So-net無料ブログ作成
検索選択
おびょうき ブログトップ
前の10件 | -

生きてるだけで万々歳 [おびょうき]

「と、いうことで」
こちらに向き直って、主治医は続けた。

「これで手術から完全に五年が過ぎました。」

「絶対に再発しない、とは言いませんが、幸いShoさんのがんは
とてもリスクの低いがんです」

私はずいぶん久しぶりに気持ちが引き締まるのを感じながら、
医師の顔をみつめ、言葉を聞いていた。

「お薬も、やはり副作用もあるんです。
なので、五年間飲みましたからここで終了にしましょう。
外来診療も、今までは三ヶ月に一度でしたが、これからは半年に一度でいいと思います」
「これからも半年に一度ずつ、経過観察をさせてください」

最後の言葉に、主治医の人柄を感じて、「ああ、この人でよかった」と思う。


いつものように次回の予約を入れて、いつものように退室する。

エスカレーターで下の階に降り、会計の列に並ぶ。


そうか、五年経ったのか。

窓の外は急に春めいて、つい先日の大雪が嘘のようだ。


過ぎ去った五年間の、一年毎の記憶がほとんど私には無い。
ただ毎日体を引き摺るようにして職場に行き、仕事をし、又体を引き摺るように帰ってくる。
その繰り返しだった。

私は思う。
何故、一人身の私がリスクの少ないがんで、未だ中学生の子どもが居て、
夫が難病になり、そのことを理解してもらおうと親戚に説明を繰り返しては
拒絶され苛め抜かれていた母が、悪性度の高いがんだったんだろう。

心がけも行いも、私よりは母の方がずっと良かった。

死んで悲しむ人も、母の方が遥かに多かった。

母が死んだら、私たちは生きていけないと思っていた。
それでも母は死んだ。

そして、生きていけないと思った私は、どうにかこうにか生きて、生き延びて、
母が死んだ歳にもうあと一年少しとなった。


ああ、もう、生きてるだけで十分じゃないか。

嫌な奴がいる、許せないことがある、殴り殺したい奴がいる。
そんなことはもうどうでもいいじゃないか。

みんな死んでいくのだ。
何も私が手をくださなくても、ちゃんと人は死んでいくのだ。

先のことはわからないけれど、とにもかくにも、本日只今、私は生きている。
明日死ぬかもしれない。
三十年先かもしれない。
それは誰にもわからない。

ぼろを着ている、ああいいじゃないか。
化粧もしていない、ああそれでいいじゃないか。

なんだっていいじゃないか、とにかく今生きているのだ。



あの日。
六年前のあの日、最初に訪れた乳腺外科のクリニックの院長は、
「なのであなたのは、100パーセント、がんじゃありません」と言った。
あのまま席を立って帰っていたら、今頃私は生きていないかもしれない。

そして又あの日。
体の不調を申し出たとき、今の乳腺外科の主治医が、すぐに婦人科の予約を入れてくれなければ、
やはり私は、今生きていなかったかもしれない。


生かされているのだと言われても、ぴんとこない。

ただわかっているのは、私が今、生きているということだけだ。


かけがえの無い人を失くしそうになったとき、私は「ただ生きていてくれればいいから」と思った。
何かをしてくれればとか、そんなことは必要なかった。
何にもしてくれなくていい、とにかくただ、ただ生きていてほしかった。


私の命は、様々な人の何の見返りももとめない愛情と、身を粉にした行為と、
いくつもの思いやりや励ましでここまで来た。
どんな人の命も、そうやって、数限りない人たちの思いと行為に支えられているのだと思う。
感謝の言葉を述べようにも、多くの人たちは既にこの世におらず、
又別の多くの人たちとは会うこともなくなった。

夢や希望も無くはないが、先ずは生きているから十分じゃないかと思う。
元気じゃなくたっていい。
ぼろい服でもいい。
太ってもやせてもいい。
もう何だっていい。

生きてるだけで万々歳だ。
本日只今、私は生きている。

もうそれだけで、万々歳だ。



nice!(2)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

がんと闘って何が悪い [おびょうき]

気づけば乳がんの手術を受けて、5年の月日が流れていた。
子宮体がんの手術が確か1月の末だったから、こちらも約5年が過ぎ去ったこととなる。
一年一年の思い出はない。
毎日慌てふためいて家を出て、くたびれ果てて帰ってくることの繰り返しだった。
ある意味でよかったのかもしれない。
仕事以外のことを、ほとんど考えずにすんだ。

そういえば昨年の今頃、中村勘三郎さんが亡くなった。
本当に驚いた。
このことで、慶応義塾大学医学部放射線科学教室講師、近藤誠先生が
「手術を受けていなければ、新歌舞伎座にも立てて、
あと○○年は生きることが出来た云々」と述べているが、
そんなことは誰にもわからないのである。
中村勘三郎氏を実際に診察したわけでもなく、
よって検査の各種値も知らない近藤氏が
こと治療に関していろいろ言うのは間違いであると思う。

人間の体は生身だ。何が起こるかなど、神様にしかわからない。
順調に回復していた人が急変することなど、決して珍しいことではない。

近藤氏の発言を読むと、外科医や病院は、
まるで患者をくいものにしてお金儲けだけを企む人でなしの集団のように書いている。
外科医が手術をしたがるのは、己の功名心と金儲けのためであると述べている。

そうかね?


