。
両足を踏ん張って立っている薬師丸はなんと小さいことか。
狭い肩幅。
男の子か女の子か分からない子どもの外見。

広い事務所の高い壁には、延々と昔の日本映画が映し出されている。
アップになる目張りを入れた俳優の顔。
繰り広げられるお祭り騒ぎ。
その手前では別のお祭り騒ぎだ。

いきなり画面がスローに変わる。
佐久間から渡された機関銃を、薬師丸が構える。
薬師丸の表情が一段と引き締まる。
ああ・・角川春樹がオーディションで見たときに惚れ込んだ瞳だ。
黒目がちの瞳が湛えるものは深い。

ダダダダダダダダッッッッッッッ!!!!!!

画面最前列に並んだ薬瓶が破裂していく。
飛び散ったヘロインが煙になる。
白く霞んだ画面の真ん中で、左頬から血を流した薬師丸が放つ。

カイ・カン! !

放心状態の彼女は体中の力が抜けて倒れこみそうになる。
それを冷静に佐久間が支え、自分の体で庇う様に
肩を抱き、向きを変えさせる。

処女は、エクスタシーを知ったのである。



これは、一人の少女の「成長物語」なのだ。

嫌っていた父の愛人に、少女は何度か助けられることになる。
それも、最も忌み嫌っていた性の部分で。
少女は父の愛人と、「女である」という一点で、つながっていたのである。
なので二人がそれぞれに、または一緒に「カスバの女」を歌うシーンは胸に響く。


薬師丸ひろ子が高三の夏休みに撮った映画。

主題歌の「セーラー服と機関銃」は、歌詞だけ聴くと完全に大人の歌である。

今別れようとする恋人に、愛情を注ぐ男の歌詞だ。

これを薬師丸ひろ子が歌うと知ったときは本当に驚いた。
こんな大人の歌を、あの薬師丸ひろ子がどう歌うのか!?

聞いてみれば思ったとおり、彼女の声と歌の内容はちっとも合っていない。
けれど何度も聴いていくうちに、この「少年少女合唱団」みたいな歌い方が
馴染んでくる。
世間も男もしらないままで組長になり、なった以上は一所懸命に職務を全うしようとする。
組の男たちを励まし守ろうとするセーラー服の女の子の、真っ直ぐな思いと恋が
伝わってくる。

     さよならは別れの言葉じゃなくて
     再び逢うまでの遠い約束

ああ、そうか。そうだったんだ。
別れじゃないんだ。
みんな死んでしまったけど、又会う日までの約束の言葉だね。

     愛した男たちを想い出に替えて
     いつの日にか僕のことを思い出すがいい
     ただ心の片隅にでも小さくメモして

一夏慈しんだ男たちのことも、身に降りかかった様々な事も冒険も
もう昔読んだ本の中の出来事みたいに、
彼女はセーラー服の日常に帰っていく。

一見何も変わっていないよう思える彼女の中は、それでも大きく変わっている。

映画の最後の台詞。
「私、愚かな女になりそうです」

かちんかちんの生徒会長は、柔らかな寛容と包容力を身につけた。
否。
それらは初めから彼女の中に有った。
ただ「時」が必要だった。
潮が満ちていくように、彼女の中の海が膨らんでいく。
凪は終わりを告げ、大きな波が一つ過ぎていった。

薬師丸ひろ子の「凪」の最後の時を納めた、これは奇跡のシーズンの映画なのである。




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

映画「真幸くあらば」 監督 : 御徒町凧 [映画]

この映画は、原作を読まなければダメだ。
わからない。
監督自身も原作を消化しきれないまま撮り始め、撮り進め、撮り終えてしまった感がある。

話の筋は、若い男が空き巣に入った家で男と鉢合わせしてしまい、咄嗟にその男を刺殺してしまう。
そこに今度は女が現れて、若い男はこちらも咄嗟に殺してしまう。
犯人の名は淳。淳には、死刑の判決がくだされる。
殺された男には婚約者がいた。
薫、という。
薫は、淳の犯行により、婚約者を失い、同時に婚約者の不貞を知ることとなった。

事件のあと、薫は誰でもいいといった感じで結婚をする。
そして、自分の立場を隠し、淳の弁護士を通じてボランティアとして、淳に面会をするようになる。
ある日、淳は控訴を取り下げて死刑を受け入れる。
死刑廃止の立場をとる弁護士は非常に怒るが、
薫は淳の養母となることで、彼との面会を続けるのである。

初回の面会では、ともにあまりにもぎこちなく、当然会話も滞りがちだった。
しかし、時間とともに薫は淳に心を開いていく。
「何か隠してますよね?」
淳の、あまりにも素直な言葉に、薫は隠していた事情を打ち明けることとなる。

「はじめは、どんな男が私の婚約者を殺したのか、最期まで見届けようと思っていました」
と言う薫は、少しずつ、淳に惹かれていくのである。
淳の一言半句を聞き逃すまいと、涙を流しながら、鼻水をすすりながら、
身を乗り出して淳の目を見つめて言葉を聞き続ける。

恋に堕ちるのに理由はいらないから、この二人が惹かれあったとしても、
別に不思議はないのかもしれない。

薫は「どうしても検閲なしで言葉を交わしたかったから」、クリスチャンにあるまじきことをする。
「聖書」を道具として利用した。

面会のとき、「○○のところを勉強してください」「今、△△を読んでいます」の符牒で、
互の気持ちが書いてある場所を示す。
その場所を開くと、聖書の細かい字に紛れるように、黒い細字のペンで文章が綴られている。

想いは醗酵する。

聖書を使ったやり取りの中で、淳が童貞だったことが明らかになる。
そして二人は、「次の満月の夜に・・」
互を思い浮かべながら自慰をしようと決める。


私は尾野真千子という女優を、すごい女優だと思っている。
朝ドラであのレベルの演技を見せられたのは、田中裕子の「おしん」以来だと思った。
なのでこの映画が話題に登るとき、
「全裸の自慰シーン!!」とか
「尾野真千子体当たりの!!」とかいう言葉で括られるのが大変悔しい。

女優にとって「脱いだ」とか「体当たり」などというのはなんの賞賛にもならない。
どれだけ「その女」として生きたのかが勝負だと思っている。

このシーンは、時と場所を隔てても二人は確かに「結ばれたのだ」と言っているのだと思う。
一人果てたあとの薫は、実に満たされた、安堵した表情をする。
そして一筋涙が流れる。

ここには一つの伏線が貼られている。

二人は結ばれたと同時に、薫は淳を産み落としたのだ。
養母となった薫は、おそらく淳が長い長いあいだ恋焦がれていた「母」になったのである。 

この大切なシーンで監督は大罪を犯す。
本来ここは無音でもよいと思う。 
しかしこのエピソードの間中、森山直太朗の曲が、歌声入りで流される。
私は見ていて怒りを感じ、次に脱力した。
この人に、少なくとも今の時点で映画を撮らせてはいけない。

