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Que sera sera ケ・セラ・セラ [音楽]
When I was just a little girl
I asked my mother what will I be
Will I be pretty, will I be rich
私がほんの子どもだった頃
私は毎日のように母に尋ねたの
「私は大きくなったらどんなになる?」
「可愛くなれる? お金持ちになるのかしら?」
Here's what she said to me
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
その度に母は答えたの、
「そうねえ・・
きっと"なるようになる"わ。
先のことは誰にもわからない。
大丈夫。
なるようになる、のよ」
When I grew up and fell in love
I asked my sweetheart
What lies ahead
Will we have rainbows day after day
そして私は年頃になり恋もした
私は恋人によく聞いたものだわ、
「ねえ、これから先には何が待っているのかしら?
虹を掴むような幸せが続いているのかしら?」
Here's what my sweetheart said
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
彼はいつもこう言ってたの。
「そうだねえ・・
まあ、"なるようになる"さ。
先の事は何もわからない。
大丈夫だよ。
"なるようになる"さ」
Now I have children of my own
They asked their mother, what will I be
Will I be handdsome, will I be rich
時は流れ私は子どもたちを授かった。
この子達はかつて私がしたように、
自分たちの将来を私に尋ねてくる。
「ぼくは大きくなったらどんな風になるの?
ハンサムになれる?」
「私はお金持ちになるの?」
I tell them tenderly
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
Que sera, sera
私は優しく答えるの。
そうねえ・・
きっと"なるようになる"わ。
先のことは誰にもわからない。
大丈夫。
なるようになる、のよ。
心配はいらないわ。
作詞: R.Evans
作曲: J.Livingston
訳 : Sho
I asked my mother what will I be
Will I be pretty, will I be rich
私がほんの子どもだった頃
私は毎日のように母に尋ねたの
「私は大きくなったらどんなになる?」
「可愛くなれる? お金持ちになるのかしら?」
Here's what she said to me
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
その度に母は答えたの、
「そうねえ・・
きっと"なるようになる"わ。
先のことは誰にもわからない。
大丈夫。
なるようになる、のよ」
When I grew up and fell in love
I asked my sweetheart
What lies ahead
Will we have rainbows day after day
そして私は年頃になり恋もした
私は恋人によく聞いたものだわ、
「ねえ、これから先には何が待っているのかしら?
虹を掴むような幸せが続いているのかしら?」
Here's what my sweetheart said
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
彼はいつもこう言ってたの。
「そうだねえ・・
まあ、"なるようになる"さ。
先の事は何もわからない。
大丈夫だよ。
"なるようになる"さ」
Now I have children of my own
They asked their mother, what will I be
Will I be handdsome, will I be rich
時は流れ私は子どもたちを授かった。
この子達はかつて私がしたように、
自分たちの将来を私に尋ねてくる。
「ぼくは大きくなったらどんな風になるの?
ハンサムになれる?」
「私はお金持ちになるの?」
I tell them tenderly
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
Que sera, sera
私は優しく答えるの。
そうねえ・・
きっと"なるようになる"わ。
先のことは誰にもわからない。
大丈夫。
なるようになる、のよ。
心配はいらないわ。
作詞: R.Evans
作曲: J.Livingston
訳 : Sho
長い愚痴 [雑感]
私が褒めらなくなってそろそろ一年だろうか。
なかなか取れない人とのアポをとっても、受注してさえ何も言われない。
先日はアポイントの時間をミスしたと、散々怒られた。
ボスの予定が詰まっているのにギリギリで入れて、結局代わりの人間が行くこととなった。
候補となったのが二人。
青年と、ボスのお気に入りの女子社員☆☆さんだ。
昨夜その二人と顔を突き合わせ、どちらにいってもらうか資料は誰に渡すかなど相談していた。
「ボス、あの○○日のアポイントの件なんですが、どなたに行っていただけばよろしいでしょうか?」
「ああ・・あれねえ・・。僕が行くよ」
へっ?
私「あ、あの☆☆さんに行っていただくのかと・・」
ボス「ああ、僕の予定が変わったから。☆☆さんは今△△のまとめで大変でしょう。可愛そうだ」
そしてボスは笑顔になって、「でも営業は☆☆さんに行ってもらった方がいいかな?」と、言った。
営業?
営業?