近藤氏にはお姉さんがおられる。
そのお姉さんが乳がんになったとき、当時は未だ認知されていなかった
「乳房温存」の手術をさせたそうだ。

何故に手術をさせたのか?

「手術はするな」「治療はするな」とおっしゃるのに、
なぜ、温存「手術」を勧められたのか?

それが最善の方法と思われたからではないのか?


近藤先生は魔法使いではない。
なので時間を戻すことは出来ない。

誰かががんと診断され、その時点ではまだ転移が認められていないのを放っておいて
何年後かに転移して手術が不可能となったとき、
「どうしてくれる!! まだ転移の無い、手術可能な時間まで戻せ!!」と言っても
近藤先生には無理なのである。


もう、がん患者やその家族を惑わすようなことは控えてほしい。

皆「生きよう」としているのだ。
医師が手術をするのは金儲けと己の功名心からだ、などというのは止めよ。
近藤先生のご専門は「放射線」であって、手術や抗がん剤ではない。
実際の医療の現場では、放射線、抗がん剤、手術、それぞれの専門医が
意見を出し合い、意見を聞き合い、ベストの治療法を決めていく。

日々患部を開き、その患者患者の血管の配置や
腫瘍そのものを見ているのは外科医だ。
腫瘍をミリ単位で切り分け、顕微鏡で確認しているのは病理医だ。

もう、ご専門以外に悪口を吐き続けるのはやめて欲しい。

抗がん剤が猛毒だというなら、放射線だって猛毒だ。


近藤先生。
もう黙っていていただけないか。

「手術をしなければ、○○もできたし、あと○年は生きられた」
その言葉が、どれだけ遺族の胸をえぐるかお分かりにならないか?


私たちが明日を迎えられるかなど、誰にもわからない。
健康体であろうが、がん患者であろうが、その一点においては同じだ。

「患者よ、がんと闘うな」
とは何事か。
大きなお世話だ。

皆、生きようとしているのだ。
「この子を遺しては死ねない」と
「未だ遣り残したことがある」と
力を振り絞って生きようとしているのだ。
生きようとしている人たちに、
せめて私はエールを送る。



nice!(5)  コメント(11)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

あなたとピンクのりぼんを結ぼう [おびょうき]

手術の日は決まりましたか?
大丈夫。
心配いらない。

ガンが持っていけるのは、ガン細胞と周りの組織。
他には何も奪えない。

あなたらしさは、今までもこれからも、常にあなたと共に在る。
あなたの優しさも、細やかな心遣いも、誠実さも、
勤勉さも、包み込むような暖かさも、そして可愛らしさも、
ガンは何一つ奪えない。


あなたに見えないピンクのりぼんを結ぼう。

船出の人を見送るテープのように、あなたに結ばれたりぼんの先は
何万もの女の人につながっている。
辛くなったらりぼんを引いて。
だれかが「大丈夫?」と、
他の誰かが「どうしたの?」と、
また別の誰かが「私もそうだったわ」と、
あなたのりぼんを励ますように引き返す。

大丈夫。
手術室に入るあなたに結ばれたりぼんの先は、
幾万人もの女の人がしっかり握っているから。


あなたの乳房がどれだけ美しかったか、
遠慮がちに、恥ずかしそうな少女のようだったか
たわわに実った果実のようだったか
あなたを愛した人がちゃんと覚えている。


私は左の乳房を取りました。
私は、私のまんまです。
かつて乳房のあった場所は、
私の誇りです。


さあ。
あなたはあなたのまま。
とてもすてきな女の人です。

大丈夫です。
あなたに結んだりぼんの端を、
幾万の女の人たちが、しっかりと握っていますから。



nice!(2)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

私は乳がんですと、言えませんでした [おびょうき]

今年になってから、私は本当に楽になった。
薬の副作用だったのか、体の波のそういう時期だったのか、
去年は心身ともに擦り切れてしまいそうだった。
私の気持ちは穏やかである。
今日あったことがもし去年起こっていたら、今頃安定剤を嗚咽しながら飲み下していただろう。


