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ブログと排泄 [雑感]


もう何年も、壊れたPCを使っていた。
ディスプレイは半分しか映らず、しばしばものすごく動きが遅くなった。
それでも使っていたら、先日ついに全く動かなくなった。
しばらくPCを開かない生活をしていたが、「家のPCが完全に壊れましたので、ネットカフェに行って¬仕事をしてきます」「スマホでしようとしましたが、うまく見られませんでした」と、土日の度に上司にメールをしていたら、会社に余っていたPCを一台借りられることになった。
というわけで、久しぶりにネット三昧の日々である。

Youtubeをずっと見ていた。
安全地帯の、主に80年代半ば頃のライブの映像などを繰り返し見た。
玉置浩二は天才。

天才というのは、きっと何かの原石を抱えて生まれ落ちた人なんだろう。
そしてその原石を、磨いて磨いて磨いて、磨き続けた人なんだろう。
どんなに磨き続けても、¬¬原石は摩耗しない。
彼が誕生の際に抱えてきたのは、「ダイヤモンド」だから。

「歌の練習は、すっっっっごくした」と彼が言っているのを聞き、
そうか、こんなに才能を持った人でも、人の何倍も練習をしたんだ・・と、
改めて気付いた。

でもこの人にとっては、練習つまり歌うことは、決して苦痛ではなかったんだろうな・・と思う。
音楽が好き、歌うことが好き、歌っていることが何よりも楽。

以前このブログにも書いたけれど、テレビ番組で、坂東玉三郎と玉置浩二が話していた。
玉置「歌しか無い、っていうのは、わかってたんで」
玉三郎「うん。私も、踊りしか無いってわかってた」

玉置「歌えなくなったら・・どんどん悪いほう悪いほうへ行っちゃって・・。
   でも歌えようになったら、大丈夫」
玉三郎「ああ、そうよね。それは、生理的なものでしょ? 生理的なものよね」

というような内容だった

¬¬¬¬この「生理的」という言葉を発した時、玉三郎は、何かがこみ上げてくるような動作をし、見ていた私は、まるで嘔吐みたいだな・・と思った。

けれど、ある人たちにとっては、「表現」は「生理的なもの」であり、生理現象の中でも、
実は「排泄」に一番近いのではないか、と最近思う。

排泄しなければ人は死んでしまう。
ある人たちにとっては、歌えないこと、踊れないこと、表現できないことが、健康に支障を与えてしまうんだろうなと思う。



私は、書きたいからブログを書いてきた。
理由は一つだけだ。
「書きたかったから」。
ただ、それだけ。

誰かを勇気づけるためではない。感動させるためでもない。
何かを誇示したかったのでもない。
「文章がうまい」と言われたかったのでもない。
そういうときもあったとは思うが、突き詰めれば、
「書きたかったから」、ただ、それだけだ。



ブログを書くにあたり、また、書いていくにあたり、私は自分のスタンスを確立できてはいなかったと思う。
自身が誰であるかを明かさずに、映画や本や音楽の感想を書いた。
自身が誰であるかは伏せたまま、職場における辛さや、過去の思いや、その時々の心情を書いた。

スタンスを確立できていなかったけれど、唯一つ課していたのは、
「自分が何者かを明かさない」、ということだった。



結果、混乱が生じた。

虚実ない交ぜのことを書きながら、あるコメントには「これは事実である」というスタンスで返事を書き、別のコメントには「これは事実ではありません」というスタンスで返事を書いた。


ブログを続けていくうちに、私も混乱した。
混乱したまま、文章を書き、コメントに返信した。

なので、人を傷つけることがあったのだと思う。


私が本気で、「もう、ブログを辞めよう」と思ったコメントは、ここに何度も寄せられた「悪意」や「敵意」を含んだものではなかった。

私が大好きだった人からの、コメントだった。

どんな悪意や敵意を含んだものよりも、そのコメントは私の胸を刺した。

私は、「この人にこのコメントを書かせたのは私だ」と思った。



一人の素人が、ブログを続けていく限界も感じるようになった。

今、ツィッターやフェイスブックで、自身の素性を明らかにしたうえでいろいろ発信している人も増えているが、今後はどうなっていくんだろうか。


私は文章を書くことで生計を立てている人間ではない。
世の中に「書く」仕事はたくさんあるけれど、私はそのどこにも属していない。

ただ、小さいころから書いていた。

大好きなA君と、授業中に目が合ったときのうれしさを。
少し先にあるはずの、大人の世界にいる自分の姿を。
心を殺されたと思った日のことを。
誰にも言わなかった、大事な人が踏みにじられた時のことを。

いつも、ノートと鉛筆があれば、私は自分を支えられた。

それは、誰かに見せるものではなく、ただ、心の中を吐き出していったものだった。
なのでとても稚拙で、たとえ誰かが目にしても、何のことかわからないものだったと思う。

誰のためでもなく、私はただ、書いてきた。

書いてきたから、私は今日まで生きてこられた。



ここに書いてあることは、事実なんでしょうか。事象なんでしょうか。真実なんでしょうか。

今の私には、「自分の排泄物」であります、というのが、一番当てはまるように思います。





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