営業は、私の仕事だよ、ボス。
話はもうしばらく続き、其の間にボスは又
「営業は僕が行くより☆☆さんに行ってもらった方がうまくいくかな」と
楽しそうに☆☆さんを見ながら再度言った。
営業は、ボスと私でやって来た。
しつこい奴だとお思いだろうが、何の実績も無いところから、
凍てつく大地を耕し耕し、種を撒き、手入れをし、晴れの日も雨の日も
毎日毎日続けてきた。
十年経った。
実績はもう十分に出来た。
このプロジェクトは軌道に乗ったのだ。
☆☆さんは、私より一回りほど年下だ。
童顔なので、もっと若く見える。
五十間近の肥満した女が行くよりも、もっともっと若いきれいに化粧した女が行くほうが、
迎え入れるほうも気持ちがいいんだろうか?
半月程前だったか、ボスに何か質問して私は怒られたのだ。
「あなた何そんな事言ってるの!?
常識で考えればわかるでしょう!? ええっ!!!
もっとまともな質問しなさいよ!!
人間の会話じゃないよ!!」
ついに私は"人間以外のもの"になってしまったらしい。
ボスは私を辞めさせたいのかな? と、しばしば思う。
ならばどうか忌憚なく、そのように言ってくれないか。
「後身に道を譲ってくれないか」と、言ってくれないか。
化け物扱いされても、とにかく私は働かなくてはならぬ。
生きていくにはお金が要る。
ボスは人を痛めつけるのが非常に上手い。
私は確かに化け物かもしれない。
外観は中年のぶさいくな女だが、乳房は一つしかない。
子宮も卵巣も、「女の臓器」は取り出して今は無い。
確かによくわからない生き物かもしれない。
女としての価値が無いと、言われているのかもしれない。
女が一人で生きていくというのはこういうことかと、
最近わかるようになった。
女としての価値が落ちていっても居続ける女は、
はっきり言って、あまりありがたい存在ではないのだ。
もちろん常識と誠意をもった男たちは、
あからさまに馬鹿にするようなことはしない。
しかしそうでない男たちは、若い女とそうでない女を
はっきりと区別して扱う。
屈辱的なその扱いの中で、生きていかねばならぬのだ。
毎日毎日「馬鹿だ」「もうちょっと物事まともに考えなさいよ」
「いい歳なんだからさ」「まともに仕事してる人間の言うことじゃないよ」
と、ネガティブな言葉のオンパレードで、私はだんだん自分は本当に馬鹿なんじゃないか・・と思う。
一所懸命仕事した。
一所懸命したなあ・・
何度も自腹を切って、何度もぶっ倒れて、数回の入院中も仕事してたなあ・・
麻酔のビンをクビからぶら下げて、それでも仕事の問い合わせがボスから届けば
返事をメールしてた。
ボス。
私は何かしたかね?
こんな仕打ちを毎日うけるような何かを、
会社に対してしたかね?
会社を伸ばしたくて伸ばしたくて、
必死に仕事をしていただけだがや。
間違いもあった。
でも人間だから、完璧にはいかんのだわ。
間違えたら謝った。
それでもまだ気はすまんかね。
☆☆さんは、オフィスから一番自宅が遠い。
昨年の大地震の後、その☆☆さんにだけ
数日近くのビジネスホテルを取ってあげていたと知った。
ボスはそういう人だ。
馬鹿だ馬鹿だとけなされて、私は自分の営業力にすっかり自信をなくしている。
無くしているがしかし、ここまでこられたのは、私のこの愚直さと、一所懸命さと、
相手に対しての敬意を先方が感じてくれたからだと、その思いはなぜか揺らがぬのだ。
私のやり方はこのやり方なのだ。
毎日の仕事がしんどくて、面白くもなくて、嫌でしかたがない。
しんどい。
長い愚痴になりました。
この愚痴はフィクションです。
ありがとうございました。
夢くらい好きに見させろ [雑感]
弘兼憲史のとあるコラムが話題になっていたそうだ。
私は最近そのことを知った。
以下webからの部分的な引用
「夢は必ずかなう」。そんな言葉をよく耳にします。「願えばかなう、だから夢を持ちなさい」
というのは、1つの考え方としては理解できます。
ただ現実の世界では、夢はいつもいつも、かなうものではありません。かなわない夢だってある。
そんな現実を、子どもたちに早く教えた方がいいと思います。