二人が結ばれた次の日、淳の刑は執行される。


独房にいるはずの淳が、海を背にして微笑んでいる。
そのワンカットの後、薫の顔が真正面から映される。

今までに見なかった表情だ。
すっかり邪気が洗い流されて、こどものようになっている。
何かいたずらを企んでいるような顔で、こちらを見ている。

カンカンカンカンカンカン・・
ゴーッ・・・

ああ、ここはホームなのか。

カンカンカンカンカンカン・・
ゴーッ・・

鐘の音と電車の音がどんどん近づいてくる。

その時、ふわり、と薫が飛んだ。



磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還り見む

有間皇子が罠に嵌められ、殺されるとわかっていて旅立つ祭、
松の枝を引き寄せて結ぶという、旅の安全を祈る行為をする。

もし、もしも幸いあらば、無事に戻ってこの結ばれた松の枝を、再び目にすることだろう


原作、映画のタイトルにも使われているこの歌に、難解な作品を解く
手がかりがあるのだろうか。

有間皇子は冤罪だったが、淳は実際に人を殺している。
淳の死刑は確定で、万に一つも逃れる可能性は無い。

二人にとっての「真幸」とは何だったのだろうか。

二人が生まれてから今日までどのように暮らしてきたのか。
そういった背景は、全く描かれない。
互の家族も登場しない。
この人たちは、何を楽しいと思い、何を悲しんで生きてきたのかがわからない。

祈り、生きること、他者の命を奪うこと、性愛、プラトニック、思慕、激情、
母を乞うこと、母として乞われること、愛すること、裏切ること―
あまりにも多くのことが含まれていて、いったい何から探っていけばいいのかわからず、
しばし呆然とする。

実はこの文章も、四回くらい書き直した。
それでもわからなくて、今回最初から又書いた。

なんとなく今感じているのは、今までの人生はどうであれ、
薫と淳は最終的には「幸せ」であったのではないか、ということ。

二人は自分たちの方法で体も結ばれて、そしてかつていた場所に返っていくのではないか、ということ。

二人はかつて同じ場所に居て、そして有間皇子のように、無事に戻ってこられるようにと
願掛けに枝を結び、二人してその結び目を確かに再び見られるのではないか、ということ。


私には、むつかしいです。




nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

「監督失格」 [映画]

女が歳をとるというのはどういうことかと、ここ数年思うことが多くなった。

「監督失格」という映画をレンタルで観た。

AV監督の平野勝之、AV女優の林由美香が主たる登場人物のドキュメンタリーである。

平野の発案で、平野自身が東京から北海道礼文まで自転車の旅をしてそれを自ら撮影してゆく、
という映画の作成が決まる。
それを聞いた由美香が「あたしも行く!」と言って二人の珍道中となるのである。
当時平野勝之34歳、林由美香26歳。
不倫関係だった。

前半はこの旅の映像が主である。

このフィルムの中の林由美香は何とも魅力的だ。
セクシーというよりコケティッシュ
可愛らしくもあり、男を翻弄させるところは小悪魔的でもある。

平野が映していく由美香は可愛い

真剣になると、眉をちょっと寄せる。
大きな目は、こちらを挑戦するようにまっぐに射抜いてくる。
ほどよく脂肪のついた体は、丸みがあってフルーツみたいだ。
笑うときには大きく口を開けて、体を仰け反らせて笑う。

誰かに似ている・・

ああ・・マリリン・モンローだ。

弾力を感じさせる体も、ちょっと垂れた大きな目も、
コケティッシュな魅力がよく似ている。
そういえば、マリリン・モンローも、三十代半ばでベッドで亡くなった。

サイクリング中の映像では、由美香がおしっこをしているところも撮っている。
彼女が酔っ払って、和式のトイレで用を足スタイルで、
テントの中でレジ袋に排尿している。
それを、「この角度でなければ絶対可愛くない!」という絶妙の角度で
平野は撮影している。
あの角度で撮ったから、まるでこどもが野外でおしっこをしているような
自然なかわいらしさが取れたのだ。

そんなこどものような彼女が、手練手管の女にもなる。

「ねえ、なんでさあ、こうやって歩み寄ろうとしてるのに
そういう態度なわけ?」
平野と由美香は帰りのフェリーの待合所で険悪な雰囲気になっている。
苛立った平野が、由美香の頬をぴしゃりとはたく。
それは「ビンタ」とか「殴った」という物ではない。

由美香は心底憎いものを見る目で平野を睨みつける。

場面変わって列車の中。

「あれから、初めて泣いて謝りました」
平野の情けない声がする。
隣に座る由美香はゆったりと煙草をふかし、
うっすらと勝ち誇った笑みを浮かべている。

この旅行中の映像は、いろいろあるけれどでも
二人とも幸せそうである。

旅行は終わり、二人の関係も、男女のものではなくなる。


平野は全く作品が撮れなくなる。
実験的に、由美香とは別の女の人と再度自転車旅行に出発する。
しかし、その映像は悲惨である。

由美香と一緒の時とは別人である。
DV男か? とさえ思える。
平野は常に苛立っている。
自分の隣に居る女が「由美香」でないことに
どうしようもなく苛立ち続けている。



時は流れる。


全く作品が取れなくなった平野だが、
久しぶりに由美香を主演に新作を撮ろう、ということになる。

正直に述べる。

私はそこに映る人が林由美香だと気づかなかった。
彼女は痩せ、大人になっていた。
いたずら好きの天使みたいなコケティッシュさは、もう無かった。
かといって三十代半ばの女の色気も感じなかった。


平野監督は、由美香が亡くなってから一度も泣いたことがなかったそうだ。
しかし、映画の終盤、いきなり監督の号泣場面が映る。
「ぼくは由美香とお別れをしたくなかった」
「そんな簡単なことに気づくのに5年もかかった」
監督は、そのような意味の文章を入れている。

そして監督は、由美香とちゃんとお別れをするために
監督としての、彼にしかできない「由美香のお葬式」をする。

結婚はしなかったけれど、男女の関係ではなくなったけれど、
この人は本当に林由美香という女の人を好きだったんだなと
彼のやり方のお葬式を見ていて思った。

「監督失格」のタイトルの由来は、由美香の言葉である。
平野が、自身と由美香を撮っていたとき二人が喧嘩をした。
後から由美香が、「さっきの喧嘩撮った?」と聞く。
撮っていなかったと答えた平野に、由美香は
「監督失格だね」と、言ったのである。


林由美香はプロだったんだなあ・・と、思う。
腹も据わっていた。
だからこそ、三十代半ばになり、これから先の仕事での厳しさも
肌で感じていたと思う。



平野勝之、林由美香。

この二人は、本当に深く関わることとなる。

平野が、新作の打ち合わせで由美香の部屋を訪れたとき留守だった。
次の日に、アシスタントを連れて再度彼女の部屋を訪ねた。
何の応答も無い。
由美香は仕事の約束をすっぽかすような人間ではない。
彼は微かに不吉なものを感じて由美香の母親に連絡する。
合鍵を持ってやって来た由美香のは母は部屋に入り、奥の部屋に行く途中で引き返す。
入れ替わるように平野がその場所に行く。
平野は由美香の遺体の第一発見者となった。

