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プリズムとパンドラの函 [雑感]

このブログを初めて10年。

言葉、というのは何なんだろうか。

私が「A」という言葉を発する。
ある人には「A」のまま届く。
別のある人には「A´」として届く。
また別のある人には「A´´」として届く。
「B」として届く人もいる。

私が発した「A」という言葉が「A」のまま届くのは、いったいどのくらいの割合なんだろう。


私が大学二年の時だったと思う。
現代日本文学の時間だ。
もう授業も終わろうという頃、先生が何気なく言った。
「状況というのは、全て変わるものとしてとらえなければいけませんね」

その頃は、私の人生で最も厳しい時期だった。
未来に光などは無く、私は毎日を怯えながら生きていた。

「状況というのは、全て変わるものとしてとらえなければいけませんね」

ムーミンパパみたいなのどかな風貌の先生は、やはりのどかに言った。

私はその時、「長いスパンでものを見る」ということを知ったのだと思う。

今は辛い。
でも、半年先、一年先、十年先、二十年先には状況は変わっているかもしれない。
現実には、変わっているかもしれないのではなく、確実に変わっている。

現に、状況は変わった。


一昨年の暮れ、退職の意向を伝えた。
年が明けてからも複数回伝えた。
その時点で私は正社員に戻された。
社員は相変わらず居つかない。一年前と比べて、半分、顔ぶれが変わっている。

社長からの執拗な虐めは止まった。
診断書を提出して、私はほぼ定時であがっている。
かつて社長の大のお気に入りだった女性スタッフは、社長のいいかげんさに怒り心頭となり、なんどかバトルを起こし、今では仕事を干されている。
毎日のように遅くまで残業していた彼女は、私と同じくらい早く帰るようになった。ありあまる有休と代休を使いまくっている。

私には同じ仕事をする後輩が出来た。
これまでいろんな人が来て、誰ひとり結果を出せずに辞めていった。
私はいままでにないくらい詳細に、彼女に全てを教えた。
そして彼女は今でも続いており、私たちはスカイプでチャットしながらうさを晴らしている。

状況は変わる。
空を流れる雲のように、刻々と姿を変えていく。



ずいぶん昔に読んだ藤本義一のエッセイにこんな話が載っていた。

戦争中のことを取材していた時。
どうしても何も語らぬ女の人がいた。
こういう人こそ、すごい話が聞ける・・
藤本氏は徹底的に粘る。
そして、女の人は話した。

戦争中、赤ん坊を背負って必死で逃げた。
逃げて逃げて、ふと気がついたら、背負っていた赤ん坊の首が飛ばされていた。


人は、一番辛いことは、なかなか言わない。
心の最も深いところに、何重にも重石をつけて沈めておく。

私はこのブログに、一番辛いことは、とうとう書かなかった。


私が発した言葉は、私の前に置かれたプリズムを通り、読み手一人一人の前に置かれたプリズムを通り、読み手に届いていく。

「A」 と発したつもりが「B」と受け取った人に、
「このBは何だ!!! けしからん!!!」と憤られても、私にはどうしようもない。



小さい時から、本と書くことは私を支えた。
本があったから、私はここまで生きてこられた。
拙い拙い言葉で綴った日記は、いつも私の心を軽くしてくれた。

私は日々が充実してきて、ブログを書く必要がなくなってきたのだ。

早起きをして、歯磨き洗顔化粧をして出勤する。
間食を控え、必ず果物食べるようにする。
せめて週末には自炊する。
夜は早く寝る。

こんな、ほとんどの人が普通にしていることを、齢五十を過ぎてから、
ようやく私は出来るようになった。

あと二十年、三十年、もしかすると一週間かもしれない。
私に残された時間はどのくらいだろうか。
明日という日は明るい日と書くが、そもそも、あるかどうかもわからない日が「明日」だ。

最後の日まで、私たちは歩いていくしかない。
先は見えない。
でも、私たちは一人一人、生まれ落ちた時に「パンドラの函」を渡されている。
「パンドラの函」には、この世のありとあらゆる悪が詰め込まれている。

けれど。
げに恐ろしき悪に囲まれて、パンドラの函の片隅に「希望」が置かれている。
希望は幼子のように深く眠っている。
あらゆる悪が函からあふれ出て私たちを絶望に突き落とした後、
希望はようやく眠りから覚め、不思議そうな顔を、函の淵から覗かせるのだ。





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人生に勝敗など無い―今日のmsnのコラム [雑感]

今朝PCを立ち上げて、自動的に開いたmsnのコラムがあまりに腹立たしかったので書く。

ともに東大卒の男二人。
一人はキー局のテレビ局職員、もう一人は新聞社の社員。
二人して北関東の支社に在籍中、年齢は50代前半。
その二人を、後者の部下が見ていて思うところを述べた、という設定になっている。