例えば絵描きになりたい、という人がいます。
東京芸術大学を10年も受験して、それでもまだあきらめない。
酷な言い方ですが、こういう人はいいかげんあきらめた方がいい。
現実を知るというのも大切なことなのです。夢にはかなうものとかなわないものがある。
いつまでも夢を見続けるというのは、必ずしも幸せなことではないのです。
でも、夢はかなわない場合もある。むしろその方が多いかもしれません。
だからこそ、夢には期限をつけるべきなのです。自分の中で、ある程度の区切りを付ける。
そのためには、自分を客観的に見なければいけません。これは会社でも同じこと。
自分の適性を主観だけではなく、外から眺めてくれる人の意見を聞くことが大事でしょう。
以上、引用終わり
ここで注意しなければならないのは弘兼氏の主張に
「たとえどんなに努力をしても」という意味が含まれているか否かだと思う。
努力もせずにただ漫然と「○○になりたいなあ~」と思っていても、それはむりであろう。
弘兼氏は「夢を叶えるためどんなに努力をしても」という意味合で発言されたとして話を進めたい。
少し前、似た様な言葉が流行った。
「強く願えば必ず夢は叶う」
これは、私の個人的な記憶では、内舘牧子氏がよく使われていた。
私が不愉快だったのは、「夢が叶わなかった人は、その思いの強さが足りなかったためであり、
夢を叶えた人の方が幸せな人生なのだ」という内舘氏の考えだった。
結論から言えば、
夢はどんなに強く望み、どんなに努力を重ねても、叶うときもあれば叶わぬときもある。
しかしそれは、叶わなかった人の努力が足りなかったとか、思いが弱かったとか、
そういうことではない。
状況は複雑に絡み合い、刻々と変化する。
様々な事情でその夢を手放さなければならない人たちがたくさんいた。
でもそれは決して、敗北ではなく、恥でもない。
私の意見は以上だ。
弘兼氏は、一つの例として芸大を10年受けては落ち続けている人のことを上げておられる。
>酷な言い方ですが、こういう人はいいかげんあきらめた方がいい。
大きなお世話だ。
何故、成人している人間に、そんな余計なことをしようとするのか?
価値観、人生観、そういうものは、一人ひとりみんな違う。
芸大を10年受けようが20年受けようがいいではないか。
その人が「そうしたい!」と望むのであれば、それでいいではないか。
死期が近づいてきたとき、
「ああ・・あと一回、否あと二回受けていれば、受かっていたかもしれない。
どうして途中で止めてしまったんだろう」と思うのと
「ああ・・俺はもうじき死ぬんだな。
絵描きにはなれなかったけれど、納得するまで芸大に挑戦し続けた。
やりたいだけ受験して駄目だったんだ。もう満足だ」
と思うのでは、全く違う。
他者の人生を、否定してはいけない。
それは「傲慢」である。
思い遣っているようで「思い上がって」いる。
人生に勝ちも負けもない。
同じく成功も失敗もない。
好きに生きればよいではないか。
けれど「好きに生きる」ことが出来ない状況にある数多の人たちがいる。
ならば部分的にでも、一番目ではなく二番目でも、100%ではなく30%でも、
すこしずつ、好きに生きていけたらいいなと思う。
たった一度の人生だ。
自分の思うように生きればよいのだ。
ダンボがやって来た日 [雑感]
私が小さな子どもだった頃、母は私が眠る前によく本を読んで聞かせてくれた。
本は見ないで母の記憶してしまったお話のときもあった。
よく読んでもらった中に、ディズニーの大判絵本の「ダンボ」があった。
ある晩、サーカスの象さんたちに、コウノトリが赤ちゃんを運んでくるのだ。
若い女の(と敢えて言いたい)象さんたちは、みんな空を見上げコウノトリが来るのを待っている。
そのうちに、長いくちばしに布の包みをくわえたコウノトリたちが次々にやってくる。
あちらでもこちらでも、お母さんになったばかりの象さんたちが、
自分の赤ちゃんに頬ずりするように喜んでいる。
ここに一人の(と敢えて言いたい)象さんが、不安がいっぱいの表情で空を見ている。
「どうして自分のところには赤ちゃんがこないんだろう・・」