この時の母の叫び声と、五年後の平野の叫び声。
ともに愛するものの名前を泣きながら呼び続けている。


昔は(否、今もだけれど)ドラマが好きでよく観た。
いつの間にかドラマをあまり面白く感じなくなり、
ドキュメンタリーを観るようになった。
そのドキュメンタリーも、最近はつまらないものが多くなったと思う。

おもしろい!!!(これはもちろん「良い」という意味である)と感じるドキュメンタリーは、
そこに登場する人々の誰かの、魂がむき出しになった場面が映っている。
「感情」ではなく、「魂」。

それが観る人の心を打つのだと思う。

「監督失格」は良い作品だと思う。私は好きだ。

平野監督には大変に辛い仕事だったと思うが、
その過程で彼は覚醒する。
なので、由美香が亡くなってから初めて泣いた。

由美香の遺体を発見した瞬間から麻痺させてきたある部分。
平野監督の精神と生命を崩壊させないために、
自己防衛で麻痺させられた部分。
それがあったから、この人は映画を取れなくなったけれど
命を保つことが出来ていたのだと思う。

もうそろそろ覚醒しても良い頃だと、心が判断したのだろう。

「監督失格だね」

勝気そうな大きな瞳で、ちょっと呆れたように言う由美香の声が
私にも聞こえるような気がする。



nice!(2)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

「ハンサムスーツ」監督:英勉 脚本:鈴木おさむ [映画]

★ネタバレします★


何がいいって、あーた。
谷原章介がサイコーなんですわ。
谷原氏は、私の好きな俳優トップ5の中に入っていますが、
ここまでぶっちぎれてくれるとは思いませんでした。
この人は「二の線」を外れる決意をしたときから、
抜群に面白くなった気がします。

この映画は、一人二役ならぬ「二人一役」なんですね。

ブサイク=琢郎→"ハンサムスーツ着用"→光山杏仁=ハンサム

卓郎(塚地武雅)は心優しいブサイクな青年。
母親の残した定食屋を昔のまんまの値段と味で継いでいる。
腕は良いし、性格もいい。
けどブサイク。
もてない。
振られてばっかり。

ある日その定食屋に、これはまあ何て可愛らしい女の子が「アルバイトしたい」と来るわけです。
この女の子は寛子ちゃん。北川景子が演じています。
ちょっと時代遅れっぽいファッションが、清楚さを倍増させています。
「ああ・・すみません、もう募集締め切っちゃたんで・・・」と言いかけた卓郎を
店の常連たちが羽交い絞めにして「どーぞ!!どーぞ!!」の大歓迎で彼女はアルバイトを始めます。

まあお店に若くて綺麗で気立てのいい娘がいれば、料理も一段と美味しく感じるってものです。
卓郎は寛子ちゃんを「いいなあ・・」と、思い始めるんですね。
でも自分はブサイクだから告白しても駄目だろうと思う。
それを友達や仲間たちがけしかけて、いざ告白!と相成ったわけです。

「好きです!」と告白した卓郎に、寛子ちゃんは真剣な面持ちで問いかけます。
「何処がですか?」「私の何処が好きなんですか?」

で、卓郎は不意を突かれてしまうんですが、気を取り直して一所懸命言うわけです。
「目も、鼻も、唇も、髪質も、・・・・etc. 目に見えるところ皆好きです!」

どういうわけだか、これで寛子ちゃんは「がっかりしました」とか言って、店を出て行っちゃうんです。
琢郎はふられゃったんですね。

そして、数日後、寛子ちゃんと入れ替わるように又々お店にアルバイト志願の女の人がやってきます。
名前は本江さん。大森美幸が演じています。
彼女はまあ、美人ではありません。
でも、ですね。
この映画を観ているうちに、私は登場人物の中で、彼女が一番チャーミングに見えてきました。
「なんて素敵な女の人だろう」と思ったのです。
お昼時の満員のお店で、お客さんを手際よく案内します。
働き者で、気配りも目配りも出来ます。
店主の卓郎が落ち込んでいれば、さり気なく誘い出して元気付けます。

私が一番感動したのは「人の幸せ見つけたら10歩進むゲーム」です。

街で幸せそうな人を見たら携帯でパシャ。そして10歩進む。

彼女は幸せそうな人をたくさん見つけます。
「あ、あの人妊婦さんだ。お腹さすってる」
「あ、あの人大きな契約が取れたのかもしれない」
そうやって、自分も幸せな気持ちになっていくんです。

一言で言うと、本江さんは「大人の女の人」です。

本江さんの優しさは、痛みを知っているから持ちえた優しさだと思います。

反面、寛子ちゃんは「こども」です。
たぶん小さなときから「可愛い」「美人だねえ」「きれいねえ」「好きです!!」と
言われ続けてきた人です。
なので逆に「人は私の内面を、ちっとも見ようとしてくれない!!」という不満と不安を持っています。


で、ね。

話をすっ飛ばしてしまうと、卓郎は「洋服の青山」で「ハンサムスーツ」なるものを勧められます。
ミシュランの横じまがなくなったみたいな着ぐるみ。
しぶしぶ着ると、すっごいハンサム(光山杏仁と店長に命名されます)になる。
このハンサムパートを谷原章介が演じているわけです。

これは笑えます!
実に笑えます!!


この映画の中で、谷原章介と塚時はちゃんと「二人一役」を演じています。
でも、北川景子と大森美幸は「別人格」になってしまっています。
これはねえ、脚本家の大森美幸への愛情が
本人無意識のうちにそうさせちゃったのかなあ・・・と、思います。

この映画の試写の様子や、メディアでの紹介でも、「ハンサム」と「ブサイク」という言葉を使っています。
いろいろ規制はあったと思うのですが、「ブサイク」はOKだったのでしょうね。
決して「ブオトコ」とか「不美人」という言葉は使っていません。

でも最後に一回だけ、「ブス」という言葉が出てきてしまいます。

もうお気づきかと思いますが、再度ネタバレしますと、
本江さんは寛子ちゃんだったわけです。
で、どうやって超美人の寛子ちゃんがブサイクな(でもとってもチャーミングなんですよ)
本江さんになっていたかと言うと「ハンサムスーツ」と逆の働きをするスーツを着ていたのです。
それを卓郎に見せて、種明かしをするときに「ブスーツ」とニコッとしながら言います。

この場面で、私は「あはっ」と笑いました。
ブスになるスーツでつなげてブスーツね、あはっ。

で。
その時から生じた小さな小さなわだかまりが、今もって胸から消えません。

この映画は、いい映画だと思います。
なんだか落ち込んだときに観ると、思いっきり笑って、元気が出て
「よし、まあ又明日からがんばるか!!」と思えるでしょう。

でもね、細心の注意を払っていたはずなのに、どうしてあそこで
「ブス」という言葉を入れてしまったのかなあ・・と、残念に思います。
本江さんと寛子ちゃんは、分離したままになってしまいました。
本江さんは間違っても、言葉遊びのようなものだとしても、スーツの名前だとしても
「ブス」という言葉は使わないと思うのですよ。しかも笑いながら。
女の子、女の人にとって、それがどれだけ胸をえぐられる言葉か知っているのが
本江さんの優しさなわけですから。