去年のことだ。
会社の健康診断を、当日どうしても体がしんどくて、私はキャンセルしたのだった。
うちのオフィスでは、健診は全員土日に受けるという暗黙の了解がある。
なので私も土曜日に予約を入れていた。
キャンセルして改めて予約の電話をしたとき、
「土日はもうずっと一杯で一番早くて○月○日になります」と、数ヵ月先の日を言われた。
私は不安になって他の施設を当ったが、土日はどこも数ヶ月先まで予約済みだった。
そんな先まで放っておいて病気の発見が遅れては嫌だと思い、私は平日に予約を入れた。

予約日が近づいてきて、今日私はボスに報告したのだ。
どうしても土日がとれなかったこと。
申し訳ないが午前中に健診を受け、終わり次第出社すること。

私がボスに伝えているとき、部屋にはスタッフがほとんど皆いた。
ボスは開口一番、「駄目だよ!」と大声で言った。
そして「あなたは休みが多いでしょ!」
「あなただけ平日に受けるなんて駄目だよ!
みぃんな土日で受けてるんだから!」
と、こちらに背をむけたまま大声で言った。

皆静かに自分の仕事をしている時だった。
なのでボスの怒った声は、部屋の隅々まで響き渡った。

もう何度も言った。
ボス、私は休みは多くないのだ。
術後の定期外来や、体調が悪いときでも、休みにはならないように
半日でも数時間でも出社してきた。

しんとした部屋の中、私は席に戻り、休日でも健康診断を実施している施設を探した。
何件目かに電話したとき、運よく近い日時で予約が入れられた。

初めての受診だったから、受付の人が確認事項を質問してきた。
保険証の番号、住所、生年月日。
そして、受話器から聞こえてきたのは
「乳がんと子宮がんの検査もできますが、受けられますか?」という言葉だった。



私にとっては、おっぱいが二つでも一つでも、そんなことはどうでもいいのだ。
嘘でもなければ強がりでも無い。
片方の乳房を全摘してからブラジャーは着けていない。
薄手のカットソーの上にジャケットを着るときでもそのまんま。
それ以外の服装のときは、タオルを適当に折りたたんで、
カップつきキャミソールの中に収める。収めたタオルはすぐにせり上がってくる。
なので着衣の時の私の乳房は、その時々で左右の大きさや位置が明らかに違う。

そんなことはどうでもいいのだ。

胸の見た目が変わろうと左右非対称であろうと、なんだっていいのだ。

私にとってどうでもよくないことは、癌が再発転移することだ。


だから。だから私は普通に答えられるはずだった。

「私は乳がんと子宮体がんで、どちらの臓器も摘出しています」と、言えるはずだった。


質問された瞬間、とっさに私は周りにいる社員を確認した。
幸いなことに-そう、私は幸いと思った-男の人は出払っていた。
けれど、私が手術をした後に入社した女の人が数人いた。

「あ・・乳が・・あの、どちらも手術をして、今術後療法をしているところなんです」

私は穏やかに、微笑みながら答えた。
答えたけれど、乳がんという言葉を言えなかった。



去年の末、私はふと思った。

ボスに対して言いたいこと、恨みつらみは山ほどある。
山ほどあるがそれはそれとして、入社してから十年近く、今日まで育ててもらったことは
それはやはり感謝だと思った。

その気持ちは今も変わらずある。

そして又それはそれとして。


私は「乳がんになりたい」と思って乳がんになったのではない。
「子宮体がんになりたい」と思って子宮体がんになったのではない。

人は誰も、望んで病気になどならない。

このところ精神状態か落ち着いているので、ハリネズミのように体中の神経を逆立てることも無い。
ただ静かに涙を流しながら思うだけだ。

腹も立つことでしょうがボス、私は入社した頃のような体力はもう無いのだ。
死ぬまで定期的に病院にいかなくてはならないのだ。
何をどうしても体が言うことを聞いてくれないときがあるのだ。


どうして平日に健康診断を受けさせてくれないのだと、少々腹が立った。
皆が揃っているところで、「あなたは休みが多い」「皆土日に受診しているのに」
となじられたことが辛かった。

けれど今日何よりも辛かったことは、
私は自分のことを、
「私は乳がんと子宮体がんをして、手術で乳房と子宮と卵巣を既に取ってしまっています」と
言えなかったことだ。








nice!(2)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

私の失くした卵子 [おびょうき]

もし私に子供がいたら、その子は私に似ていただうか。
私のことは、「おかあさん」と呼んだだろうか。それとも「ママ」と言っただろうか。
私の母や、祖母や、父。その人たちの面影が、どこかに宿っていただろうか。


私は子供を持つことをとても恐れたけれど、もしかしたらそれは、
産む環境になかったということかもしれない。
誰が悪いとか誰のせいとかでは無い。
自分の精神状態が、一番影響していたのだと思う。
タイミングとも言えるかもしれない。
そういうものが整っていなかったのなあ、とふと思った。