周りの喜ぶお母さん象の中で、涙ぐむように空を見ている。
すると一羽のコウノトリが、えっさえっさとやけに大きな包みをくわえて舞い降りてきた。
「遅くなってごめんなさい。
この赤ちゃんは本当に大きくて、こんなに時間がかかってしまったの」
お母さん象は心底うれしい表情で、自分の赤ちゃん象と対面する。
この、コウノトリが一所懸命事情を説明する場面を、
母はいつも本当に幸せそうな笑顔で話してくれた。
私は何だかとてもユーモラスに感じて、声を上げて笑った。
母はあの時、自分の初めてのお産を思い出していたのだろうか。
小学校に上がるとき、学校で使う座布団をお母さんに作ってもらいましょうと
学校からご指示があった。
母は手芸が好きで、よく小物を作ったり刺繍をしたりしていた。
私のときも弟のときも、母は同じ絵柄を座布団の一面いっぱいを使って刺繍してくれた。
昔読んでくれた「ダンボ」の絵本の中の一場面。
母は薄紙で線を写し、原画に近い色の糸で刺繍をしてくれた。
ダンボのお母さんが、長いお鼻でダンボをしっかと抱きしめている絵だ。
お母さんはゆったりとうれしそうで、ダンボも元気にうれしそうだ。
小学校入学からずっとずっと月日が経って、私はふと思った。
あれは、私たち子どもに対しての母の気持ちそのものだったのではないか。
長いお鼻で抱きしめながらも、ちゃんと優しい目でダンボを見ているお母さん象。
ダンボは安心しきって笑っている。
「Shoは本当によくおっぱいを吸う子で、今あげたばかりなのに、もうお腹がすいたと泣いてたのよ。
又その泣き声が大きくて大きくて、廊下の角を曲がった先まで聞こえてきてたの。
お母さんは恥ずかしくて、なんだかぐずりそうだなと思うと、トイレに行くふりして部屋を出て行ったりしてたの」
「反対に○○(愚弟)はちっともおっぱいを吸わないで、もうこのまま死んじゃうんじゃないかとおもったわ」
「Shoは骨が太くてね。レントゲンで3回も脱臼と間違えられたのよ」
今、かつてよく聞かされた話を思い起こすと、まだ20代の母親になりたての母が、もともとの童顔で一所懸命さりげない表情をつくりトイレに立つふりをするのが可笑しくも可愛かったり、高校生だった弟はもうおじさんになったよ、安心してねと思ったり、私は今骨密度が減る薬を飲んでいるのに通常の2倍近い数値なのももっとも・・と思ったりする。
お母さん、お姉ちゃんお母さんに伝えておきたいことや、謝りたいことがあるんだ。でも伝える手立てが無い。
母は、私が生まれるとき、空を見上げてコウノトリを待ち続けたダンボのお母さんのように
不安でいっぱいだったんだろうか。
私や弟のことは、長いお鼻があればそれでぐるぐる巻きにしたいほど大好きでいてくれたんだろう。
お母さん、どうもありがとう。
お母さんが、私と弟を生んでくれてそれで少しでも幸せだったら、
それで私はいいんだ。
「毒をんな」作詞作曲:中島みゆき [歌手]
あたしは容貌がすっかり変わってしまい、
道を行くと、主婦らしき女たちは決して私と目を合わせない。
でも遠くから数人かたまって、眉間にしわを寄せて何か話しながら
私を見てるのを知っている。
あたしは今夜も店に出て、男の話を聞き、酒を作り
そして言われれば奥の部屋に行く。
昔々、もう生まれる前ほどに遠い昔、
あたしは好きな人と夜明け前の埠頭を歩いた。
女あしらいも知らないその人の、白いシャツに包まれた背中を見ながら歩いた。
こんなあたしにも本気で、忠告だの愛の告白だのをしてくれる男がいる。
ありがたいけれど、あんた。
早くお帰り。
まだここから戻れると思っていた頃、私は逃げ出そうとして手紙を書いた。
ペンも紙もないから、指先を噛み切ってレースペーパーに血で書いた。
助けて、助けて、助けて―
窓から紙飛行機にして飛ばした手紙は、誰も手にとっては
くれなかったんだろうか。
「こんなとこにいたら駄目になる」と、
あたしの頬を打って手首をつかんだ男の瞳は、
まるで森の奥の湖みたいに澄んでいる。
馬鹿だねあんた、早くお帰り。
あたしはもうここでしか生きられないんだよ。
蓮の花は泥の中でしか咲かないだろう?