「見た目全部好き!!」って言われたっていいじゃないですか。
だって、「ココが好き!!」ってはっきりわからないでしょう?
人を好きになったときは。
内面と外面は、きっぱり切り離せるわけではないし、
内面のよさは嫌でも時間とともにわかってもらえます。

あと一つ残念というか、意図がつかみきれなかったのが、
琢郎の友達の車椅子の青年(池内博之)。
彼はイケメンです。
「ねえ?俺だって顔は良いけど、車椅子じゃん?
でもほら、こーして彼女居るし!!」とか言ってる。

美醜と同じように、一つのハンデとして描いたのかなあ・・?とも思いますが
そういう扱い方はしてはいけないんじゃないか・・、と思ってしまいます。


美醜というのはなんなんでしょうかね・・
例えば20代の頃のハンサムさんが、30年後、残念な変貌を遂げていることもありますし。
女の人は特にそれが顕著ですね。

「顔立ち」ではなく、「顔つき」が大事な気がします。
顔つきには、その人の心の在り様や、生きてきた道のりが表れやすいと思うので。
私は谷原章介氏を見ているだけで幸せでした(笑)。


nice!(3)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

映画「悪人」原作 : 吉田修一 監督 : 李相日 脚本 : 李相日、吉田修一 [映画]

祐一は、いい青年だった。

毎日真面目に働き、家では祖父母の面倒を見ている。
恋人も、特に親しい友達もおらず、好きな車に触れているときが一番活き活きしている。
口下手で、人とコミュニケーションをとるのが苦手だ。
けれど、誰かを貶めようとしたり、他人を踏みにじったり、馬鹿にしたりしない。

毎日毎日家と職場の往復で、その家には、自分を育ててくれた祖母と、入退院を繰り返す祖父がいる。
これじゃあ何の楽しいこともなかろうに。


祐一は出会い系サイトで知り合った女の子セックスすることになる。
そして。
最終的には、その子を殺すことになる。


その夜、祐一と彼女は待ち合わせをしていた。
彼女は祐一に別段惚れているわけではない。
彼女が熱を上げているのは別の男だ。
典型的なドラ息子。

祐一を散々待たせて彼女はやってくるが、
偶然そこで、件のドラ息子と鉢合わせしてしまう。

祐一をほったらかしてドラ息子の車に乗り込む彼女。
祐一はその車を追っていく。

祐一は、口も重く、流行の服も着ておらず、女のあしらいも下手だけれど、
岡田演じる馬鹿息子より100倍いい人間だ。
このドラ息子は、車にのせた女のことを内心馬鹿にしている。
とっとと縁を切りたいと思っている。
なので、真っ暗な山の中の道で、車から彼女を蹴落とした。

この時、打ち所が悪ければ女は死んでいただろう。

祐一は一部始終を目撃し、とにかくも女の子を自分の車にのせて家に送ろうとする。
この時彼女が素直に従っていれば、あんな事件は起きなかっただろう。
激昂している彼女は、頑なに祐一を拒む。
挙句に大声で「レイプされたって言ってやる!」「訴えてやる!」と叫びだす。

祐一はどうすればよいかわからずに、おろおろするだけだ。
そして、パニックになっているところに追い討ちをかけるように
「あんたの言うことなんか、誰が信じる!?」と言われて感情が切れてしまう。



誰もが「悪人」であり「善人」であるようにも見える。


逃避行をすることとなる「光代」とも、祐一は出逢い系サイトで知り合った。

生まれた町で、小さな半径の中で、同じような毎日を繰り返す女。
同居する妹には彼氏がいるのに、自分は一人ぽっちの女。
だんだん若くなくなっていることを、自覚している女。


祐一に、「光代と会う前に人を殺した」と告げられる。

二人はホテルで体を重ね、そして祐一は車を降りて
自首するために警察に向かうのだ。


その後姿を見ながら光代は滂沱の涙を流す。
いけない・・いけない・・
いけないとわかっていて、彼女は泣きながらクラクションを鳴らした。


そして、祐一と光代の逃避行が始まる。

光代は途中から慈母観音になる。

ラブホテルを泊まり歩き、最後は灯台に住み着く。
祐一は全国指名手配され、顔写真テレビで流されている。
そんな祐一を灯台に残し、光代は買出しに町に行く。
そして、公衆電話で妹と口論して受話器を置いた時、
「・・光代さんですね」と、声をかけられる。
声の主は警官だった。

駐在所の一室に光代は座らされ、先ほどの警官が別室から電話をしている。

「はい・・"保護"しました・・それが、とても混乱して
よく状況がわかっていないようで・・」

その隙に光代は窓から逃げ出す。


祐一の母親は、幼い彼を置いて出て行ったきり、どんなに待っても帰ってこなかった。

光代は戻ってきた。

何度も転びながら、転がるように、泥と枯れ草にまみれ祐一の元に駆けてくる。

その姿を、灯台のちいさな窓から祐一は見ていた。


泥だらけの光代を迎え入れ、二人はもう時間が無いことを知っている。
遠くでパトカーのサイレンが幾つも重なって聞こえる。

その時、祐一は豹変する。

「俺はあんたが思うとるよな男じゃなかと」

祐一の両手は光代の首をぎりぎりと締め上げていく。
混乱した光代の表情が写り、祐一は光代の首を絞めながら
噛み付くように接吻する。
警察が二人の場所に突入してくる。

祐一の、光代に対する役目は終わった。

其の役目は成功したのだ。
だから、もう一度、せめてもう一度、光代に触れたかった。
光代に伸ばした祐一の手は、しかし警官たちに押さえ込まれて届かなかった。

殺人犯に脅迫されて、連れまわされた被害者女性。

このとき、光代の立場はそのように決定したのだ。

「事実」は違う。

光代は祐一の自首を引きとめた人間だ。
殺人犯と知っていながら一緒に行動し、匿った人間だ。
本来ならば、光代も刑を受ける立場の人間なのだ。
それを、祐一は阻止した。


光代は以前の切活に戻り、祐一が殺人を犯した場所に花を手向けにタクシーでやってくる。
しかし、その場に被害者の父親を見つけてタクシーから降りなくなった。

「そうですよね。あの人は、悪人なんですよね」

運転手になのか、自分になのか、光代は少しぼんやりと言う。




その時、光代は何を続けたかったんだろう。

「悪人は、私の方なんです。
あの人、自首しようとしたんです。
でも私、どうしてもそれきり会えなくなってしまうのが嫌で、
あの人のこと止めてしまったんです」

「私、あの人に脅されたりなんかしませんでした。
私たち何度も、ホテルでセックスしました。
最後行くところがなくなって、あの灯台に住み着いたんです。
夜は寒くて。
あの人、なんとか火をおこして、お湯を沸かして、
私の足をあっためてくれたんです」