まとめると、前者は敗者、後者は勝者として枝別れの人生を歩んでいくという話だ。

吉田典史という方が書いていた。

雇われ人として生きている間には、とてもとても家族には見せられない姿をさらさなければならない時があり、侮蔑にまみれ、失意のどん底に落ちる時もある。
そういう時には女性に話を聞いてもらうと良い。
しかし、ここに登場した前者はその女性に逃げ込み人生の敗者となり、後者はそうはならず本流に戻れた。
みたいなこと。

当初、まだ20代くらいの若い人が書いたコラムかと思った。
あまりにも薄く、傲慢さを感じたからだ。
どうもそうではないようである。

会社でみじめな姿をさらさなければならない? その通りだ。
それがどうした。

勤め人であろうが商売人であろうが、もしくは専業主婦であろうが、生きていれば誰だって、死ぬほど惨めな姿をさらさなければならないのだよ。
そういう屈辱や悲しみを抱えて生きていくのが人ではないのか。
子どもだって同じなのだ。

それをさも大事のように記すのはおかしい。

そして、自身のおかれた厳しい境遇から、ここでは「左遷」となっていたわけだが、
一人はスナックのママに溺れて坂を転がり落ち、他の一人は踏みとどまって本流に戻れたというとらえ方をしている。

そんなに人生単純では無かろうに・・

何がわかるのか。
一人の人間の抱えた悲しみや悔しさや、様々な問題を、他者がいったいどれほど推し量ることができるのか。
まして最初から慮る姿勢が無い者に、他者の心の中の苦しみなど分かろうはずがない。


人生に「勝ち」も「負け」も無いのだ。
否、ここでは人生ではなく仕事においての勝敗を述べているのだと言われるだろうか。
なら言おう。
仕事の勝敗というのは、今日の野球の試合のように、Aの勝ちBの負けとはならないのだ。

一日一日の点数では決まらない。
そして、売り上げや肩書と言った目に見えるもののみで勝敗がつくというものではないのだ。

きれいごとではない。

筆者が「敗者」と断じたような人が、実は多くのものを、後進に残している場合もあるのだ。
筆者が知らないだけで、立派な功績をあげたこともあったかもしれない。
そもそも、もしも何の功績も残してしなかったとしても、それを「敗者」と決めることなど他者には出来ない。


どうしても辛いことがあったら女性に話を聞いてもらえばいいとある。
甘えるな。
大人だったら一人で耐えろ。
苦しみと悲しみをじっと抱えているから、大人の男は色気があるのだ。

他者の人生を断じてはならない。
まして「勝ち負け」など、決めつけてはならない。

百歩譲って、もし人に「勝者」と「敗者」が存在するなら、自分以外の人間を簡単に「勝者だ敗者だ」と決めつけるような人間こそが、人生の敗者であると私は思う。




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覚書「ナイルパーチの女子会」柚木麻子 [本]

うーん・・これはねえ、ないよ(笑)

作者が、この御本についてインタビューで、「(登場人物の)栄利子も翔子も、正気の人間として描きたかった」ということを話しておられた。
お気持ちはわかる。
確かにふたりとも「正気」なんだというのも、わかる。
ただ、ともに、深い病理を抱えている。

ええと、ですねえ・・
何が「無い」のかといえばですねえ・・

まず、翔子のブログがちっとも魅力的じゃない。
あのブログがランキングで上位にいくなんて、とてもとても思えない。
お気楽な奥さんの、ひょうひょうとした毎日を綴っているブログが、それでもすごく人気が出るとしたら、何か強烈な魅力があるはずなんだよね。
それが無い。
何度も引用されてるけど、ほんとつまんないの。

で。
栄利子。
この人は「正気」だけれど「病気」です。
精神のどこかが、幼児のままで止まっている。
栄利子がどうしてそんなに「同性の友達」に固執するのか、最後まで理解できませんでした。
確かに、彼女に友達はできないだろうなあ・・と思うし、だからこそ渇望するのはわからなくもないんですが・・彼女には、「自分は優秀な人間なんだ!!」という錯覚があり、
「足りないとしたら、それは女友達だけ・・」という思考回路になってるのもわかるんですが。

そしてですねえ・・
栄利子が勤めているのは、日本最大手の「商社」とのこと。
ええと・・日本最大手の商社にも、霞が関にも、教育者にも、どこにでも「人間的にどうかと思う人」はいます。それは、職種や学歴や成育歴とは関係が無い。

でも、この本に描かれている「日本最大手の商社」の社員たちは、みんなバカみたいなんですよ。頭悪すぎ。
あきれるほどに無能。

でもって、その「日本最大手の商社」に派遣社員としてもぐりこんだ女、真織。
んー・・・
最大手の商社の事務作業は、かなりなスキルを求められると思いますよ。
真織にそれだけの能力があるようには、とても思えませんでした。
そして、そんな真織に騙されて結婚させられた男。
こんなバカいないって。
いや、可能性はゼロじゃないけれど。
もしも、何かの間違いで、こういう女に引っかかって結婚する羽目になったとして、
給湯室で芋けんぴぶっさされたり蹴っ飛ばされたりして、それで怯えてるだけの男って、あんたバカなの?
ほんとにそんな状況になったら、日本最大手の商社に勤める頭脳と人脈フル活用して、
そんな女さっさと切ればいいだけの話。なにしてんだよほんとに・・