あたしは蓮にもなれないけれど。
でもせめてあんたを助けてやろう。
「あの人はただの素人の客、このあたしに説教たれたあげく
酔いつぶれ、いびきをかいて寝てました」
まだここから戻れると思っていた頃、私は逃げ出そうとして手紙を書いた。
ペンも紙もないから、指先を噛み切ってレースペーパーに血で書いた。
助けて、助けて、助けて―
窓から紙飛行機にして飛ばした手紙は、誰かの靴に踏まれたんだろうか。
「毒をんな」は、中島みゆきが今の段階にくる少し前、「36.5℃」というアルバムの中の一曲。
イントロのパーカッション。
そこに被せる様に女の含み笑いが響く。
ん・・ふふふふ・・・
地面の底から響いてくるような笑い声は、「毒をんな」というタイトルにぴったりだった。
この曲で当事私が一番好きだった箇所は、
噛み付かれたら噛み返すよ
踏みつけられたら足を掬うよ
そうならなけりゃ誰があたしを
守ってくれるというの
というところだった。
忌み嫌われている女が、自分なりの「愛の言葉」を発する箇所がある。
愛してません他人でした
それが女の「愛の言葉」である。
自分に本気で惚れて救い出そうとした男を、体を張って守った。
中島みゆきを観ていると、ときどき菩薩のように思えてくるときがある。
もちろんそれは、錯覚なのだけど。
この門松は冥土の旅の折り返し [雑感]
乳腺の細胞診の結果、「癌でした」と言われた直後、私は様々な本やネットを読み漁った。
その時、数年前に癌を患われた岸本葉子氏が
「癌になる前とそれ以降で人生が変わった」というようなことを書いておられた。
私も全くもってそのとおりだと感じた。
あの瞬間から、確実に世界は変わった。
癌を宣告されてからは、ずっとがん患者なのである。
がんは「手術をすればそれで治る」ものではなかった。
いったい何時をもって「治った」といえるのか。
その時期をピンポイントで断言する事は、果たしてできるのであろうか。
もう、前の世界に戻ることは出来ない。
今年は本当にキツイ年だった。
滑り出しは順調だったが、春の私の軽率な(と言われても仕方ないと思う)
ボスとの喧嘩退職騒ぎで一変した。
一緒に働いていた派遣スタッフが辞め、その原因を私の言動と確信したボスは
それをきっかけに徹底的に私を虐め続けた。
よくまあこの一年続いたなあ・・と思う。
皆がいるところでの屈辱的な言葉や態度。
そういう事は、まるでショベルカーのように私のエネルギーを削ぎ取っていった
そして、そのエネルギーがほとんど削ぎとられた状態で、ノルマノルマと責められ続けた。
毎日毎日、皆がいるところで否定的な言葉ばかりを浴びせられ
私はだんだん自分が本当に無能な人間なのではないか、と思い始めた。
何の実力も無い、劣等スタッフだと思えてきた。
青年に「私がいない方が、会社にとっていいんじゃないだろうか?」と尋ねたりした。
優男は首を横に振り、「そんなことないない」とあやすように言った。
神経は病的に緊張したり緩みきったりした。
体はだるく、重く、少しでも動くことが面倒だった。
繰り返し出てくる蕁麻疹。
明け方近くまで眠れない日曜の夜。
毎晩夜中に必ず2回目が覚めてトイレに駆け込む。
そしていつの間にかトイレは間に合わなくなり、毎晩失禁をした。
どうも一晩で、数回失禁しているようだった。
風呂に入らず顔も洗わず歯も磨かず、着古した服で出社することが増えた。
五十女の素顔など誰も見たくは無いだろうし、こちらも晒したいわけではないが
もう別にどうでも良かった。
何日も洗っていない髪の毛は、くるくると巻き上げてピンで留めてごまかした。
けれどたくさんの「フケ」が鏡に映っていた。それを払う気力も無かった。
私はそれくらい疲れきっていたし、ギリギリの精神力で出社して仕事をした。
もともと少なかった収入は、正社員からアルバイトになったことでボーナスが出なくなり、
ますます減ってしまった。
それでも私は今年、本当にがんばって仕事をした。
頑張って頑張って仕事をした。
受注の件数も決して落としはしなかった。
昨年よりも多かった。
でもまあ、それらは認められていないけれど・・
35歳くらいの頃だったと思う。