光代がそのことを警察に話せば、祐一の刑は軽くなったのかもしれない。
けれど、光代自身も刑に問われるだろし、何より祐一の気持ちを無にすることとなる。


何かがちょっと違ってしまっただけで、誰が「悪人」になるのかわからない。
誰の中にも「悪人」がいて、何かの弾みでそれが出てきてしまうことがあるのかもしれない。

どう見たってあのどら息子の方が、よっぽど悪人じゃないか・・
なのにどうしてあいつはゲラゲラ笑いながら安穏と暮らしているのか。


灯台で暮らしていたとき、祐一に目隠しされたまま、
光代は外階段を上らされる。
二人は笑っていて、「いったい何なの?」と無邪気に問う光代の声が
聞こえてきそうだ。

階段を上り終え、真っ直ぐ立った光代の目を後ろから覆っていた
祐一の手がゆっくりと外される。

昇ったばかりの太陽だった。

朝日に照らされ、風に煽られた光代の顔は、
あらゆる邪気を拭い去ったように、きれいに輝いている。
何の化粧も施していないその顔が、幸せに微笑んでいる。

祐一は、ちょっと照れたように、ちょっとぶっきらぼうに、
横を向いたり下を向いたりしてそわそわしている。
母の日に、お母さんの似顔絵を渡した男の子のようだ。

こんなものしかあげられないけれど・・

そんなふうに思っていたなら、祐一。
あなたの見せてあげた朝日は、世界中のどんな宝石よりも
美しいものだったのよ。



祐一は、いい青年だった。




と、ここで終わりにすることも出来るのだが、私はわからない。
わかり易い構図の中に、何かが隠されていないだろうか?
祐一は本当に、ただはずみで若い女を殺してしまっただけなのだろうか。

抑圧された生活の中で、何かが祐一の中で育っていきはしていなかったのか。

カメラワークのせいなのか、祐一がひどく冷たく見えるときがあった。
祐一の中に小さな悪人が棲みついていて、その小人のような悪人が
小躍りしているように感じる場面もあった。

わからなくなる。

祐一は人を殺した、と知っていて見るからそう見えるのか。


わからない。

誰もが悪人に成り得るし、善人にも成り得る。

どちらにも転ぶ可能性を抱えて、綱渡りのように毎日を生きている気がする。

今の私には、そこまでしかわからない。




nice!(3)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

「息もできない」製作・監督・脚本:ヤン・イクチュン [映画]


主人公サンフンは30代の男である。
幼馴染で先輩でもある男の仕事を手伝っている。
といっても、借金の取立てだ。

サンフンはいつも何かに苛立ち、怒り、当たっている。

取立てに行けば容赦ない。
相手を威嚇し、徹底的に力を見せ付ける。


サンフンには姉と妹がいた。

彼らの両親は、彼らが子供の頃日常的に(と、映画を見ればわかる)諍いをしていた。
罵り合い、憎しみに満ちた目で相手を睨みつけ、つかみあう。

その日も両親は激しく喧嘩をしていた。

怯えて見ていたサンフンに妹が言う。

「お母さんが殺されちゃう・・」
「お兄ちゃん、お母さんがお父さんに殺されちゃう!」

激昂した父親が引き出しから包丁を取り出した時、妹は両親を止めに走っていく。

妹は父親の包丁が腹に刺さり倒れる。

蒼白になってサンフンは妹を背負って病院に走る。

錯乱した母親は外に飛び出、車に跳ねられてしまう。

結果、サンフンは母と妹を亡くす。



先輩は仕事から戻ったサンフンに語りかける。
「でも親父さんは服役して罪を償ったんだろう? 
 俺みたいな孤児にしてみれば、そんな親でもいてほしいと思うよ」


サンフンの体の中には怒りと恨みが充満している。

父親に対する強烈な憎しみ。
妹を見殺しにしたという、自分への怒り。
何故母と妹が死に、あの父親が生きているのかという理不尽さへの怨嗟。




もう一人の主人公、ヨニは女子高生だ。
あんまり熱心に勉強しているようではないが、その歳にしてはしっかりした印象だ。
ひょんなことからー  全くもってひょんなことから、サンフンとヨニは出会う。


母親が昔屋台をやっていた。今は屋台は休んでいる。
父親は退役軍人で、今は家で年金生活。
イケメンの弟がいる。

ひょんなことから出会ってしまったサンフンとヨニは
「屋台の雰囲気が好きなの」というヨニに合わせて
屋台で食べながらそんな話をしていた。

サンフンは言う。

「屋台でがっぽり儲けたんだ。
 そこそこの家の子だと思ったよ」

ヨニは否定しない。
サンフンが言った事は、ある面の事実だ。


ヨニの母親の屋台は、ある日男たちの集団に襲撃されたのだ。

それを止めに入った母親は必死になり、包丁を振り回す。
そして、殺された。

男たちに両手両足を持たれ、まるで動物のように運ばれる母親を
ヨニはただ見ていた。


家に帰ると退役軍人の父親がいる。これも事実だ。
父親は呆けたようにテレビを見ている。
ヨニは毎日そうするように、家族の夕飯の支度に取り掛かる。

「娘に食事の支度をさせて、母親はどこに行ってるんだ! !」
呆けたように座ったまま、父親は大きな声を出す。

「何度も言ってるでしょ! ? もうお母さんは何年も前に死んだでしょ! !」

「死んだ? 何を言ってる・・ どこかの男に股を開いているんだ! ! 」


大好きだったお母さん。
屋台をたった一人で守ろうと、男たちに立ち向かっていったお母さん。
殺されて、大の字からそのままに、両手両足を持って荷物みたいに運ばれていったお母さん。
どうしてそのお母さんが、どこかの男に股を開いているなんて言われなきゃならないの! ! ! ! ! !


ヨニは一女子高生としての世界に住んでおり、同時に別の世界にも住んでいる。
彼女が住んでいるもう一つの世界は「家庭」という拷問の世界だ。



サンフンもヨニも、極小サイズのピースで作り上げられた
ジグソーパズルの世界に住んでいるようだ。

深く考えたり、相手にきちんと対応していたら自分の精神が破壊される。
なので彼らは自分を守るいくつかの方法やルールを、経験から見つけ出した。
その方法やルールに則って生きている。


サンフンはいつも苛立っている。
怒りのバリアで他者を自分に立ち入らせない。

ヨニは自分の家での生活を誰にも言わない。
彼女の「家庭以外の生活」も事実であるので、
まるでその世界のみで生きているように振舞っている。
他者は彼女の中に入り込めない。

彼女が生きている「もう一つの世界」の存在を知らないからだ。



サンフンもヨニも、十分すぎる程知っている。

「自分の気持は誰にもわからない」

誰にもわからない自分の気持を、「この人は知っているかもしれない」と
互いに気づく場面がある。

二人がいっしょに泣いている。

具体的に何があったかは互いに言わない。
けれど、二人の心が共鳴している。
同じ悲しみを、怒りを、屈辱を、抱えて耐えて生きてきたと確信する。
二つの心が互いを労わり合っている。



人は、誰かを憎みきれたらどんなに楽だろう。

憎むというのは、ある意味で、ある意味で楽だ。
相手が不幸になれば単純に喜ぶことが出来る。

憎んでいるのに愛している、という感情がある。
サンフンとヨニは、家族に対してその複雑な感情を抱いていたのだと思う。

サンフンの父親は母親に散々暴力を奮い、あげく幼い妹を刺し殺し、実質的には母親も殺した。
その父親を憎み憎み憎み、けれど憎みきれない。
誰も知らない、サンフンだけが知っている父親の優しさがあるはずだ。
遠いこどもの日の幸せな思い出があるはずだ。

そして誰にもわからなくとも、サンフンには
父親自身の懺悔と情けなさと屈辱がわかっているはずだ。

それでもサンフンは仕事から家に戻ると、もう年老いて力も無い父親を
執拗に、殴り、蹴る。


暴力は連鎖する。
そして、増殖する。

サンフンもヨニも、心の優しい人間なのだ。

彼らがもっと冷たい人間だったら、自分たちの親を捨て
自分たちの幸せを追求しただろう。
それは悪いことではない。


映画の終盤、サンフンの幼馴染で仕事の上司でもあった男が
焼肉店をオープンした日の様子が描かれる。
それまでの怪しげな仕事を辞めて店を持つつもりだと、彼は前に言っていた。


このあたりで私は時間軸がわからなくなった。
直前、非常に凄惨な場面が描かれる。

あれはどうなったのだ?