子宮内膜が増殖しており、細胞診をうけ、その結果を聞かされた時。
細胞の型は4種類に分かれる。そのうちの3つは特に心配が無い。
残りの1つは将来癌化する可能性が高い。
私の組織には、その最後の型が混じっていた。

既に癌になっているのか否か、それは手術をしてみなければわからない、とのことだった。

「今なら切れば治るんです」
先生の言葉には痛切な響きがあった。
私を見る目は、必死に訴えるものがあった。
それは、切れば治る時期を過ぎ、そして亡くなっていった人たちを
たくさん見てきた人の表情だった。
今ここであやしい細胞を見つけてもらえたことは、大変に幸運なことなのだ。
それはよくわかった。
私は、自分の年齢を考えた。
46歳。
もう子供を産める時期は過ぎているだろう。
そう、どちらにしてももう自分は子供を持つことは出来ないのだ。

「では、手術をお願いいたします」
私はそう答えた。

先生は、紙に簡単な絵を描きながら説明を始めた。
「先ず、子宮はとります。卵巣も転移する器官ですからとります。卵管もとります。」
子宮だけとればいいと思っていた私は、意外だった。
「今ならリンパ節も取らなくていいですし、特に術後療法も必要ないと思います」


私は本当に幸運だったのだと思う。


手術が終わってずいぶん時間が経った頃、自分の卵子を冷凍保存しておくことも
選択肢の一つとして存在していたんだなと気が付いた。
現実問題として考えれば、その卵子が受精しても着床させる子宮が私には既に無い。
代理出産は認められていないから、いくら私が卵子を冷凍保存していてもどうしようもないのだ。
けれど、この地球上のどこかに自分の卵子が確かに存在しているという考えは、
ずいぶん気持ちが落ち着くものだなと思った。
思い浮かべてみる自分の卵子は、なんだか胎児のようにも思えた。
それは愛おしいと思える存在だった。


私の子宮や卵巣は、どこにいったのだろうか。
焼却処分されたのだろうか。
手術室には、摘出した臓器を処分する場所があったのだろうか。


この先永久に出現するはずのない私の卵子だけど、なぜだか人工衛星のように
果てのない宇宙空間を、ゆっくり遊泳しているような画面が浮かんでくるのは
何故だろう。




nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

千晶ちゃん、可愛いよ [おびょうき]


若い頃は夢中になって、月に何冊も読んでいた雑誌を、
最近はめったに読まなくなった。
先日コンビニから帰ろうとドアに向かったとき、
棚に並ぶ女性誌の表紙を何気なく見た。
そのときに、
原千晶、子宮がんと結婚の経緯
みたいな文字が見えて、気になって立ち読みした。

私はいままで彼女のことを、きれいとか素敵と思ったことがない。
こんなことを言っては失礼だが、どうしてよくテレビに出てくるのか
わからなかった。

雑誌には、何枚もの彼女の写真が載っていた。
主に病院に居たときのものだと思う。
酸素マスクをしているもの。
髪がすっかり抜け落ちた頭部。
よく思い切って、ここまで掲載したな・・と思っているとき
ひときわ大きな写真に眼がいった。

彼女とお母さんが写っていた。
誰が被写体になっても太って見えるアングルたと思うが
下から彼女たちを移している。
原千晶はvery short にマントのようなものを着て、すぐ横には
どこにでもいそうな雰囲気の彼女のお母さんが、小柄な体で写っていた。

私はその写真に、衝撃を受けた。

原千晶はの顔はまん丸になり、いわれなければ誰だかわからなかった。

けれど、飾り気のないマントをpompomのついた紐で結び、
まん丸な顔の原千晶は、まるで幼稚園の子供のように、
無邪気に大きな口を開けて笑っていた。

何の衒いもなく、隠し立てもなく、
今そのままの彼女で、横にお母さんと並び、心から笑っているのが伝わってきた。


それから数日。
彼女が記者会見をしたことを知った。

「同じ病気の人を励ましたいというのはきれいごとで、
私は自分が楽になりたかった」
その彼女の言葉を読んだとき、数日前に見た真ん丸い顔で子供のように笑っている彼女が
浮かんだ。
治療で、髪もまゆげもまつげも抜けてしまった。
かつらをつけたり、付けまつげをしたりしても、見る人がみればわかってしまう。

数々のグラヒアで美しい肢体を晒し、それを賞賛されてきた人にとって、
髪やまつげや眉が抜け、体重が増加し浮腫むことは、どれだけ悔しく、情けなく、辛かったことだろうか。

ネット上では彼女に関して様々な言葉があがっている。
好意的なものが多かったが、
「あんなに浮腫んで誰だかわからなかった」というものもあった。

先にも書いたが、私はこれまでに彼女を美しいと思ったことはなかった。
どうして人気があるのかも、正直よくわからなかった。

会見のとき、彼女は薄い生地で出来たふんわりしたワンピースを着ていた。
少し透ける白地で、青とくすんだ黄色がところろどころに描かれていた。
彼女が立ち上がったとき、服に描かれた青と同じ色のタイツに、
霜降りグレイハイヒールをはいているのを見て、彼女の女優としての矜持を見たような気がした。