「ああ、自分もそろそろ人生の折り返し地点になるんだなあ・・」と思った。
それから数年して、だいたい80歳くらいまで生きられればいいかなあ・・と思うようになっていた。
そして今日、私は100歳まで生きる。
ことにした。
新しい年で50歳。
なので新しい年は、私の人生の折り返し地点なのだ。
生きることは苦しい。
生きることは辛く哀しい。
そして時々、ささやかな幸せや、信じ難いような喜びがある。
色恋は、遠くに置いてきた。
私は勉強したい。
もっともっと勉強したい。
お金も稼がなければならない。
そして私は「力」が欲しい。
此処までは、人生の前半戦だ。
そして此処から、後半戦に突入である。
後半戦であるから、今まで身につけた知恵や経験を十分に活かすのだ。
多くのものはいらない。
命があればそれでいい。
私と、私にとって大事な命たちがどうか長く続き、
それらが幸せで、健康でいてほしいと、切に切に願っている。
夢中になりたい [雑感]
今年の仕事がやっと最終日を終えた。
毎年恒例の大掃除をして、一人帰り二人帰り、残っていたのは私と青年他古株組だった。
新参組が帰った後、せっせと拭き掃除をしていたのは私。
一番仕事量が多かったから、片づけにも時間がかかっていたのは青年。
一応けじめであるので、ボスのところに行き
「今年も大変お世話になり、ありがとうございました」と
深々と頭を下げる。
「いろいろと御迷惑もおかけして、申し訳ありませんでした」
深々の2回目。
「来年も、どうぞよろしく御指導ください」
深々3回目。
ボスはこちらを見ないで「はい」「はい」と言っていたが、
そこに照れが入っているのは、長い付き合いでわかる。
最近は、古株組に対してボスの当たりがきつくなっている。
あれだけ可愛がっていた青年を(否、今も可愛がっているが)
皮肉めいた言葉で叱ることがしばしばある。
「来年、青年はやめちゃうんじゃないかな・・」と、私は密かに想う。
最近私は、「定年後も働ける仕事」とか「女性50歳転職」とか
そんな検索ばかりしている。
「何ができるか?」ではなく
「何がしたいか?」を、徹底的に己に問うのだ。
私は「その道のプロ」というものに、非常に憧れた。
伝説の相場師。
販売の神様。
そんな、なにか通常のレベルをはるかに超えるものを持った人たちに
強烈な魅力を感じてきた。
こういうことに気づいたのも、最近である。
私はオールマイティに、社内のあらゆる業務を知悉している人には憧れない。
けれど、「○○をさせたら☆さんの右に出る人はいない」といわれるようにはなりたい。
一つのことを、千枚通しをキリキリと分厚い紙の束に通していくように
突き詰めたいのだ。
と、こうして考えていくと、おそらく私は組織の中で働くには向いていないんだなあ・・と想う。
朝から晩まで誰とも口をきかず、自分の仕事に没頭したい。
何か「物狂い」のように、その世界に入っていくのが好きなのだ。
気質が執着質なのだ。
あまり夢中になる対象はないのだが、「これ!」という物に出会うと
全エネルギーを注ぎ込んでそれに関わり続ける。
「しつこい」ことも使いようである。
私は、もう今の仕事にそこまで魅力を感じてはいない。
なので取り組むことが苦痛だ。
面白くもおかしくもない。
本当に、面白くもおかしくもない。
私が頑張ろうと想っても、行動できるところは限られている。
そこから先はボスの許可がおりない。
なので私はいつまでたっても中途半端な知識しか持っていない。
この状態で「この仕事を十年近くしてきました」などと
恥ずかしくて言えない。
好きなことならかなりの悪状況でも続けられる、というのが
この仕事をして良くわかった。
本当に好きな仕事だったから、私はオフィスの人間全員を敵に回しても
会社にきて仕事をし続けることが出来ると、ずっと思ってきた。
仲良しクラブではないのだ。
社内の人間関係なんて、本当はどうでもよいのだ。
皆もう社会人なのだから、必要最低限の挨拶と、
あとは普通にたまに笑顔でやり取りすれば十分だ。
社員同士で切磋琢磨しないでどうする。
真剣に仕事に取り組んでいれば、怒鳴りあいの一つも起きて当然である。
定年が無い仕事。
それで「生活していける」仕事。