登場人物がみんなバカみたいなんですよ、ほんとに。

栄利子が真織に、「あたしの彼と寝た」と恐喝されて、「営業部の男全員と寝ろ」と言われて従うとか。
あのさ、栄利子が寝たのって、別に入籍前だよね?だったらなんの問題もないじゃん。
うっせーこのやろー!!! でいいんですよ。

本の中では、わざわざ「東電OL」を出してきたりしてたけど、栄利子は全く違う。
東電OLの、死の淵ぎりぎりに立ち続けた凄味なんて、栄利子にはかけらも無い。

そしてですね、真織は性格に多々問題ありだけれど、自分と同じような境遇の女友達には感謝しており、彼女たちの幸せを願っている。
結婚式には彼女たちを呼んで、いい出会いを作ってあげたいと思っている、という箇所。
だからさ、選ばないんだよ。
真織はたまたまバカな男をだまくらかすことに成功した。
でも、そこに勤める男たちが、もし自分と学歴や環境の違う女たちを伴侶に選ぶとしたら、それは一重に「その女の人に魅力があるから」なんだよ。
心根の優しさや、一所懸命さや、忍耐強さや、学歴とは違う賢さや、そういうところに惹かれて行くんだよ。
そういうことが分かっていない時点で、真織はアウト。
そもそも派遣先であんな大立ち周りを演じたら、ふつう派遣先から派遣元にクレームがいって、切られる。

会社の描写も、「日本最大手の商社」にはとても見えませんでした。
よくある中小企業の中のお話みたい。

作者が、日本の会社組織について(大小かかわらず)、あまり理解しておられないように感じました。
例えば、信用金庫の中で、高卒のベテラン女性社員が孤立していく過程は、桐野夏生氏の「OUT」にとてもよく描かれています。ああいう現実味が、まるでありませんでした。



最後に。多分伝わらないだろうけど、栄利子に。

あのねえ、ともだちなんていらないんだよ。
みんな一人で生きてるんだよ。
ともだちなんて、「作ろう」と思って出来るもんじゃないんだ。
気が付いたら横にいるんだよ。
あんたはただ、一所懸命生きてればそれでいいんだよ。

職場なんてね、砂漠なんだよ、砂漠。
みんな裸足で、どこが終わりかもわからない焼けた砂の上を、たった一人で歩いて行くんだよ。
あんたが必死で歩いている時、誰かがあんたを助けてくれるかもしれない。
自分も足の裏を焼きながら、あんたを助けようと手を伸ばしてくれるかもしれない。
それが友達なんだよ。
それまでは、一人でいることに耐えながら、歩くしかないんだ。
それからねえ、仕事も職場も戦いなんだよ、戦い。
一発殴られたら、三発殴り返すんだよ。
職場には、お父さんもお母さんもいないよ。
味方なんて誰もいない。
全員を敵に回してもそこで生きるんだ。
あんたに噛みついてくる奴がいたら、あんたもそいつに噛みつき返すんだよ。
食らいついたら最後、そいつの肉を食いちぎるまで歯を食いしばって耐えるんだよ。
あんたが居る「日本最大手の商社」は、本来そういうところじゃないのかね?

あんたは、自分で思ってるような優秀な人間でも、美しい人間でも無いんだ。
人の気持ちがわからない、他者との距離の取り方がわからない、自分本位な困った人間なんだよ。 それだけ。




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自責の念とともに生きる [雑感]

昔の人は、写真を撮られると魂が抜けてしまうと考えていたそうだ。
ブログを書いていて、そんなふうに思うことがある。
約10年続けてきて、とても楽しく、面白いことであったけれど、
自分の大事なものを切り売りしているような、本当は自分の心の中だけに留め置いておく方が良かったのではないかというような、そんな気持ちになることが、最近時々ある。


パニック発作の予期不安はいっこうに治まらず、羽田から飛行機で札幌に行くことができない。先日は¬一泊の準備で重たい鞄を持って新幹線で名古屋に行くのに、多大な努力を要した。
今かかっている心療内科の先生は、決して悪い方ではないと思うが、ここで治ることはないと判断した。

新しく通う病院から、問診票が送られてきた。

「今までにメンタル面で治療をうけたことがありますか? ある方は、いつのことですか?」

「自分がいなくなった方がよいと思うことがありますか? 当てはまるところに丸をつけてください。 いつも思う・時々思う・あまり思わない・全く思わない」

「あなたが今一番困っていることはなんですか?」


延々と続く質問に答えながら、私は今まで関わった精神科医の名前を思い出したりしていた。


朝、通勤のため最寄り駅に向かう時。
仕事の合間、窓の外に広がる景色を眺めている時。
テレビを見ている時。

私は人殺しだ、と思う。

私が殺した、と思う。

心優しい人は、それは違う、あなたは精一杯やったじゃないかと慰めてくれるだろう。
メンタル関連の書籍によく書いてある認知療法の一つ、
「あなたの友達が、あなたと同じような心境だったとして、
あなたはなんと声をかけてあげますか?」と言う問いに答えるなら、
やはり同じように、「あなたは精いっぱいしたのだ、何も自分を責めることはない。
あなたの大事な人は、あなたの幸せだけを祈っている。
あなたが自分を責め続けることを、あなたの大事な人は望んでなどいない。悲しむに違いない。」 そう言うだろう。