みんな開店祝いで高揚し満面の笑みだ。

あれ・・? じゃあこれは、あの凄惨な出来事の前に起こっているの?
出来れはそうであってほしい。あまりにもサンフンが可愛そうだ。

わかないまま私は画面を見続ける。

サンフンに縁のある人たちが、皆楽しそうに笑い、美味しそうに食している。
開店祝いの食事か終わり、皆それぞれ席を立つ。
店主となったかつての上司は、店の入り口のドアを見ている。

ドアの外では、ヨニとサンフンの姉が、本当の姉妹か親子のように向き合っている。
姉がヨニを力づけているような様子だ。
話しながらずっと、彼女はヨニの手を握っている。
言葉だけではない慈愛がそこにある。


場面が一転する。


光が・・光が全て青白い。
画面全体が冷たく青白い光で均一に照らされている。


中途半端な長さのカーテンで区切られた幾つもの空間。
そこに置かれているベッド。


「ああーっ! !」
「うおおおおおおっ! !」

サンフンの姉と幼馴染が、一つのベッドのもとに取り縋り
大声を上げて泣いている。
ベッドからは、サンフンの二度とは動かぬ腕がはみ出ている。


ああ・・さっきの残虐な場面はこうなったのだ・・・

この時間軸の入れ替えが白眉である。

サンフンの父親も、声を上げずに泣いている。
白い壁にもたれかかってヨニが立っている。

ヨニは強い子だから泣かない。

ピンクのカーディガンにポニーテールのこの女子高生は
あまりにも悲しい場面を多く見てきた。
だから彼女は泣かない。
怒号や悲鳴のような泣き声の中、リュックを背負ったまま立っている。

彼女が下を向く。
少しして顔を上げ、まるで怒っているように横を向く。
涙が盛り上がり、彼女の頬を伝う。


それは、焼肉店開店の何ヶ月前のことだったのだろう。
皆があの笑顔になれるまで、どれだけの時間か必要だったのだろう。




この映画のことを知ったのは、いつもお訪ねするkenさんのブログ
「ナニミル?~DVD日記~」だった。

kenさんのブログから、引用させていただく。

 そもそもこの作品は、俳優として活躍してきたヤン・イクチュンの内に眠るテーマだったそうだ。
 「自分は家族との間に問題を抱えてきた。このもどかしさを抱いたままでは、この先生きていけないと思った。すべてを吐き出したかった」
 そこで脚本を書き始め、資金を集め、初めて監督に挑戦し、自ら演じることにした。彼は「内容はフィクションだが、映画の中の感情に1%のウソもない」と言い切っている。(以上、引用)



自分は家族との間に問題を抱えてきた
すべてを吐き出したかった
内容はフィクションだが、映画の中の感情に1%のウソもない

これらはまさに私の心情で、ブログに向かうスタンスそのものだった。

kenさんのレビューを拝読してから数時間後、レンタルショップでこの作品を借りてきて
一気に見た。

全ての登場人物に「私」がいた。


私は家族を深く憎み、それ以上に深く愛して生きてきた。
私には吐き出したいことがたくさんあった。
でもそれは、事実をそのまま表現すれば、多大な誤解や
私の意図しないことを生じさせるおそれがあった。

なので私は「フィクション」としてブログに様々なことを書き始めた。

まさに
「内容はフィクションだが、映画の中の感情に1%のウソもない」
である。


kenさんは「テーマはDVである」(「」内引用)と、捉えておられる。
なるほど、と思う。
暴力というのは「実際に殴る蹴る」だけではなく、もっと多くのことだと思う。

拳で殴られることも、拳を振り上げられることも(たとえそれが振り下ろされなくとも)、
母親の尊厳を父親から汚されることも、「お母さんがお父さんに殺されちゃう !」
と震え上がることも、されていることは全て「暴力」であると思う。

家庭の中で行われる暴力は、なかなか表に出にくい。

「世間体が悪いからだろう」と言う人もいる。
家族を愛している場合もある、と私は思う。


一番吐き出したいことは、未だ私の体の一番奥に、鉛の玉のように沈んでいる。


タイトル、「BREATHLESS」。日本語タイトル、「息もできない」

BREATHLESSの意味は、「息切れした 」「(はらはらしながら)息を凝らしている」
などとあった。
それはまさに、サンフンたち兄弟が毎日感じていた、
生活の一部となっていた恐怖の状態だったと思う。

そして、そういう日々を生きている、もしくは生きて大人になったサンフンやヨニの
閉塞感、絶望感、虚無、しばしば湧き上がる残忍な殺意、
そういったものを全て含んだ言葉だと思う。


この映画は私にとっての「人生の課題」となった。


この映画を紹介してくださり、レビューの引用などをご快諾くださった
kenさんに、こころから感謝いたします。

どうもありがとうごさいます。



nice!(1)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

映画「天使の恋」言いたい放題 [映画]

佐々木希が好きな方。
谷原章介が好きな方。

この方々には十分に楽しめる映画だと思います。

現に谷原章介が大好きで、彼が演じたような
かっこよくて、インテリっぽくって、でもボーっとしてて(笑)
お勉強以外は苦手― なんて男の人にメロメロになっちゃう私には
本当に宝物のような場面がたくさんありました。

正直言うと、「不覚にも泣いた」場面もありました。



でもね。

ええとですね、ここから先はネタバレ全開、言いたい放題でいかしていただきます。



佐々木希。

「飛びぬけて美しくカリスマ性のある」17歳には、見えないんだなあ・・

きゃばい姉ちゃんにしか見えない。
そういう設定だから仕方ないんだろうけど、この人はあんまりお化粧しないほうが
美しさが際立つ気がする。特に目のお化粧。
マスカラでこれでもかっ!と伸ばしているときより、ラストシーンのアイラインのみの方が
きれいに魅力的に見える。

で、ですね。

この人はほとんど演技の経験が無いから、撮影に入る前に、監督から直々に一ヵ月半の演技指導を受けたそうだ。
そして「最初の頃は、NGが出ると”えーっ!OKでいいじゃない!”と言ってたのが
最後の方では、OKが出ても"今のところ気になるからもう一回やらせてください"と言うほどに成長した」のだそうだ。

  ・・・  撮影に入る段階で、"今のところ気になるからもう一回!" というまでにはもってけなかったのだろうか?