好きなことをすればいいなら趣味になってしまう。
それで家賃を払い、公共料金を支払い、診療費、検査代、薬代を払って
お米を買えるだけの金額を得なければならない。
私はもう一度、何かに憑かれた様に夢中になりたいのだ。
勉強もしたい。
なので。
来年からは早く帰るようにしようと思う。
早くといっても、うちは拘束時間自体が長い。
それに、定時を過ぎてもだらだらと仕事をしている悪しき習慣がある。
(まあ忙しいときは確かに夜中までしても時間が足りないわけだが)
そういえば、来年の目標の第一は「体を鍛える」である。
それを思いついたとき、ああ・・私も年をとったんだなと思った。
長く仕事を続けるには体を鍛えなければ。
具体的な仕事も学ぶべきことも、まだぼやけている。
もう一度。
もう一度、あの高揚感と緊張感を味わいたい。
穏やかそうと言われ、知らない人からよく道を尋ねられる私は
本当は激しい人間なのだ。
マグマが沸々とあぶくを作っては自ら弾けている。
何か。
何か。
私を狂うように夢中にさせる何か。
どうか早く出てきてくれ。
永劫童子 [わたしのうた]
父母の娘でありたや吾を抱く二人が骸となりても永劫
世の人が五十で経験することを五つで知らねばならぬ子もいる
接吻も抱擁も無い毎日は風吹き荒ぶ礫が刺さる
私がもっと若くてきれいならこんな思いもしないだろうに
あなたは仕事をしてないと罵倒をされて一日始まる
五つの子人が生きてく哀しみも悔しさ惨めさちゃんと見ている
見えぬ目でいつ縫ったのか白装束「死んだら着せよ」と祖母泣きて言う
言葉一つ返しもできず涙流しあの日私は肯いたんだ
皆して私を馬鹿にしていると知ってる私穴開いた靴
死んでるか生きてるかわからぬ毎日に何の楽しきことのあろうか
賞与は出ませんでした [雑感]
結局、冬の賞与も出なかった。
代わりに、\20,000.-分の商品券が封筒に入っていた。
私も私なりに、いろいろ考えていた。
自分がいつまでアルバイト待遇なのか。
アルバイトである間は、賞与は望めないだろう。
ボスはおそらく一年間という期間を考えているのではないか。
懲罰として一年間アルバイト待遇になり、その間一所懸命働けば
正社員にもどそう。
そう思っているのでは、と推測した。
となると、私が賞与を手にするのは、来年の夏ということになる。
私は時々考えるようになった。
「私はそんなに酷いことをしたのだろうか」
会社のお金を横領したわけではない。
同僚に鋏で切りかかっていったわけでもない。
オフィスの中でふと、「ああ、此処にいる人たちは私以外全員、
ボーナスをもらっているんだ」と思うと「どうして?」という気持ちになる。
どうして?
どうして?
どうして?
私は一所懸命仕事した。毎晩毎晩帰り着くのは深夜だった。
ボスの代わりに、急な出張に何度も出かけた。
受注だって多かった。
あの場所は、「職場」ではないのか?
それともサークル活動か仲良しクラブの場所なのか?
派遣先で何かあったら、派遣社員と派遣元とで整理してくれないか?
派遣先に言ってくるほどのことなのか?
派遣社員だったらそこでやめればいい。
彼女はまだ若かったし、派遣会社は経緯を考えて優先的に次の仕事を回してくるだろう。
私は何があっても、あの場所に通い続けるしかないのだ。
持っているもの全てほころびてしまった下着と、穴の開いた靴を買い換えることも、
粗大ごみを出すことも、何も出来なくなってしまった。
考えても考えても答えは出ず、やっと出たかと思うとすぐ覆る。
「現実逃避」と言われても、先のことを考えよう。
なるべく早く上がるようにしよう。
今の仕事をしながら、この仕事のスキルを磨いていこう。
知らないことは、いろんな人に聞きながら、もしくは盗みながら
覚えていこう。
そして、勉強をしていこう。
なんとか次の仕事につながるように、つながらなくても勉強したい。
今の私は本当に「社畜」だ。
会社のために生きている。
そんなのは嫌なのだ。
風邪ひき草子 [雑感]
ここ数日、ひどい風邪をひいておりました。
たぶん7ヵ月ぶりくらいに丸々一日お休みしました。
もう、無理に無理を重ねていたわけですよねえ。
それはわかっていたんですけどね。
師走に入り、
後一月!