そう。そのように言うだろう。
けれど。
あの時の私の状況を知っていたのは、私ただ一人だ。
誰も想像し得ない状況があった。


問診票は続く。

「あなたが気持の落ち込みをひどく感じるようになったきっかけは、いつ、どんなことでしたか?」

命を削るようにして、ゼロから取り組んできた仕事がようやく成果を見せ始めたが、
そうなると私はもう全くタッチできず、自分の周りの社員たちが、その案件のことでチームを組み、盛り上がりながらその件に関わっているのを見聞きし、その中で又新たな受注を目指して営業活動をしていくことが、耐えがたくなった。

それは事実だ。
けれど。
それは何回目かに引かれた引き金にすぎない。
うつの種とも言うべきものが私の奥深くに埋め込まれたのは、違う時期だ。


私は、この、自責の念を失くしてほしいと思ってはいない。
自責の念に苛まれる辛さから助けてほしいとは思っていない。
むしろこの自責の念を、私から奪わないでくれと望んでいる。

思いつめれば叫びだしそうになる。
ホームに入ってくる電車の正面を見つめる。

けれど、私は笑うこともできる。
真夏の晴天を見上げ、入道雲に微笑むことができる。
肌をなでていく風に心地よさを感じ、いつのまにか満開になったチューリップの群れを眺め、それを見ている保育園児たちの小さな後姿を心底かわいいと思う。

私の心の中にあるのは、悲しみだけではない。


うつ状態に関して言えば、多分かなり寛快しているのだろう。
それでいい。
そんなにハッピーハッピーと感じながら生きることが幸せだとは、私は思わないのだ。
悲しみも苦しみも、そして喜びも感じながら生きていく方が、私はずっと幸せだと思う。


自責の念は辛い。
けれどこの辛さを、どうか私から奪わないでください。

私は許されたくなどないけれど、私が詫び続ける大事な人たちは、
既に私を赦していることを、私は知っています。
それでも私は自分を責め続けます。


隅っこに希望が納められた「パンドラの函」には、世の中の悪が溢れんばかりに詰め込まれていましたね。
私は、この自責の念を抱えて生きていきます。
自責の念は私を苛み、苛み、それでも私は、何かを楽しいと思い、誰かと笑い、
世の中の美しさに感動することができます。
人の心はそのものが、「パンドラの函」なのかもしれませんね。


私を苛む自責の念を抱えたこの人生を、私は愛しています。




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孤独であること [雑感]

自分の乳房が一つしかないこと、
自分のお腹の中に、子宮と卵巣が既に無いこと
そんなことは思い出しもせずに日々を暮らしている

それらは別に私にとって、嘆き悲しむことではない。

愛も恋も、もう遠い遠いところに行ってしまった。
それもまた、悲しいことではない。


何故昔はあれほどに、男の人からの庇護を乞うたのか。
「可哀そうに」と、
「手を差し出してやらずにはおられない」と、
思ってほしかったのか。

そんなものはもういらない。

私は一人で生きていく。


孤独であることよりも、孤独な時間を持てない方が、
私にははるかに恐ろしい。


男の人と睦みあいたいという気持ちも消えた。

もしそのような場面に至ったとしても、
服を脱いだ私の体は、
もはや異形ともいうべき姿になっているのだろう。
それを見て、欲情する男がいるとは思えない。
それはさみしいことではなく、
ただ、そう思うだけだ。


