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「TATTOO」中森明菜 [歌手]

1988年。当時、中森明菜は24歳。
彼女の顔はまるで子供だ。
パーツの一つ一つが、皆幼い。
けれどそれらはどれもこじんまりと整っており、滑らかな肌とともに、
良く出来たお人形のようにも見える。
お祭りや七五三。幼い子供に化粧を施したときの妖しさが、
この歌の中森明菜にはある。

髪を高く大きく結い上げ、うなじから肩、背中、前に廻って乳房の上部までが晒された衣装。
スパンコールが輝くそれは、酒場の照明によく映えるような、鮮やかな赤や青の衣装だ。

子供みたいな顔の作り。
東洋の女しか持ち得ぬ滑らかな肌。
小柄だが、均整のとれたスタイル。

その彼女が前奏の響きとともに激しく踊りだす。
歌いながらカメラに向かい、視線を流し時には睨みつける。

この人は、とことん腹が据わっているのだ。
中途半端なところが無い。



私はこの歌を歌う明菜を見ると、いつも終戦から間もない日本の酒場を思い浮かべる。
映画やドラマでしか知らないのに、なぜか彼女は“そこ”に居るような気がするのだ。

自分を助けてくれる人など誰も居ない。
たった一人で瓦礫の世間を歩いていく、少女と女の間のような
力は持たないが、必死で生きている人間を見る気がする。

中森明菜は、いつも全てを受けいれる覚悟で歌を歌っている。
だから、私は彼女に纏わりつく、酔った男達の欲望を含んだ視線までもを
感じることが出来る。
ギリギリの緊張感がある。
一歩間違ったら奈落に落ちる危険を感じながら、
目の前の煌びやかな世界に惹き込まれる。

アルコールとタバコの匂い。
安いコップのぶつかる音。
雑多な話し声。
卑猥な言葉。
暗い座席。
ライトに照らされ浮かび上がる幼い歌姫。


男と女の軽いゲームのようなやり取りではない。
どちらに転んでもお互いにアハハと笑える、
そんな屈託の無さでは無い。

人の欲望、裏切り、屈辱。
絶望、渇望、希望の光。

そういうドロドロしたものを背景に、この歌の世界は成り立っているのだ。


冷たい泥水に身を浸して、初めて開く蓮の花のようだ。

あんなに美しい蓮の花は、清い大地では咲けない。


リリースから四半世紀近い時が流れたが、「TATTOO」の世界を歌えるのは、
中森明菜しか居ないと私は思っている。

泥に漬かり続けた時間のご褒美のように、中森明菜は煌いている。
酔客たちにどれほど厭らしい視線を投げつけられようとも、
それによって汚されはしない底力を感じさせる。


こういう歌を、ずっと聞かせて欲しいのだ。
にこにこと微笑みながら、さらりと流れて何も心に引っかからない歌はつまらない。
人の汚さや哀しさをちゃんと知っている人が歌う歌を、私は聴きたい。



       作詞: 森由里子
       作曲: 関根安里


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暗菜

胸の空いたボディコンを着て、お尻を降って踊っても、下品にも卑猥にもならない明菜はすごい。
マイク一本持って歌って、何万人の観客を夢中にさせるアイドルなんて今はもういないですね。
by 暗菜 (2011-09-03 10:49) 

Sho

to 暗菜さん

同感です。
同じようなことをしても、下品と卑猥になって、まったくエロスを感じないというのはあるんですけどね。
中森明菜は、歌に選ばれた人のような気がします。

この文章は、コメントが全く付かなくて正直寂しい思いをしていました(笑)
ありがとうございます。
by Sho (2011-09-03 23:06) 

みのる

聖子ちゃんファンですが、当時、明菜さんのTATTOOには圧倒され、明菜さんに浮気しまくりましたよ。
だって、あのくびれから、釣鐘型の美乳とムチ尻。 そして、魅惑的な表情。
セクシーさでは、段違いでしたもん。



by みのる (2015-11-07 15:12) 

Sho

to みのるさん

コメントを、ありがとうございます。
このころは、明菜の全盛期でしたね。
色気もすごかった。

以下、独り言になりますが。

たとえばこの「TATTO」とか、その他、彼女の全盛期の映像を見るたびに、「あの自殺未遂の騒動さえなかったら・・」と、ずっと思っていました。
でも、最近は、そうでもないのかな・・と感じています。

どんな人でも永遠にトップに居続けることはできませんよね。
どんな時代のスターたちも、ある時期トップに居て、
そして次の人たちに席をゆずる。
中森明菜も、いずれはトップの座を降りなければならなかった。

その時にどういう風にその場を離れて行くのが良いのか。
これはすごく難しいことだと思うんですよね。

どういう立ち去り方であっても、どことなくうら寂しいような雰囲気は
生じてしまうんだと思います。
そうやって考えると、もちろん良いことではなかったんだろうけど、
とにかくも中森明菜自身が全盛期の幕を下ろしたわけで、
それはそれで、一つの時代の区切り方としては、有りなんじゃないかな・・と思うようになりました。

人は必ずしも幸せでないと輝けない、ということはないんですね。
中森明菜にはいつも不幸の影みたいなものがあったんだけど、
それがあるからこそ、中森明菜の美しさや色気が出てきたんだろうなと思います。


by Sho (2015-11-08 19:08) 

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