かつて「私が捨てた女」の撮影時、主演女優は監督のしごきに耐えかねて失踪したではないか。
「もう頬杖はつかない」の桃井かおりは、「昨日自殺しようと思ったけど、映画が完成しなくなるからやめた」と
撮影中に言ったりしてたそうだ。

今は映画監督まで、甘甘な時代になってしまったのだろうか?



この主人公の里央が、全然かわいくない。

とある理由から、お金と、自分に利用価値のある人間だけしか大事にしなくなった17歳の子。

その理由に関しては心から同情する。
だけどやってることがひどすぎる。

でもって何度も言ってるけど(笑)、化粧がケバ過ぎる。

これは個人の好みになるけど、私は制服を着て化粧をしている女の子が嫌いだ。
だいたい美しくない。
そういうのが好きだったり、そそられたりする人も居るのかもしれないけど
どうしても汚らしく見える。
制服の美は「抑制の美」だ。
それを崩すとコスプレになってしまう。


で。

里央が谷原章介演じる光輝にフォーリンラブするのはわかる。
恋に落ちるのに理由なんて無い。

一応映画のコンセプトとしては、光輝に恋をしてから里央は違う人になったように悪いことをやめ
可愛い女の子になっていく、ということらしい。


だけどさあ、あんな超高級なマンションを好きに使っていいよって鍵とクレジットカードを渡してた大人の男が
それを部屋に残していくだけで、きれいに別れてくれるか?

おまけに援助交際の手伝いしていた男が、「なんか安心したよ。里央も普通の女の子なんだなって」
なんて笑顔で言って解放してくれるか?
普通に考えて、そんなに簡単に足を洗えるわけが無いと思うんだけど。

それにその男が「最後に一発・・」みたいに迫ってきたのを、
なんで里央は受け入れるんだよ!!このやろう!拒めよ!!!!



光輝は。

谷原章介はさすがにうまい。
この人はシリアスもコメディも、何をやらせてもいけると思う。
最近ははじけてたのが多かったようだから、
こういう影があって、朴訥で、シャイで、前髪がおりてて(笑)
無精ひげまでサービスしてくださると(笑)、涙が出るほどうれしい。


でね。

この光輝が里央に惚れるだろうか?

先ほど、恋に理由は必要ないと書いたし、光輝はある意味非常事態であるし
何かにすがるように恋に走ることもあるかなあ・・とは思うけど。
惚れるかなあ・・
黒のネイルアートして、化粧バリバリの17歳に惚れるかなあ・・・



この映画は、ほんのワンシーンくらいに結構メジャーな俳優さんたちを使っている。
若村真由美、津田寛治、吹越満。

だからこそ、佐々木希はじめ中心の女の子たちにもっとがんばってほしかった。
きっと全然違う作品になったんだろうに・・


里央役は難航したと聞いたけど、佐々木希じゃ無い方がよかったんじゃないか。

それまでの自分を壊してしまうくらいに腹を括った人間を使うべきだったんじゃないか。



あと、この映画にはちょこちょこ遊びが含まれている。
いろんなもののネーミングに関して。

光輝が勤める大学が「九智大学」。
きゅう・・ち・・?
これ「グッチ」なんですね。

そんなのが何箇所かある。

ただしですね、あーた。

ラストシーンでそんなことしちゃいけない。

ラストシーンですよ、ラストシーン。

感動がクライマックスになるはずのシーンですよ。

雨に濡れた鄙びた無人駅が映る。
駅舎に駅名を記した大きな板が掲げられている。


富良田・・・


・・・

あのね、確かにこの映画は、登場人物たちの服やバッグが目玉の一つだとはわかってるわけです。
でもさ、もう「感動のラストシーン」も何もないよ、しらけちゃって。
心の緊張が解けてしまいましたわん。


佐々木希は、若干27歳の寒竹監督のことを「とってもおしゃれなんですよ」と言っていた。
監督自身も、「登場人物たちの服装やネールも、こだわって場面ごとにテーマを決めてます」と言ってた。

いくらそういうところをがんばってても、ラストシーンの駅名が「富良田」じゃぶち壊しである。



何をどうしても「ここは死守!」という箇所が映画作りにはあると思うのだけど
そこがずれてたような気がする。
何をどうしても守らなければならないところを、流してしまった感がある。


なんて言うんですかね。志、というものですかね。


そこまで求めちゃもういけないのかな・・
でも、いい映画は今でもあるもんね。


繰り返しますが、私はこの映画で「不覚にも泣いた」箇所があったわけですよ。

でもね、なんか違うと思うなあ・・

あ、最後に。

この「天使の恋」って題名の天使は、きっと里央のことですよね?
でもどう考えても里央は「天使」には見えません。
外見も、やってたことも。


反省会、開いてほしい。


きっともっといい映画になっていたのに。



nice!(4)  コメント(11)  トラックバック(1) 
共通テーマ:映画

「空気人形」 [映画]

空気人形は、ダッチワイフである。

でも「空気人形」というと、とたんに卑猥さがなくなるような気がする。

紙風船やシャボン玉のように、人の息で膨らんで
はかなく流れていく、そんなお人形さんのような気がする。



ペ・ドゥナ演じる空気人形は、ちょっとさえない中年の男のもとにいる。
そしてある時「もってはいけない心をもって」しまう。

心をもってしまった空気人形は、お洋服に着替え、街に出かける。
何を見ても新鮮で、ちょっと臆しながら、それでもわくわくしながら街を歩く。

そして空気人形は、何気なく入ったレンタルビデオ店の店員、純一に一目ぼれする。


レンタルビデオ店で働き始めた空気人形は、ある日腕を何かにひっかけてしまい
そこから空気が抜けていってしまう。

へなへなと床に仰向けに倒れたまましぼんでいく彼女のもとに駆け寄り、
純一は穴をセロテープでふさぎ、「ごめん!」と一言言ってスカートを捲くり上げ
おへその空気の入れ口に、自分の口から空気を吹き込んでいく。


空気人形はダッチワイフであるからして、何度も擬似性交をしている。
そのとき、ちっとも幸せそうではない。

でも純一に息を吹き込まれていく彼女は、本当に満ち足りた表情をしている。

好きな人の息で体が満たされていく。

これも一つのセックスなのだろう。

自分が大好きな人の一息で、少し体が楽になる
もう一息で、もっと楽になる
また一息で、伸びやかになる

決して見られたくはなかった自分の無様な姿態を晒している羞恥と
幸福感がない交ぜになり、たまらなく官能的な状態になる。



ラストで空気人形は夢を見ている。

かつて純一といったレストランで、サプライズのバースディパーティーをしてもらっている。
何本もの蝋燭が立った丸いケーキが運ばれてくる。
「さあ、一息に消して」
みんなの笑顔に囲まれて、空気人形は息を吐く。