夫もいらない。
恋人もいらない。
もちろん、「私は」ということだ。

家族を育む生き方があり、私はそれを尊重する。
私は別の生き方を選んだ、ということだ。¬


孤独でよいのだ。
ほとんどの人は孤独なのだ。
それを、友達やら同僚やら異性やらで紛らわせているだけだ。

すぐそばにどんなに親しい人が居ても、
人は本来孤独だ。


可哀そうになどと思ってくれなくてよい。
手など差し伸べてくれなくてよい。

私を理解してくれなくてよい。

嗤いたければ嗤えばいいし、憐れみたければ憐れめばいい。

その人たちの感情は、私に何も及ぼさない。


ただ。
死ぬまでは女でいよう。

形状ではない。
心、でさえもないかもしれない。

女がどこに宿るのか、私はいまだわからない。


それでも私の中に、女は潜んでいる。

彼女は3つくらいの女の子のように、
日頃は私の中でお昼寝をしている。

そして時々、起きてくる。

私たちは顔を見合わせて誰かのことを思い浮かべ、
馬鹿にして笑ったりする。
大嫌いな女のことを、二人でじっと睨んだりする。

彼女はたまに、私の中でけらけらと笑いだす。
そうすると私も可笑しくなって、声をあげて笑う。
私たちは互いの笑い声が相乗作用を起こしたように笑い続ける。



虐めたいなら虐めればいい。

ここまで痛めつけて、まだ足りないか。


おまえの精神と私の精神では、
悪いなあ、私の精神の方がはるかに強い。

おまえは自分の弱さを知っていて、私が憎くて怖くて虐め続ける。

私を虐めれば虐めるほど、
おまえは私が怖くなるだろう。


私は自分の足で、一人で生きていく。

差し伸べられる手など、要らない。




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ブログと排泄 [雑感]


もう何年も、壊れたPCを使っていた。
ディスプレイは半分しか映らず、しばしばものすごく動きが遅くなった。
それでも使っていたら、先日ついに全く動かなくなった。
しばらくPCを開かない生活をしていたが、「家のPCが完全に壊れましたので、ネットカフェに行って¬仕事をしてきます」「スマホでしようとしましたが、うまく見られませんでした」と、土日の度に上司にメールをしていたら、会社に余っていたPCを一台借りられることになった。
というわけで、久しぶりにネット三昧の日々である。

Youtubeをずっと見ていた。
安全地帯の、主に80年代半ば頃のライブの映像などを繰り返し見た。
玉置浩二は天才。

天才というのは、きっと何かの原石を抱えて生まれ落ちた人なんだろう。
そしてその原石を、磨いて磨いて磨いて、磨き続けた人なんだろう。
どんなに磨き続けても、¬¬原石は摩耗しない。
彼が誕生の際に抱えてきたのは、「ダイヤモンド」だから。

「歌の練習は、すっっっっごくした」と彼が言っているのを聞き、
そうか、こんなに才能を持った人でも、人の何倍も練習をしたんだ・・と、
改めて気付いた。

でもこの人にとっては、練習つまり歌うことは、決して苦痛ではなかったんだろうな・・と思う。
音楽が好き、歌うことが好き、歌っていることが何よりも楽。

以前このブログにも書いたけれど、テレビ番組で、坂東玉三郎と玉置浩二が話していた。
玉置「歌しか無い、っていうのは、わかってたんで」
玉三郎「うん。私も、踊りしか無いってわかってた」

玉置「歌えなくなったら・・どんどん悪いほう悪いほうへ行っちゃって・・。
   でも歌えようになったら、大丈夫」
玉三郎「ああ、そうよね。それは、生理的なものでしょ? 生理的なものよね」

というような内容だった

¬¬¬¬この「生理的」という言葉を発した時、玉三郎は、何かがこみ上げてくるような動作をし、見ていた私は、まるで嘔吐みたいだな・・と思った。

けれど、ある人たちにとっては、「表現」は「生理的なもの」であり、生理現象の中でも、
実は「排泄」に一番近いのではないか、と最近思う。

排泄しなければ人は死んでしまう。
ある人たちにとっては、歌えないこと、踊れないこと、表現できないことが、健康に支障を与えてしまうんだろうなと思う。



私は、書きたいからブログを書いてきた。
理由は一つだけだ。
「書きたかったから」。
ただ、それだけ。

誰かを勇気づけるためではない。感動させるためでもない。
何かを誇示したかったのでもない。
「文章がうまい」と言われたかったのでもない。
そういうときもあったとは思うが、突き詰めれば、
「書きたかったから」、ただ、それだけだ。



ブログを書くにあたり、また、書いていくにあたり、私は自分のスタンスを確立できてはいなかったと思う。
自身が誰であるかを明かさずに、映画や本や音楽の感想を書いた。
自身が誰であるかは伏せたまま、職場における辛さや、過去の思いや、その時々の心情を書いた。

スタンスを確立できていなかったけれど、唯一つ課していたのは、
「自分が何者かを明かさない」、ということだった。



結果、混乱が生じた。

虚実ない交ぜのことを書きながら、あるコメントには「これは事実である」というスタンスで返事を書き、別のコメントには「これは事実ではありません」というスタンスで返事を書いた。


ブログを続けていくうちに、私も混乱した。
混乱したまま、文章を書き、コメントに返信した。

なので、人を傷つけることがあったのだと思う。


私が本気で、「もう、ブログを辞めよう」と思ったコメントは、ここに何度も寄せられた「悪意」や「敵意」を含んだものではなかった。

私が大好きだった人からの、コメントだった。

どんな悪意や敵意を含んだものよりも、そのコメントは私の胸を刺した。

私は、「この人にこのコメントを書かせたのは私だ」と思った。



一人の素人が、ブログを続けていく限界も感じるようになった。

今、ツィッターやフェイスブックで、自身の素性を明らかにしたうえでいろいろ発信している人も増えているが、今後はどうなっていくんだろうか。


私は文章を書くことで生計を立てている人間ではない。
世の中に「書く」仕事はたくさんあるけれど、私はそのどこにも属していない。

ただ、小さいころから書いていた。

大好きなA君と、授業中に目が合ったときのうれしさを。
少し先にあるはずの、大人の世界にいる自分の姿を。
心を殺されたと思った日のことを。
誰にも言わなかった、大事な人が踏みにじられた時のことを。