おそらくウィッグの色に合わせたのだろう、アイラインは黒で太めに描かれていた。
睫毛も黒、眉毛も黒だった。
アイラインは彼女の眼をいままでより印象深いものに仕上げ、
涙ではなく自然に潤んでいるように見えた。
ショートカットのウィッグは、彼女を幼く見せてよく似合った。
彼女か涙を堪えながら、性一杯言葉を発しようとしてるとき
幼い子供が懸命に何かを訴えようとしているような、そんなエロスがあった。
昔の、あまり個性を感じられない彼女より、ふっくらして豊かな微笑みを湛えた今の彼女の方が、
ずっと魅力的だった。

「お互いの両親に孫の顔はみせられなくなってしまっけれど、私たちが親孝行していきたい」
「又、マイナスからの部分もたくさんあるけれど、がんばって仕事をしていきたい」
そして、
「女性として自信がなくなったことがあったんですけど・・
 私か女性に言いたいのは・・・ 女性として傷つかないでほしい」
この箇所で彼女は涙を流していた。
「人生にどんなことが起こっても、人を恨んだり、許せないって気持ちにとらわれたり、
執着したりするのではなくて、それをきちんと受け止めて、自分に責任をもつて
自分を大事にして生きていくということがどんなに大事なことか学んだので、頑張って生きて生きたい」
そういう彼女は、一人のきちんとした考えを持った女の人だった。

女の人にとって、自分の望まぬ方に外見か変わっていくことはとても辛い。
でも、私は以前の彼女より、今の彼女の方がずっと魅力的だと思う。
又、あの手放しの笑顔が浮かぶ。

千晶ちゃん、頑張って。

千晶ちゃん、可愛いよ。



nice!(2)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

街をピンクに染めないで [おびょうき]

ピンクリボンについては、前にもこのブログで書いたことがある。
ピンクリボンの団体は、「ピンクリボンフェスティバル」のサイトからの引用では

現在では、自治体、NPO法人、企業、任意団体等が主催するピンクリボン運動が、日本中で展開されており、ピンクリボンフェスティバルもその運動のひとつです。ピンクリボンのシンボルマークも、各運動団体によって異なります

とのことである。
その中で最も有名なのが、「街と人をコンセプト」としている
「ピンクリボンフェスティバル」だろう。

ピンクリボンフェスティバルとは
ピンクリボンフェスティバルは、「乳がんの早期発見・早期診断・早期治療の大切さを伝える」ことを活動のビジョンに設定し、「街」と「人」をコンセプトに、2003年から開催しています。朝日新聞社が中心となり、街や自治体、メディア会社などが運営委員会を組織。日本対がん協会も初年度から参画し、フェスティバルを主催してきました。
スマイルウオーク、シンポジウム等のイベント開催や、街のデコレーション、施設のライトアップ、さらには新聞、テレビ、インターネット等を通じて、多面的にピンクリボンのメッセージを伝えることで、乳がんに対する関心を高め、検診への一歩を踏み出してもらうことを目的としています。

上記は、同サイトからの引用である。

最も基本的なことをお聞きしたい。

2003年からこの活動をされてきて、2010年現在までに、日本人の「乳がん検診率」は上がったのだろうか?
もしも7年間このフェスティバルを続けて、しかし検診率があがっていないのなら
それは活動そのものを見直すべきと思うがいかがだろうか。
これだけ多くの企業の協賛を得られ、乳がんの名医を集めシンポジウムを開き、
派手に街をピンクに染め上げ、それで検診率が上がらないのであれば、
何かが間違っているのだ。

それからもういいかげん、

この数年、乳がんへの関心は高まってきましたが、乳がん検診受診率はまだまだ低く、気が付いた時には、進行がんになっているケースも多く見受けられます。

乳がんは、早期に発見すれば治癒率が高く、ごく早期の場合には約95%が治るといわれています

こういう言い回しは止めにしてほしい。
毎年毎年こういう文言を見ていると、申し訳ないが、ピンクリボンフェスティバル事務局の女性陣は、そんなに検診にいっていないのだろうか? と、逆に心配になってくる。
私が直接乳がんの方たちと会って話をしたり、患者ブログを拝見して感じるのは
「乳がんの見落とし」の多さである。

「どうして毎年検診していたのに・・」
「数か月前の検診ではなんでもないと言われたのに・・」
そんな話をたくさん聞いた。
年に一度は必ずマンモとエコーをしていた私も、”乳腺専門医”の医師の最初の診断は
繊維線腫です。癌にとてもよく似た形を示す、良性のものです」だった。

それから上記引用部分の「ごく早期の場合には」の「ごく早期」とは何をもって記載しておられるのか? 一般に「早期」は、ステージⅠの癌だ。


このフェスティバルのプロデューサー中西さんにお訪ねしたい。
あなたは何のために、毎年このフェスティバルをされているのか?