後三週間!
と、力を振り絞っていたんですねえ。
でも、ゴール直前でダウンしてしまいました。
一日って長いんですね。
前々から気になっていた映画のDVDを何枚も借りてきて、
基本的に一日に二作以上は見ないんですが、
手元にあると気になって、二作見たりもしました。
それで何回かお洗濯をして、
それでもまだまだ時間があるんですね。
私は、このところ自分のことを「社畜」だと思っていました。
誰にも1日は24時間ですが、そのうちのいったい何時間を会社にささげているんだろうと、
しみじみ考えました。
ボスは、自分の部下たちを「私物」と思っています。
もしくは自分の「手足」。
なので、定時を2時間過ぎた時刻で「○時から、△△のメンバーはミーティングだ!!!」と張り切ります。
私は、「ああ・・もう、こういう働き方は無理だな・・」と、思うようになりました。
体がいうことを聴かない、体がついてこない、と言うのがわかるようになりました。
ボスの言うようなやり方をそのまましていたら、私は毎日午前様になってしまいます。
私にもやりたいことはあった。
計画していたこともあった。
学校に通って勉強していたこともあった。
それは全てやめました。
会社の仕事と両立は出来ませんでした。
今年の初め、私は「今にして考えると、去年(2010年)は調子が悪かったんだな・・
だからあんなに辛かったんだ。
それに比べて今年は本当に楽だ」ということを書いています。
それからすぐに、とんでもないことになったわけですが。
今年は本当によく働いた。
いつにも増して、働いて、働いて、働いた。
これで又ボーナスが出なかったら裁判物だな・・
と、密かに思うほどに頑張りました。
日付が変わって帰宅することが続き、翌日急に冷たい雨が降り出した日に
2箇所訪問し、その翌日、ボスが行くはずだった寒いところへのアポイントに行った
翌日から、体調が完全におかしくなりました。
今の私の年齢、社会の雇用状況、私の病歴。
それらを考えれば、どんなに嫌な奴がいて、嫌なことがあっても
今のオフィスに居座ることが、とりあえずは最優先と思います。
「仕事そのもの」は好きなわけですし。
ただ、もう今までのような働き方はしないでおこう。
急には出来なくても、少しずつしていこう。
他に営業を入れるならどうぞ。
最近では、私以外のスタッフたちも、それなりに嫌いな人・苦手な人がいるのだとわかってきました。
今こうしている間も、信じられないほどの鼻水・咳・痰(失礼)が出てきます。
私は四十台を仕事に― 否。正確には、会社に捧げました。十年です。
それに見合う報酬を得られたかといえば、足りないと答えます。
なんとなく、「陣地取り遊び」を思い出します。
私があとどれくらい生きるかわからないけれど、人の定めとして、終わりは必ず来る。
つまり、私に残された時間は決まっているわけですね。
これが「陣地」です。
陣地の広さが変わらないなら、そこを「幸せ」でたくさん埋めていきたい。
できれば「オセロゲーム」のように、ある一つの幸せが、たくさんの「悲しみ」や「悔しさ」を
幸せに反転させることがあるかもしれない。
そんなことを考えました。
威張る奴は威張る。
高圧的な態度の奴は人を怯えさせて優位になったつもりでいる。
人を精神的にいたぶるために、わざわざ大の大人の男が
二人掛りで追い詰めてくる。
楽しいことではないが、あなた方がそうしたいならすればよい。
そんなことはどーでもよいのだよ。
目の前の仕事、一つ一つに力と誠意を尽くせ。
私がいままで「誠意」と呼んできたものを、「情」という言葉で表現された方がいらっしゃいました。
なるほど。
たしかに「情」です。
私は、ボスが、私の嫌いな△氏が、私を甘いと思っていることを知っています。
それで私を馬鹿にしていることも知っています。
けれど、私は「情」の無い人の仕事は駄目だと思っています。
「情」だけでいい、などと虫のいいことは思いません。
「情」を甘いという人には、ではいったい貴方はどれだけの辛さを体験してきたのか?
と、問いたいと思います。
この前もチラと書きましたが、何か人の役に立つことをしたい、と思うようになりました。
人の役に立ちたい。勉強もしたい。
逃げといわれればそれまでですが。
皆様もどうぞ、おからだをお大切になさってください。
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