息を吐く。

息を吐く。



そのとき、現実の空気人形は、もう人形としての役目を終えようとしていた。

夢の中と同じように、息を吐いている。

ふーっ。

ふーっ。

彼女の吐く息が、ちょうどその場に植わっていたタンポポの綿毛を散らしていく。

彼女が吐いている息は、純一が彼女の体に吹き込んだ息だ。


空気人形が出会った、かつて国語の代用教員をしていたという老人が教えくれた
吉野弘の詩「生命は」が、浮かぶ。



生命は
自分自身で完結できないように
つくられているらしい(略)

生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ(略)

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光りをまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない




彼女か飛ばしたタンポポの綿毛は、それぞれに飛んでいく。

そしてほんのちょっとの関わりを彼女と持った人たちのもとにゆく。
誰かは、肩にとまったタンポポの綿毛に、寂しさを一瞬忘れるかもしれない。
別の誰かは、遠い幸せな日を思い出すかもしれない。


純一が彼女を満たしたように、彼女は最期に誰かを満たしていく。


たぶん彼女の息が止まったとき、彼女が横たわるごみ置き場を見下ろす部屋の窓が開く。

部屋の住人は、過食症のOLだ。
ごみだらけの部屋。満たされない心。
その彼女が、空気人形を見てつぶやく。

「きれい・・」



私は空気人形。
性欲処理の代用品。

自分のことを、そう空気人形は言っていたけれど、彼女は代用品としてでなく
ちゃんと他者を満たす役目を果たした。



この映画のポスター、webで、お人形さんのペ・ドゥナが写っている。
お人形の無機質な質感がよく出ている。
そして、感情のないはずのお人形なのにどこか悲しく寂しそうである。


生きることは、そもそも悲しく寂しいことなのだと思う。

時々とてもうれしいことがある。

そして、とてもささやかな存在である人間たちは、
自分でも気づかぬうちに、ちゃんと誰かを慰めたり、慰められたり
誰かと誰かをとりもったり、とりもたれたりしているのだろう。


今の日本で、この役をできる女優さんはいなかったと思う。

ペ・ドゥナは最高に可愛かった。


nice!(4)  コメント(5)  トラックバック(2) 
共通テーマ:映画

ぐるりのこと [映画]

マスクというのは便利なものである。
私は毎日マスクをして通勤する。

私はうつ状態のなかにいる。

体が重い。体中が痛い。
満員電車でつり革にぶら下がりながら、
「このままここにしゃがみこんでしまいたい!」と思っている。
職場に行きたくない。
行きたくない。
ああ・・嫌だ、嫌だ、嫌だ!

涙がどんどん溢れてくる。

マスクというのは便利なものである。

流れる涙を縁で吸い取ってくれる。
垂れ流す鼻水は覆い隠してくれる。





一組の夫婦がいる。

生まれたばかりの子どもが亡くなる。
直接の原因はそのことだったのか、もしかしたら違うのか。
妻はうつに嵌っていく。

小さな出版社に勤める妻は、しっかり者だった。
仕事に対する責任感も旺盛だ。
なので、子どもを亡くした後も仕事を続けている。

後輩がだんだん仕事を覚えてきて、彼女のポリシーに反する行動をとる。
そのことで後輩と言い合いになる。
彼女は心が優しい。
相手を決定的に傷つけるような言葉は使わない。
言葉のトーンもなんとか抑えようとしている。
後輩は激昂してくる。

職場というのは非情なところだ。

子どもを亡くした女にも、容赦なく矢は降ってくる。


彼女の出版社が関わった本がベストセラーになる。

外国から著者がやってくる。
年配の恰幅のいい女の人だ。
「愛」とか「優しさ」とかいう言葉が、でかでかとポスターに書かれている。

長蛇の列を成しているのはほとんどが女の人だ。
みなサインをもらうために本を胸に抱き、高揚した表情をしている。

「愛」
「やさしさ」

彼女は著者のすぐ横に立ち、サインするための本を開いては筆者に渡していく。

彼女は苛立っている。
けれど苛立ってはいけないことを知っている。
なので無表情になる。
まるで吐き気を抑えているように、こみ上げる感情を抑えながら本を開いては渡していく。


とても背の低い女の人が著者の前に立つ。
何かの病気だとわかる。
「私はあなたの本を読んで、本当の愛に気づきました」

そう言う小さな女の人を、著者は「あなたこそ本当の愛を知っている人」と言って抱きしめる
列を成す人達が共感の声をあげ拍手をする。


彼女の我慢が切れた。

泣いてはいけない。
仕事中だから泣いてはいけない。

大きな書店の奥へ奥へと彼女は逃げるように入り込み、
大判の本を広げ、そこに顔をうずめて声を殺して泣き続ける。



DVDを見ていて、正直私は彼女がうらやましい部分があった。
あんなに優しい夫がすぐ横にいたからだ。
仕事を辞めることも出来た。


彼女に、一つの「仕事」が依頼され、迷った末に彼女はそれに取り組むことになる。
この前後の会話から、どうやら彼女は自殺を図ったらしいことがわかる。

この「仕事」に取り組むことで、彼女は次第にエネルギーを取り戻していく。

ここもまた、「そんなにうまいタイミングはなかなか無いよなあ・・」と、ちょっと感じてしまった。


結局のところ「時間」、なのだろうか。

だんだんに回復していく彼女が春のある日、桜の花びらを小さな仏壇に散らし
「桜が咲いたよ」と、微笑む場面があった。
あれは子どもを亡くしてから、何年後のことだったのだろう。

もうちょっと、夫婦のどろどろしたところも描いてほしかったようにも思う。
リリー・フランキー演じる夫は、頼りなさそうでいながら結構しっかりしている。
妻の身内に皮肉られても、後からそれを理由に妻をなじったりはしない。
きちんとそういうことも受け止められる、もしくは受け流せる人だ。


かつて瀬戸内寂聴氏の法話をテレビで見た。

「それはね、親しい人が亡くなったら、それはもう朝起きたら涙、夜寝るときには涙、
何をしても涙涙ですよ。
でもね、一年二年たってくると、あれっ?そういえば今日は、あの人のこと思い出さなかった・・
という日が出てくる。
人間はね、忘れる生き物なんです。
これは仏様からの恩恵だと思います。
二十七回忌とかなんてね、もう皆笑ってますよ」

瀬戸内氏の話の聞きながら、私は笑いながら泣いた。


私は「魂の再生」とか「夫婦の絆の再生の物語」とか、
やたら「再生」という言葉を使う風潮が嫌いだ。
ことさらに「再生」などという大げさな言葉を使う必要は無い。

ただ時間の中で、人が傷ついたり、沈み込んだり、這い上がろうとしたり、穏やかになったり、
その過程を追ったことに過ぎない。

なのでこの作品も、一組の夫婦の時間の流れを淡々と描いたものだと思っている。
ちょっと出来すぎた感もあるけれど、辛いことがあって、悲しいことがあって、
そして時々うれしいことがあって、そうやって生きている私たちの一つの情景を描いた、
ささやかに優しい作品だと思っている。




nice!(4)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

「接吻」 [映画]


遠藤京子という28歳の女の人がいる。

彼女はOLをしている。

彼女はとても孤独だった。



★★以下、ネタバレします★★

続きを読む


nice!(3)  コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。