この方のインタヴューを拝見すると、このイベントを成功させる道のり、これが自分の仕事だと思える仕事に出合う喜び、そう言ったことが語られている。
乳がん患者の悲しみや悔しさは、見つけることができなかった。

乳がん患者も考え方、感じ方はそれぞれだから、このフェスティバルが大好きだという方もいらっしゃるだろう。イベントに参加して勇気が湧いたという方もいらっしゃるだろう。


私は、ピンクリボンフェスティバルという言葉を目にすると、最近では
夏の終わりに某テレビ局で放送する一大チャリティ番組を連想するようになった。

もう多くのスポンサーもついた。
ネットワークもできた。
なので中西さん。
もう、いいかげんに患者に向き合う時だ。

どんなに「早期発見」の大切さを叫んでも、
実際に乳がんになった人間の悲しみを知らなければ、知ろうとしなければ
どれだけ大きな声で叫んでも、私は成果は上がらないと思う。

ピンクに染まった建物を見て検診に行く人はあまりいないだろう。

でも、小さな子供がいて「乳がんです」と言われた時の衝撃を本人から聞かされれば
同じように小さなお子さんを持つ方は、明日にでも病院に行こうと思わないか?

母を乳がんで亡くした中学生の作文を朗読されれば、しこりを感じつつも怖くて病院に行けなかった人も、診察を受ける勇気を与えられるのではないか?

乳がんは長い病気だ。
再発も有り得る。

実際にその病を得た人、再発している人、その人たちを置き去りにして
「早期発見」も「早期治療」も有るわけが無いのだ。

乳がんになった人たちは、検診を怠ったとは限らないのだ。
乳房を切除した人たちは、「早期ではなかったから乳房を亡くした」とは限らないのだ。

早く見つければ治る! という言葉が、どれだけの乳がん患者を苦しめていることだろう。
早期でも再発転移することもある。
悪性度が高くても、再発転移しないこともある。
毎年検診を受けていて、見落とされる癌がある。


ピンクリボンの発生は、乳がんで無くなった女の人の母親と娘が
「もうこんな辛い思いをする人が一人でもいなくなるように」と、
受診を促すピンクのリボンを配ったことと、ウィキペディアには書いてある。

娘を亡くした母と、母をなくした少女が、その時どれだけの悲しみに耐えながら
祈りをこめてピンクのリボンを配ったのか。
その心を想像せずに、何をしても虚しいと私は思う。

街をピンクになど染めなくていい。

乳がんは早く見つければ怖い病気ではありません、などと
耳に心地よい嘘は言わなくていい。

フェスティバルにかけるお金を、
医療用のカツラの作成に
子供たちの心のケアに
遺族の心のケアに
末期の患者さんの安らぎのために
乳がんの教材作成に
乳房のしこりの触診モデルの購入に
再発転移した人たちのケアのために
使ってほしい。


ここを訪ねてくださった皆さんに、私からのお願いがあります。
明日でも、明後日でも、
医療機関に行ってください。
できれば、乳腺専門医がいるところがいいです。
「日本乳癌学会」のHPに、都道府県別の専門医一覧が出ています。

何の症状が無くても行きましょう。それは「検診」です。
何か気になるなら、尚行きましょう。それはもう「検診」ではなく「受診」です。
怖いですよね。
怖くて怖くて、たまらないですよね。
でも行きましょう。

私はここから、祈っています。


nice!(4)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

腫瘍マーカーCA19-9≪その続き≫ [おびょうき]

駅のホームや、電車の中や、ニュースの映像を見ながら
「ああ、お母さんはこの景色を見ることが出来なかったんだなあ」とか
「今はこういう商品もあるけど、お母さんは知らないんだよなあ」とか思うことがあった。
その度に、なんだか母が可哀想なような気持ちになっていた。

でも考えてみれば、私は自分が生まれる前の景色を知らない。
東京オリンピックの記憶は無い。
高度経済成長に突入した、まさにその頃は知らない。
私が生を受けたのは、高度経済成長に入って数年たってからだったからだ。


果ての無い時の流れの中の、どこか一部分を私たちは生きるんだなあ、と思う。
それは江戸時代だったり、明治時代だったり、昭和だったり、平成だったりする。

なので、「自分が死んだ後の世界を見られない」ということは
別に悲しいことではないんだな・・・と、思うようになった。


腫瘍マーカーCA19-9が高値でCT検査を受けたが、その結果は異常が無かった。
念のためということで、先日PET/CTを受けた結果、胸部と腹部に異常は無いが
右の乳腺に若干の集積が認められた。