いつも、ノートと鉛筆があれば、私は自分を支えられた。

それは、誰かに見せるものではなく、ただ、心の中を吐き出していったものだった。
なのでとても稚拙で、たとえ誰かが目にしても、何のことかわからないものだったと思う。

誰のためでもなく、私はただ、書いてきた。

書いてきたから、私は今日まで生きてこられた。



ここに書いてあることは、事実なんでしょうか。事象なんでしょうか。真実なんでしょうか。

今の私には、「自分の排泄物」であります、というのが、一番当てはまるように思います。





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その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな [与謝野晶子「みだれ髪」]

その子二十 櫛にながるる黒髪の
 おごりの春の うつくしきかな
          与謝野晶子


春の陽射しの中、目の前の娘は二十歳になるという。
その黒髪は命の勢いを表すように、櫛で梳く度、まるで滝の流れのように、日の光がその上を走っていく。

あら。
この娘は、二十歳の時の私かもしれない。
若いことは時に疎ましく、未熟さを指摘されれば悔しかったけれど、でも私は、私の未熟さを咎める大人たちが、私をうらやんでいることにちゃんと気づいていた。

あの人たちがとうに無くした若い時、
その直中に今生きているのだと、
私は勝ち誇った気持ちになっていた。

若さとは、傲慢で、だけれども美しい、光溢れる春である。



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覚書「Dr. 倫太郎」 [ドラマ]

ドラマなんだからさ・・と、言われればそれまでの話である。
所詮ドラマなんだから、現実とは違っていたって仕方ないじゃない。
所詮ドラマなんだから、そんなことあるわけねえ!!と憤ったってしょうがないじゃない。
それはわかるけれども、覚え書きとして書いておく。


所詮ドラマなんだけれども、書く人間、作る人間には、「責任」というものがある。
誹謗中傷はともかく、様々な意見や批判には、謙虚に耳を傾け、己を省みるべきである。


不自然なところも嘘くさいところもいろいろあるが、
許せないことがある。
倫太郎である。

理想の精神科医などめったにいないし、だからこそ、こういうドラマを人は求めているのかもしれない。でも、見た人はその希望を打ち砕かれたね。

倫太郎はどうして夢乃を特別扱いするの?
そりゃあ恋しているからですよね?

脚本の中園ミホ氏にとっては、最も関心があり、尊いものは恋愛のようだ。
「花子とアン」を見てもそう思った。
燃え上がる恋、ちりちりと音を立てて胸を焦がしていく嫉妬の辛さ。
スーパー(と評される)精神科医と、辛い生い立ち境遇から精神を病んだ美しい女の恋を書きたかったのかなあ・・と推察する。


で。

脚本家の欲望を満たすために、精神疾患の患者が存在しているわけじゃないからさ。


女の患者に自宅訪問を許可したり、ラインしちゃう精神科医はいないから。

若すぎず、年寄りすぎもせず、ハンサムで暖かい精神科医には、診察希望の患者が押し寄せるはずだ。
そしてその中の多くの人が、愛情に飢え、庇護を渇望し、自責の念につぶされそうになりながら生きている。
倫太郎を標的に、ストーカーになる患者もいる。
その患者は、主治医が変った。
彼女は、倫太郎の夢乃の対する行動を知ったら、どんなに傷つくだろうか。
自分には許されなかった自宅で会うことも、「貴方は僕にとって大切な人なんです!!!!!」という言葉も、夢乃という女は許されている・・

患者の両腕をがっしりつかみ、「貴方は僕にとって大切な人です!! でも、男女の仲になるわけにはいかないんです!!!!」という精神科医はいません。

なんで謹慎中なのに、夢乃の診察には出てくるのですか?

泣きながら診察室を後にする夢乃。
呆然と残された倫太郎は、何かに気づいたように立ち上がり、彼女を追いかける。
そしてエスカレーターで降りようとしていた夢乃を力いっぱい抱きしめる


あのね。
診察室の外、つまり待合コーナーと院内の廊下だからね、倫太郎の患者もたくさんいるでしょう。
「倫太郎先生は、ちょっとお休みしていて・・でも、代わりの先生が拝見しますからね」と言われて、不満と不安でいっぱいになった人たちも、その場所には居るはずだ。

そこをですね、当の倫太郎が女追いかけて走っていって、挙句抱擁しちゃうわけですよ。


私が倫太郎の患者で、その場面を目撃したら。
倫太郎の目の前で、夢乃を刺します。
もしくは、自分を刺します。


思うんですけどね、このドラマもそうだし、売れてる小説でもあったりするんだけど、
簡単に人死なしちゃったりね、精神疾患にしちゃったりね、だめだよ。
その方が話が盛り上がるんでしょ?

