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プリズムとパンドラの函 [雑感]

このブログを初めて10年。

言葉、というのは何なんだろうか。

私が「A」という言葉を発する。
ある人には「A」のまま届く。
別のある人には「A´」として届く。
また別のある人には「A´´」として届く。
「B」として届く人もいる。

私が発した「A」という言葉が「A」のまま届くのは、いったいどのくらいの割合なんだろう。


私が大学二年の時だったと思う。
現代日本文学の時間だ。
もう授業も終わろうという頃、先生が何気なく言った。
「状況というのは、全て変わるものとしてとらえなければいけませんね」

その頃は、私の人生で最も厳しい時期だった。
未来に光などは無く、私は毎日を怯えながら生きていた。

「状況というのは、全て変わるものとしてとらえなければいけませんね」

ムーミンパパみたいなのどかな風貌の先生は、やはりのどかに言った。

私はその時、「長いスパンでものを見る」ということを知ったのだと思う。

今は辛い。
でも、半年先、一年先、十年先、二十年先には状況は変わっているかもしれない。
現実には、変わっているかもしれないのではなく、確実に変わっている。

現に、状況は変わった。


一昨年の暮れ、退職の意向を伝えた。
年が明けてからも複数回伝えた。
その時点で私は正社員に戻された。
社員は相変わらず居つかない。一年前と比べて、半分、顔ぶれが変わっている。

社長からの執拗な虐めは止まった。
診断書を提出して、私はほぼ定時であがっている。
かつて社長の大のお気に入りだった女性スタッフは、社長のいいかげんさに怒り心頭となり、なんどかバトルを起こし、今では仕事を干されている。
毎日のように遅くまで残業していた彼女は、私と同じくらい早く帰るようになった。ありあまる有休と代休を使いまくっている。

私には同じ仕事をする後輩が出来た。
これまでいろんな人が来て、誰ひとり結果を出せずに辞めていった。
私はいままでにないくらい詳細に、彼女に全てを教えた。
そして彼女は今でも続いており、私たちはスカイプでチャットしながらうさを晴らしている。

状況は変わる。
空を流れる雲のように、刻々と姿を変えていく。



ずいぶん昔に読んだ藤本義一のエッセイにこんな話が載っていた。

戦争中のことを取材していた時。
どうしても何も語らぬ女の人がいた。
こういう人こそ、すごい話が聞ける・・
藤本氏は徹底的に粘る。
そして、女の人は話した。

戦争中、赤ん坊を背負って必死で逃げた。
逃げて逃げて、ふと気がついたら、背負っていた赤ん坊の首が飛ばされていた。


人は、一番辛いことは、なかなか言わない。
心の最も深いところに、何重にも重石をつけて沈めておく。

私はこのブログに、一番辛いことは、とうとう書かなかった。


私が発した言葉は、私の前に置かれたプリズムを通り、読み手一人一人の前に置かれたプリズムを通り、読み手に届いていく。

「A」 と発したつもりが「B」と受け取った人に、
「このBは何だ!!! けしからん!!!」と憤られても、私にはどうしようもない。



小さい時から、本と書くことは私を支えた。
本があったから、私はここまで生きてこられた。
拙い拙い言葉で綴った日記は、いつも私の心を軽くしてくれた。

私は日々が充実してきて、ブログを書く必要がなくなってきたのだ。

早起きをして、歯磨き洗顔化粧をして出勤する。
間食を控え、必ず果物を食べるようにする。
せめて週末には自炊する。
夜は早く寝る。

こんな、ほとんどの人が普通にしていることを、齢五十を過ぎてから、
ようやく私は出来るようになった。

あと二十年、三十年、もしかすると一週間かもしれない。
私に残された時間はどのくらいだろうか。
明日という日は明るい日と書くが、そもそも、あるかどうかもわからない日が「明日」だ。

最後の日まで、私たちは歩いていくしかない。
先は見えない。
でも、私たちは一人一人、生まれ落ちた時に「パンドラの函」を渡されている。
「パンドラの函」には、この世のありとあらゆる悪が詰め込まれている。

けれど。
げに恐ろしき悪に囲まれて、パンドラの函の片隅に「希望」が置かれている。
希望は幼子のように深く眠っている。
あらゆる悪が函からあふれ出て私たちを絶望に突き落とした後、
希望はようやく眠りから覚め、不思議そうな顔を、函の淵から覗かせるのだ。





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