マーカーの値に関しては横ばい。

乳腺は先々月あたりに右のエコーを診ていただき、そのときは異常無しだった。
来月予約が入っているが、今から一番早く取れる枠で予約を入れてもらった。

何でも無いかもしれないし、原発の乳がんがあるのかもしれない。

必要なら手術を受けよう。
乳房を失うことは悲しいことだが、私はまず第一に命が欲しい。


まだ検査もしていないのに気が早い話だが、
もし右も乳がんだったら、仕事を辞めようと思っていた。
これでようやく、けりがつけられると思った。

しかし、その気持ちも又ゆれ始める。

青年に関しては、心の中で
「人でなし!!!」
「意気地なし!!!」
「このスケコマシ野郎!!!」
などとののしりながら、時々嫌がらせなどしながら、
それでもまだ、あきらめ切れない部分がある。
辛いとき、苦しいとき、頭に血が上ったときは
せっせと青年にメールを綴る。
そうすることが何よりも、自分にとっては気持ちが落ち着くことだと認める。


仕事も、人間関係も、何もかも、いろんなことがあるなあ・・
そして何かがあってもなくても、時間は流れていくんだなあ・・


もし、三度目の乳腺の手術を受けるのなら
又、先生に手を繋いでいてもらおう。

あの時私は本当に安らかで、怖いものは何一つ無く
多分これまでの人生の中で、一番安心していた。

ちょっと気が早すぎるけれど。


雨が降っていて、カメがのんびり眠っていて、
時は今も流れている。



nice!(1)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ピンクリボンの曲がり角 [おびょうき]

ピンクリボンの活動に関しては、いろいろと思うところがある。
そもそも「ピンクリボン」の団体を名乗っているところはいくつもある。
一番大規模で有名なのは、朝日新聞主催の「ピンクリボンフェスティバル」だろう。
毎年10月になると街のランドマークがピンクにライトアップされる。
近年では、雑誌にチャリティーとして女優やモデルのセミヌードを発表し
えらく顰蹙を買った。

このプロデューサーが中西知子氏である。

インタビューや、チャリティーヌードのときの対応などを見ていると
この人は「乳がんで苦しむ女の人を減らしたい」のではなく
「イベントがしたい」のじゃないかなあ、と思う。


「ピンクリボンフェスティバル」に関しては、もういろんな方のブログで取り上げられている。


この人は、自分が乳がんになるかもしれないということを考えたことは無いのだろうか?


自分の大切な人が、乳がんで命をおとすかもしれないと、思ったことは無いのだろうか?



乳がんには早期発見・早期治療が大切だ!
しかし日本における健診率は非常に低い!
乳がんを他人事と思っていませんか?
乳がん健診を受けることで、日本の乳がんによる死亡率を減らすことが出来る!
マンモグラフィを受けましょう!

と、このようなことが毎年謳われている。


現状と認識がずれているように思う。

乳がんに対して、女の人達の関心は高いし
少なくとも私の周りでは、毎年欠かさず健診を受けている人達が多い。
乳がんを他人事と思っている人などいない。


早期に見つければ乳房を摘出することも無く、命も守られる。

残念ながらそう断言できるほど、乳がんという病気は甘くない。


病院での見落とし、がん自体の悪性度、
こういったいろんな事柄が絡み合って乳がんでの死亡率が減らないのだと、私は思っている。


イベントをプロデュースなさりたいなら、なさればいい。

しかし、こと病気を扱うのであれば、肝に銘じて欲しい。
真ん中にあるのは、あなた方が扱われるのは「命」だ。

乳がんに関しては、「早期発見」を叫ぶ時代は過ぎたと私は思う。

なった人達をどうサポートしていくか。
乳がんに関する情報を、どれだけ早く正しく集め提供していくか。
そちらの方が大事だと感じている。



中西氏は、チャリティーヌードの時、散々叩かれた。
彼女のブログは炎上した。

中西氏はブログ上で謝罪はしたが、「私の不用意な発言によって―」ということに焦点が合わされ
「今回のセミヌード掲載の件と、ピンクリボン事務局は全く関係ない」と記載することでより反感を買った。

ずいぶん反省しておられるのかと思ったが、その後のインタビューを見ても
なんだか応えてはいらっしゃらないようだ。


ピンクリボンフェスティバルは何のためにあるのだろう?
誰のためにあるのだろう?


企業のイメージアップのためなのだろうか?
誰かに高揚と達成感を与えるためなのだろうか?


三都市の巨大な建物をピンクにライトアップするお金があったら、
企業からの協賛金があったら
レンタル用の、上質な医療用かつらをたくさん作ってほしい
母親が乳がんになった幼いこどもたち用の、DVDや絵本の教材を作ってほしい
そういう子どもたちをサポートする人材を集めてほしい
妻や恋人が乳がんになった男の人達の声を聞かせてほしい
そういう人たちが語り合える場を作ってほしい


誰がピンクに染まった東京タワーを見て
「あ、乳がん健診にいかなくっちゃ」と思うのだろう。
そのうち何人が、実際に保険証を持ってクリニックを訪れるのだろう?