でもさ、駄目だよ。
どうしてもそういうこと書きたいんなら、腹括らなきゃ。
いい加減な気持ちでそういうことを入れちゃ駄目なんだよ。


あんなこと実際に病院でしたら、死人が出る。
だって、みんな自分の命かけて愛情を欲してるんだもの。
得られなくて得られなくて、ようやく自分をわかってくれる先生に出会えたんだもの。
その人が、自分以外の女の人を追いかけて、抱きしめてるのを見ちゃうんだもの。
「夢乃」になれなかった人たちは、絶望の中でようやく射した光に又絶望する。


実際の、精神科医と患者の対話、カウンセラーと患者の対話というのは、
命綱無しの綱渡りみたいなものだ。
ほんの不用意な一言が、相手の命を奪ったりする。
文字通りの真剣勝負なんですよ。



誰かのドラマや小説のために、人間の苦しみが存在しているんじゃないんだ。
そんなドラマや小説の書き手の満足手段のために、懸命に生きてる人たちがいるんじゃないんだ。


みんな必死で生きてるんだ。


もうそんなことも、この人たちにはわからないのだろうか。



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覚え書き2015.06.07 [雑感]

私が、確か大学二年生の時、現代日本文学を教えていた先生が、授業中に何気なく言った。

「状況は、常に変わるものとして捉えなければなりませんね」

あの頃は、今までの人生で、とても辛い時期だった。
私にとってその言葉は、暗闇の中に射した一筋の光のようになった。


確かに。
状況は変わっていた。
当時私が恐れ、未だに許していない人たちの、たぶん半分以上は死んだ。
決して死んでほしくなかった母も、死んだ。
壮年だった人は老年に、子どもだった私は、孫を持つほどの歳になった。

やまない雨がないように、永遠の晴れもないように、状況は刻々と変っていった。


このごろお休みの日には、youtubeで、見逃した古いドラマテレビ番組を見たりしている。その番組の放映時期を確認し、当時の自分を思い出したりしている。
一向に風の通り抜けない暑いアパート、元号が変る気配を感じた秋、交差点に立つビルにかかっていた大きな広告。
当時の女の人たちのお化粧や流行の服を、思い出したりしている。


去年の暮れに、私と同じ業種の人が、別のオフィスに入ってきた。
今まで何人もの人が臨み、誰一人として、結果を出すことは出来なかった。
私は、今までに培ってきたすべてを、彼女に伝えることにした。
物理的に離れているので、彼女とは毎日、スカイプでチャットをしながら仕事をしている。
電話のかけ方をフォーマットにし、文案はすべて考え、彼女が扱う全案件に目を通した。
半年たって、彼女とのチャットが、辛い仕事の支えになった。
お互いに本好きとわかり、好きな作家のことや、読んだ本のことをチャットする。
社長のことは互いに「ジジイ」と読んで、悪口の限りを尽くす。
嫌いな同僚は動物の名前、こんなひどいこと、あんな許しがたいことをしていると中継する。
会社は、相変わらず、人が入っては辞めていく。
誰も居つかない。
なので会社としてのレベルは、一向に上がらない。


先日総合病院に、紹介状を持ち、足の手術について話を聞きに行った。
片方は末期、もう片方も、あと数年で手術が必要になるだろうとのことだった。
手術をするとしたら、亀の世話や仕事の繁忙期をはずす意味で冬しかない。
当初は、来年の年明けに受けようと考えていた。
ようやく満額、といってもスズメの涙の切っぱしほどのボーナスを、夏と冬、二回もらったら手術をしようと思ったのだ。
けれど、どう考えても、資金はぎりぎりになる。
ボーナスを受け取れなかった4年間で、生活用品などはほとんど使い物にならなくなっている。服も然り。
あらゆるところが、ぼろぼろなのだ。
それらを買って、年が明けたらすぐにアパートの更新もある。
もう、今の会社にはほんの少しでも貢献したくはないが、ここはしっかりと損得勘定をし、自分に損が無いタイミングで辞めたほうがいい。
当初の予定を一年先延ばしにするか。
今、それで揺れている。


先日の外来で、パキシルが減量となった。
私はたぶん、もう「うつ状態」ではないのだ。
この部屋の散らかり具合は、ひとえに私のだらしの無さと、そして
慢性化した疲労からきているのだろう。
パニック障害は。
これは、循環器内科で精密検査をし、いままで何度と無く言われてきたように、
「特に心臓に問題はありませんね」と言ってもらい、
ついでに、「私が、今、心疾患で死ぬ確立はどのくらいでしょう?」と尋ね、
「そうですねえ・・ほとんど無いです」とでも言ってもらえば、
それでもう治まる気がする。


そういえば、先日初めて「Dr. 倫太郎」を見た。
あらすじは、webで見ていた。
うーん・・
倫太郎先生、えこひいきはいかんですよ。
ストーカー女の担当を外れたのなら、夢乃の担当も外れなさいな。