特に20代30代の女の人なら、マンモグラフィよりもエコーの方が効果を発揮することを
ちゃんと明記して欲しい。
マンモグラフィやエコーの画像は、できれば一人の医師だけでは無く
複数の、それも乳腺専門医に読影してもらった方がいい。


乳がん患者の道のりは長い。

手術をしたら、そこがスタートラインになる。


「このプロジェクトを立ち上げた頃、乳がんに対する関心はまだまだ低かった」と
中西氏は述べている。

けれどどんなに関心が高まっても、認識が低い、もしくは間違っていては意味が無い。
乳がんに対して正しい知識があれば、ピンクリボンコンテストで
「治るのに・・」という残酷なコピーが入選することは無かったはずだ。


中西氏は、幼くして母親を乳がんで亡くしたお子さんたちと話したことはお有りだろうか。
無いのなら、その機会を持っていただきたい。

乳房を全摘した手術跡、「その実物」をご覧になったことは如何だろうか。
無いのなら、それもぜひなさってほしい。

乳がんの手術を受けることになった女の人たちが、手術前に何をしたか
訪ねたことはお有りだろうか。
これも無いのなら、ぜひ問うてほしい。
多くの女の人の口から「自分の乳房を写真に撮った」という答えが返ってくるだろう。



中西氏の言動からは、スポンサーをとても大事に思っている様子が伝わってくる。
多くのスポンサーをもてたことは、この方にとって大きな誇りらしい。
それはわかる。

しかしイベントは「スポンサー」だけではなりたたないのだ。

一番大事なのは、「クライアント」である。


「ピンクリボン」は、乳がんの早期発見・早期治療を啓発するのが目的とのことなので
乳がん患者では無い人達と向かい合いながら、
開催とその維持には、どうしても「乳がん患者本人たち」の協力が必要なはずだ。


もう一度、謙虚に、静かに考えて欲しい。

ピンクリボン活動は誰のためにあるのか。


スポンサーの方ばかり主催者が向いていることを
クライアントは、もうちゃんと気づいているのである。



nice!(3)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

淡々と日々を綴る 腫瘍マーカーCA19-9 [おびょうき]

このブログは「闘病ブログ」ではなく、
私の日々の、というか想いの記録のようなものである。
自らの病気を中心とされたブログを否定するものでは全くなく
人それぞれのブログがあるのだと思っている。

私の日々の中に病気のことが有り、仕事のことがあり
好きな人のことがあり、いろんことがある。


で、久々のお病気のお話しです。
ますます久々の子宮体がんのお話しです。
昨年、子宮・卵巣・卵管の摘出手術を終え
その後は二ヶ月に一度ずつ、定期外来に通っていました。
まず採血をして、内診をして、先生からお話し。
幸いこれといった異常もなく一年が経ちました。

血液検査の中に、腫瘍マーカーの項目もあります。
CA19-9と、CA125。
私はこの「CA19-9」が、時々カットオフ値を越えるのですね。

腫瘍マーカーも他の項目も、個人個人の体質や、その時々の環境で値が上下し
あまりそこのみにこだわって心配したりすることはない、と思っているのですが。
前回、今回とカットオフ値を超え(前回より今回の方が高値です)
「ちょうど一年だし、CTでもとりましょうか」ということになりました。
CTの予約もいっぱいだそうで、来月の頭に造影剤なしのCTと血液検査を受けます。

あんまり心配してない、
と言う気持ちのときも
再発、転移・・他の場所にがんが出来てたらどうしよう・・と
パニクりかけることも、まああります。

基本的には心配してないわけですが、こういうことがあると
「ほんとに人間いつどうなるか、わからないよなあ」という想いが一層強くなります。

「死ぬまでにしたい10のこと」という映画がありましたが、
そういうことは常日頃考えておくと、いいかもしれませんね。
これだけはどうしてもしたい!
できればしておきたい。
したい気もするけど、出来なくてもまあいいか。
などなど。


私たちは、実は常に死と背中合わせな気がします。
持病の有無に関わらず、いつ、誰が亡くなっても
それは不思議なことではない。

本人は気づかないまま、高い高い場所に張られたロープの上を歩いているみたいです。

私は人生を終えるまでに、又男の人に愛されることがあるのかな。


今日はどんよりしたお天気です。
曇りでも寒くても、薄紙を剥ぐように春になってきているのがわかります。

近所のお宅の木蓮のつぼみが、少しずつ大きくなってきています。



nice!(4)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康
前の10件 | - おびょうき ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。