二十年前、十年前でも、こういうドラマを見たら、私は泣いただろう。
愛情を乞い、心配されることを乞い、庇護を乞うた。
今はもう、ない。
私は一人で生きていく。
もう男の人に、心配してほしいとも、守ってほしいとも思わない。
そういうことを手放して、他者に気を遣わずにすむ生活を得た。

つくづく、人生というのはわからないものだなあ、と思う。
「状況は常に変っている」というそのことが、
雲間から射す光のように、パンドラの箱の隅で眠る希望の存在のように、
今でも私を、支え続けている。



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我侭に生きる。母の遺言 [雑感]

母が、二度目の入院(それは結局、家に戻ることはできませんでしたが)をしているときでした。
私は、人数ばかり多い母の姉たちから「会社を休んで毎日付き添え」と命令され、それに従って、毎日母の元に通っていました。
母の命は「あと一月」と、主治医から言われていました。
おそらくもう、「どこも痛くなく、苦しくも無い」という日は、一日も無かったのだと思います。
それでも、あの日は、ほんの少しは調子がよかったのでしょうか。
良いお天気の日でした。
同じ部屋に入院している年配の女の人が、毎日顔を見せる私に、
「お仕事はいいんですか?」と、問いました。
私はなるべくさりげないように、「はい、今ちょうど忙しくない時期なんです」と、答えました。
今の会話で母が何か感じ取ってしまったのではないかと私は怯え、何か明るい方向に話を持っていきたいと思いました。
その部屋は10階で、広い窓から広々とした東京の景色が見渡せました。
「お姉ちゃんの会社も見えるよ。退院したら一緒に言ってみようよ」と、私は母に言いました。
母はにこにこしながら、「こんど元気になったら、思いっきりわがままに生きるんだ」といいました。
独り言のように、歌うように言いました。
その時、私ははっきりと、それが私に対する母の遺言であることを感じ取りました。
おそらく母は、もう自分の命が長くないことを知っている。
そして娘である私に、「我慢するな。わがままに、好きなように生きなさい」と言ったのだと思いました。
 
ずいぶん後になってから、母は自分の選択した生き方で、娘である私に大きな負担をかけてしまったと、自分を責めていたのではないかと思うようになりました。
私は母に対して、抉り取ることのできない自責の念を抱いていますが、
母は母で、私に対しての自責を、感じ続けていたのかもしれないと思います。

母は、本当に、周りの人に気を遣う人でした。
もう思うように歩けなくなって病院に向かうタクシーの中でも、運転手さんに気を遣っていました。
入院したらしたで、医師看護師、同室の全ての患者さんに気を遣っていました。

どんな時でもにこにこし、自分の要求を通そうとすることはありませんでした。

私は、その母の気質をそのまま受け継ぎました。
 

私は時々思うのですが、母は確かに我慢を重ねた人生でしたが、ある意味では、かなり我侭に生きたとも感じます。

親類縁者を全て敵に回した状態で、それでも成し遂げようとしていたことがありました。

そのことは、母の心身を痛めつけ、寿命を縮めたように思いますが、それでも苦しみながら母は、どうしてもそれをし続けようとしました。


 
人は見ただけではわからない。
どんなに幸せそうに見える人も、深い苦しみや哀しみを抱いている。
これは私の考えの根本です。
けれど、自分の要求は絶対に通そうとする人たちも居ます。
他者の言葉を、めったに真に受けない人たちも居ます。
人が話したくない、触れて欲しくないと思うことを、平気で尋ねてくる人が居ます。
 
私はそういう人たちが大嫌いですが、そんなふうに生きられたら、人生楽だろうなあ・・と思います。
そして又、そんな人生つまらないだろうなあ・・とも思います。

あの日の母の言葉を受け止め、私が我侭に生きてきたかといえば、それは違います。
我侭に生きなかった深い悔いと自責が、体に埋め込まれ、それは腐敗し、日々、毒素を滲ませています。

「生きたいように生きる」というのはどういうことか、わかるようなわからないような気持ちです。

ある部分では、生きたいように生きていませんでしたが、別の部分では、私は生きたいように生きました。
あの日母が私に伝えたかったことを、私は理解したつもりでしたが、うまくはできないことが多かったように思います。


根本の気質は変わっていませんが、それでも「人からどう思われるか」については、ほとんど気にしなくなりました。
これは、私自身が病気をしたからだと思います。

嫌われても、変な人と思われても、一向に構いません。


たった一度の人生だから、生きたいように生きればいい。
そのとおりです。

それでも、様々な事情や、大事な人のためや、優しさゆえに、それが叶わないときもあるでしょう。
それはとても苦しい状況だと思います。
けれど、時は流れ、状況は常に変わっていきます。

他者の思惑や悪意のために叶わないなら、戦えばよいと思います。


うまくまとまりません。

「生きたいように」生きたい、と思います。



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